桑名正博さんの告別式に参列させていただきました。

桑名正博さんの告別式に参列させていただきました。豊能障害者労働センターの平田さんと、豊能障害者労働センターの応援者で、わたしたちのコンサートを手伝ってくれていた小田さんの3人で行きました。
式場には入れないかもしれないと思いましたが、係りの方に「大変お世話になった豊能障害者労働センターです」と告げると、「どうぞ中にお入りください」と言ってくださいました。
式場の外もふくめて1300人ぐらいの参列者がいらっしゃったのではないかと思いますが、いままでこんなお葬式に参列したことがなかったのでびっくりしただけでなく、ここに来れなかった人々もふくめ、ほんとうに多くの方々に愛され、また多くの方々にさまざまな支援をしてきたひとだったことをあらためて実感しました。
昨年亡くなった原田芳雄さんの長男で、ギタリストの原田喧太さんがお別れのメッセージをささげました。原田喧太さんは1991年のわたしたちのコンサートに鬼頭径伍さんとゲスト出演してくれました。父親の原田芳雄さんを通して幼少期からの付き合いで音楽の道に進んだこともあって、桑名さんは彼をふくめた若いミュージシャンの音楽活動の場を広げるため、このときもゲストとして出演を依頼されたのだと思います。
「マサヤンとはいっぱい笑ったね、いっぱい泣いたね。マサヤンはいつも人のために動いて、どんなにしんどくても動いて、そんなマサヤンが大好きでした」。
「マサヤンに言ってなかったことが1つだけありました。ミュージシャンとしての俺の目標は桑名正博に褒めてもらうことでした。数年前に、マサヤンの家でアコースティックギターを弾いた時、『お前いい音弾くなぁ』って。初めて褒められた嬉しさのあまり、その夜、お酒を飲みながら泣きました」。
「最後に紹介させてください。オン・ボーカル&ギター桑名正博!」。

そして、ギターとドラムスの演奏が始まりました。一曲目は「夜の海」で原田喧太さんのギターだったと思うのですが、すばらしいギターでした。すぐそこのいすに座り、ギターを持っていつもの笑顔をみせている桑名正博さんに語りかけるように、満ちては引く波の粒のような音たちが式場を埋めていくのでした。
二曲目は「月のあかり」。今度は小島良喜さんのキーボードが入り、桑名美勇士(くわな みゅうじ)さん、桑名晴子さん、そして友人のミュージシャン、さらには参列者も一緒に歌いました。
美勇士さんは1990年のコンサートのときは小学生で、一緒に式場に来てくれた小田さんがコンビニの買い物に付き合ったそうなんですが、22年の間に父親譲りの太くて甘い声のボーカリストになっていました。
42才の原田喧太さんと31才の美勇士さんは、父親同士の親交以上に深いつながりがあるように思いました。想像の域はでないのですが、才能にあふれる父親を持った子どものしんどさを抱えながらいつのまにか自分なりの表現スタイルを獲得した二人は、お互いの父親の死を乗り越えて今、共に高めあい、助け合いながら未来に向かって歩き始めていることがひしひしと伝わってきました。この二人に小島良喜さんのピアノ・キーボードを加えた音楽をまだ聴いたことがないので、ライブがあればぜひ聴きたいと思いました。
式の進行は権威や肩書きなどと無関係に、底抜けにひとを愛し、底抜けにひとを助け、また底抜けに愛されたロックンローラー・桑名正博さんらしく、焼香も大切な人に順番はつけられないと名前を読んだりせず、参列者全員がひとりひとりお別れしてほしいとアナウンスされ、最後のお別れもバリアフリーで、わたしもお顔を観ながら手を合わせ、「さよなら、そしてありがとうございました」と、感謝の気持ちを伝えることができました。
最後の最後、棺が車に乗ると外におられたひとたちが桑名さんによびかけました。「ありがとう」、「ずっとわすれへん」、「愛してる」と、みんなが口々に叫び、大きな拍手の中を、桑名さんが乗った車は御堂筋パレードへと出発しました。

何度も涙がでました。ほんとうに参列してよかったと思いました。式場には22年前にコンサートでお世話になったひとたちがいらっしゃって、何人か顔をおぼえていました。
その中でも当時のマネージメントをされていた阿部さんを見つけ、ひとことお礼を言おうと駆け寄り、「おぼていらっしゃいますでしょうか」と声をかけると、いっぱいなみだをうかべ、「もちろんです。よく来てくれました」と感激してくださり、とてもうれしく思いました。すでに22年という長い年月がすぎても、あのコンサートが桑名さんの関係者にとっても思い出になっていたことは、ささやかながらもわたしたちの誇りでありつづけることでしょう。
桑名正博さん、ほんとうにありがとうございました。わたしたちは決してあなたがくれたすばらしいプレゼントを忘れません。わたしたちはあのコンサートをあえてチャリティーとは名づけませんでした。「僕らはあくまで音楽をやっているんで、福祉の旗持って走り回る気はない。ボランティアでもビジネスでもない、これは僕のしごとです」と言ってくれたあなただからこそ、わたしたちは不遜にもあなたを共に生き、共に感じ、共にたたかう同士と思ってきました。
ですから、あなたがくれた最高のプレゼント、それはとっておきの「友情」という、ロックンロールだったのだと、いまあらためて思います。
もう一度、桑名正博さん、ほんとうにありがとうございました。

桑名正博「夜の海」

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