わたしもまた、この荒野の子だ。桑名正博コンサート「風の華'92」

コンサート風の華メモリーズ
1992年7月12日、豊能障害者労働センター機関紙「積木」59号より

時の繭をつきやぶり 真っ青な海が!
桑名正博さん、渋谷天外さん、バンドのみなさん
雨の中、来てくれたあなた
おもいっきり、ありがとう

わたしもまた、この荒野の子だ。
この荒野は、しばしばわたしの胸を引き裂きました。
だが、わたしはそれがわたしの心のうちに養う鬼火の光を愛します。
アンドレ・ブルトン

桑名正博さん、6月7日の夜から数えて9日目の夜、グラスの酒の中で氷がはじける音をききながら、この手紙を書いています。
今年で3回目をむかえたこのコンサートですが、心配していたら案の定、大阪はあの日が梅雨入りで、天気予報どおり雨が降り出し、だんだんと激しくなってきました。
駐車場係りの人はかっぱを着こんでも、雨が体にしみこんでいいきました。「何かあったら手伝いたいと言ってくれていた、もの静かなタイル工事屋さんです。
人手が足りないと聞いて、当日にかけつけてくれたカトリック教会の若い人たち。
大阪市の浪速区から、桑名さんの知り合いだからと手伝ってくれた女性。
箕面市の清掃工場の人たち、役所の人、学校の先生、左官屋さん、喫茶店の店員さん、植木屋さん。ほんとうにいろんな人たちがこのコンサートをささえてくれました。
激しい雨の中、2時過ぎから待ってくれている人たちにはじまって、開演の時には1100人の人がこの会場に来てくれていました。そして、思いもかけず、箕面にお住まいのミヤコ蝶々さんが来てくださいました。

「こんばんは」、あなたはやさしく、そしてはげしくその言葉をなげたとたん、ギターをひきはじめました。この一瞬が、いつもぼくたちの心をさわがせます。
今年は、真っ青な海が暗い部屋の扉をつきやぶり、くだける光のカーテンを背に受けて、なぜかしらあなたが何人もいるようにぼくたちには見えました。
雨の中、来てくれた1100人の人々の夜の河を、一度は流れたかもしれないひとつぶの涙。こぼれ落ちた涙の記憶をたどる音の波に抱かれたたんさんの心がステージに押し寄せる、ほの暗くきらめく、せつない風景でした。
こうして、3回目をむかえたコンサート「風の華」がはじまりました。

青春のプラットホームに立つ、ぼくたちもまた荒野を持っている。

10年前、ぼくたちはほんとうに静かな出発をしました。20人の市民の方々の寄付金と、施設をやめて専従員になった八幡さんの貯金と退職金で路地裏の古い民家を借りました。
冬には、外から帰ってきたら上着をぬぐどころか、もう一枚着込んでもみんなが交代で風邪をひいてしまうほど、木枯らしが吹きぬける寒い事務所でした。
そんな袋小路でぼくたちは、障害のあるひともないひとも、だれもが住みやすい街を夢見ていました。その夢は、応援してくれる数少ない人たちにささえられながら、時の繭の暗闇の中で、ともすれば切れそうになる糸をひそやかに紡いでいました。
ぼくたちの活動は、そのときも今も「福祉」という特別なジャンルのことだといわれます。だけど、ぼくたちが夢見ていたものはなにかもっとちがうものでした。

「明日」行きの列車を待つ人々が行き交う青春のプラットホームで、人生の片道切符をにぎりしめる。
だれもがいつかは家を出て、自分の生活をつくろうとするように、
だれもが人と出会い、だれかを愛するように、
だれもがまた、それらをこばむことすらできるように、
そして、だれもが思い通りにいかず、それでも生きがいをさがすように、
そんな希望と不安に満ちた時を生きたい。
にんげんでいたい。

そんな思いがぼくたちを、袋小路の中のやさしさ、ふきだまりの中のユートピアで静かにまどろむことを許しませんでした。木枯らしがわれた窓ガラスをたたく激しい風(音楽)にかりたてられ、ぼくたちは街の喧騒の真ん中に躍り出ました。
だれかが来てくれるのを待つより、自分たちがどんどん街に出て行こう。けんかもいいだろう。分かり合うためには、傷つきあうこともあっていい。
ぼくたちが生きていくのは「福祉」の中じゃない。この街なんだ。お店を持ったり、車イスに積んで粉石けんやカレンダーを売り歩いたり、食べていくのは今もしんどいけれど、ぼくたちの10年はこの街を舞台にしたロックンロールでした。

桑名正博さん、あなたとの出会いは、ぼくたちのそんな10年がまちがっていなかったことを教えてくれました。
おととし、はじめてこのコンサートをした時、ロックと福祉の組み合わせが変だという声もありました。だからこそ、ぼくたちはこのコンサートをする意味があると思いましたし、このコンサートをしたかった。
ぼくたちがお世話になっている渋谷天外さんのはからいで、桑名さんがひとつ返事で来てくれると聞いた時、「あたりまえ」とされるものをこわし、時の荒野を走り抜けるロックンローラーのしなやかな感性に心を打たれました。そのときからずっと、ぼくたちは、桑名さんの過激なやさしさが大好きです。ぼくたちもまた、荒野を持っています。
桑名さんのファンの人が、ぼくたちの機関紙を読んで、年末にカレンダーを買ってくれたり、このコンサートのチケットを今年も買ってくれました。
ぼくたちが10年前に夢見た街は、時の繭から巨大な未完のすがたをあらわそうとしているのを感じます。
ありがとう、桑名正博さん。バンドのみなさん。舞台のスタッフの方々。
そして、こんな出会いを用意してくれて、いそがしい芝居の合間にステージで歌を歌ってくれた渋谷天外さん、ありがとうございました。
来てくださったみなさん、ありがとうございました。
「来年も、そのあとも、ずっと来るよ」と言ってくれた桑名正博さん、もう一度ありがとう。
来年もまた、来てくださいますか。

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