最後の最後にもう一度、「天使たちへと ありがとう」

おそらく桑名正博さんの追悼特集をごらんになった方でしょうか、このブログをフェイスブックで紹介してくださったようです。ここ3日ほどアクセス数が増えました。紹介いただいた方、またそれをきっかけにこのブログを訪れてくださった方々に感謝します。

さて先月末から22本、お世話になった桑名正博さんへの追悼と感謝をこめて、1990年代のチャリティーコンサート「風の華」をふり返ってきました。豊能障害者労働センター機関紙「積木」の資料を順追ってたどってきて、あらためてわたしたちがあのコンサートを開いてこられたことが信じられないほどです。
桑名正博さんをはじめピアノの小島良喜さん、ブルースハープの妹尾隆一郎さんなど、出演してくださった方々が最高の演奏をしてくださったこと。毎年1000人を超えるお客さんに来ていただき、いつも喜んでくださったこと。桑名さんがいつもご家族といっしょに箕面に来てくださったこと。毎回の打ち上げにも必ず参加してくださり、いつも心あたたかくわたしたちをねぎらってくださったこと。そして、いつもわたしたちを応援してくださったこと…。

今は交通機関をはじめとするバリアフリー化や福祉制度の進展など、あの頃よりはもう少し障害者に対する社会の理解はあるかもしれませんが、あの時代のわたしたちの活動は孤立無援でした。行政からの補助金もほとんどない中、箕面市内で3つのお店を運営しながらカレンダーの全国販売をはじめ、それらの売り上げから手元に残るなけなしのお金を障害のあるひともないひともみんなで分け合っていました。
そんな時代に、社会福祉法人でもなく、今でいうNPO法人でもなく、行政でもなく、またいくつかの団体があつまって構成される実行委員会でもない、ほんとうに小さな障害者のグループが金銭的にも人的にも自分の背丈をはるかにこえる1000人会場でのコンサートを一度ならずも5回も開催できたのは、桑名正博さんという当代きってのロック・ボーカリストの魅力と、その頃わたしたちが持っていた印象とまったくちがう優しい心と、赤ん坊が泣こうが障害者が少し叫ぼうがおかまいなしという、アナーキーでアットホー ムな桑名さんたちの真のロックンロール魂と、それを圧倒的に支持してくれた桑名さんのファンの方々をはじめとするお客さんたちのおかげでした。

センチメンタルでひとりよがりな思い出話である部分を色濃く持っていることを承知の上で、わたしたちにとっても、そしてもしかすると桑名さんたちにとってもこの時代の稀有のできごとだったこのコンサートの記録を残しておきたいと思っていたわたしは、できればもっと前に、桑名さんが元気に活躍されていた時にするべきだったと後悔しています。
現在の豊能障害者労働センターはスタッフも大幅に変わり、すでにこのコンサートの記憶ははるか遠くにあり、記録資料も散逸していています。今回のTBSのニュース番組「Nスタ」や箕面FM「タッキー」の取材などで残存する資料をかき集め、なんとか取材に応じることができました。
その中で、1991年のコンサートの模様を記録したビデオを見て、その時はじっくりとステージを見ることなどできなかったわたしは少し古いスタイルのロックに深く感動しました。小島良喜さんと妹尾隆一郎さんのトリオに、鬼頭径五さん、それに原田喧太さんと、その時代のアコースティックでは最高の演奏のひとつといってもいい、音楽的な冒険にあふれていました。トリオの演奏はもとより、当時20才そこそこだった原田喧太さんのギターはその才能をすでに開花させていました。
ステージのラストで、当時のフレンドリーからのサプライズで食事券50万円と現金50万円をいただいた時は、桑名さんはうれしなみだをわたしたちと一緒に流してくれて、20年以上も前の映像を観ながら号泣してしまいました。
あの箕面市民会館のステージで、涙を流しながら歌ってくれた桑名正博さんがたしかにそこにいたことを、桑名正博さんの魂が今でもわたしたちの心にかくれていることをあらためて深く感じるとともに、桑名正博さんがくれたわたしたちへの最高のプレゼントが「友情」という宝物であったことを、遅ればせながらもこのブログで記録することができてよかったと思います。

最後に個人的なことを書かせてもらいますが、わたしの音楽遍歴は子ども時代の流行り歌からビートルズを経て、日本のロックやフォークへと移っていきましたが、桑名さんたちの音楽をそばで聴くようになってはじめて、音楽の持つ不思議な力を知ったような気がします。わたしは簡単に「音楽の力」を信じることはできないのですが、音楽もまた、おなかをふくらませることはできない、なくてもいいものだったのかも知れませんが、その一方でパンのみでは生きることができなかった人間の心をふくらませることができる「もうひとつの食料」として、太古の時代から手渡されてきた夢のバトンのひとつだったのかも知れません。
日本にそうたくさんいなかったかも知れないボーカリストのひとりだった桑名正博さんの音楽への果てない夢は、彼とともに歩いてきたひとたち、そして彼の応援にささえられ、育てられた若いミュージシャンにひきつがれていることが、わたしたちに新しい勇気をくれることでしょう。

最後の最後にもう一度、桑名正博さん、ほんとうにありがとうございました。
「天使たちへと ありがとう」

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  1. まとめ【最後の最後にもう一度】

     おそらく桑名正博さんの追悼特集をごらんになった方でしょうか、このブログをフェイスブックで紹介して

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