1990年「桑名正博コンサート風の華」1

 1990年4月27日、この日はよく晴れて、日中は汗ばむ陽気だったと思います。
 これまでに何度かイベントをしてきてはいましたが、なにより桑名正博さんが来るということで、事故がなく終わるのか、そしてなによりもわたしたちのつたない宣伝がどれだけ届けることができたのか、1000人のお客さんが来てくれるのかとても不安で、胸がしめつけられる思いでした。
 わたしにしても自分がイベントの責任者になるのははじめてで、いきなり1000人会場のコンサートですから、緊張したのもあたりまえだったと今では思います。
 前売り券の販売数はごく少なく、とにかくぎりぎりまでいろいろなひとにチケットを預かってもらい、あとはなんとかなるというあんばいで、当日の会場のレイアウトも役割分担もあまり考えず、今から思えば冷や汗がでるような運営でした。
 実際のところ、これまで大きなホールで映画会を開き、ひとりもお客さんが来なかった経験もありますし、たくさんの人に来てもらったといっても300人がやっとでしたから、1000人会場がいっぱいになることは無理だと思い、事前に桑名さんにその旨を伝えていました。

 朝9時から準備をはじめ、スタッフが新大阪にお迎えに行き、3時ごろには桑名さん、小島さん、渋谷天外さんたち出演者がそろい、リハーサルをはじめました。
 この年は声をかけていただいたこともあり、渋谷天外さんもいっしょにどんな進行にするのか打ち合わせをしました。
 リハーサルが終わり、わたしたちは桑名さんたちを豊能障害者労働センターが運営する大衆食堂「キャベツ畑」に案内しました。上等な弁当をとるより、わたしたちのお店に来てもらう方が雰囲気をわかってもらいやすいと考えてのことでした。
 桑名さんも小島さんもキャベツ畑の焼きそばをとても気に入ってくれて、わたしたちの方も桑名さんの気さくな人柄に触れることができたのでした。
 そして本番を迎えるころ、箕面市民会館は人であふれてしまいました。会場整理が要領を得ず、開場前にお客さんに迷惑をかけてしまったにもかかわらず、お客さんが協力してくれて、大きな混乱もなく客席へと案内することができました。

 そして、なんと1050人のお客さんで箕面市民会館は満席をこえ、立ち見のお客さんも出てしまいました。コンサートの模様は当時のわたしの報告を原文で掲載したいと思います。桑名さんも小島さんも打ち上げに来てくださいましたが、このときは初めてのことでもあり、桑名さんはどちらかといえば物静かな印象を受けました。
 それでも最後に「来年もしようね」と言ってくださり、握手をした時の手のぬくもりを今でも思い出します。
 こうして1990年4月27日、わたしたちと桑名さんとの出会いはこの日の箕面市民会館に来てくださったひとたちのたくさんの拍手とともにやってきたのでした。
 そしてそれからの数年、わたしたちはこのコンサートを毎年恒例とする「たたかい」の日々を過ごすことになりました。

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