マグリット展

10月4日、京都市美術館で開かれている「マグリット展」を観に行きました。
 シュルレアリスムの画家、というよりは20世紀を代表する芸術家として数々の名作を残し、芸術のジャンルにとどまらず現代社会に今もなお強い影響力を与え続けるマグリット。空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴、窓ガラスに付着したまま割れた風景、夜の街の上に広がる青空など、日常の風景や物体や人体が「あたりまえ」の状態から剥離され、「ありえない」不思議な状態や体験に変貌するマグリットの芸術は観る者の習慣や観念をこわし、重力や言葉までも不確かなものに変えてしまうのです。
 ルネ・マグリットは1898年、ベルギーレシーヌで生まれました。1912年、マグリットが13歳の時、母親がサンブル川に身を投げ、自殺してしまうというショッキングな事件が起きました。この事件はマグリットに少なからぬ影響を与えたと言われています。
 1916年、マグリットは18歳でブリュッセル美術学校に入学し、卒業後はキュビスム、未来派、ダダなどの影響を受けた絵を描いていましたが1925年(1923年という説もあります)、キリコの「愛の歌」という作品を見て、「涙を抑えることができない」ほどの感銘を受け、これがきっかけでシュルレアリスムの方向へ進むことになります。
1927年、ブリュッセルのル・サントール画廊で初個展を行いますが好評を得られなかったこともあり、パリに出てきます。以後3年間、フランスのシュルレアリストたちと交流します。しかし、マグリットはシュルレアリスム運動の理論的指導者であったアンドレ・ブルトンとはうまが合わなかったらしく、1930年ブリュッセルへ戻り、以降ベルギーを離れることはほとんどありませんでした。

 以前にもたびたび書いてきましたが、わたしがシュルレアリスムに出会ったのは1960年代前半、高校生の頃でした。工業高校の建築科に入学してまもなく、たまたま美術部に入り、現代美術や新人画家の動向を知らせる貴重な雑誌「美術手帖」を友だちと回し読みしていました。もっともわたしは一学期の2週間だけ石膏デッサンをするだけの絵を描かない美術部員でした。父親がいない「私生児」で、母親が早朝から深夜まで大衆食堂をしながらその日その日を暮らす貧乏生活の中で、母親が「高校だけは行かせたいと」と奨学金の助けも借りながら行かせてくれた高校でしたが、わたしは学校に行くのが苦痛で、子ども頃からの吃音で悩み、心を硬く閉ざしていました。
そんな時に知り合った数少ないともだちと美術手帳に載っているジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォーホールなどの作品について何時間も話をするのがわたしの切ない楽しみでした。そして、美術手帳でたびたび特集が組まれていたシュルレアリスムの画家たちの不思議な作品に圧倒され、ちょうど世の中の常識や規律に反発していた時ですから、彼らの作品の「非日常」と社会に対する強烈な批判精神にあこがれ、すっかりシュルレアリスムの信奉者になってしまったのでした。
暗くてあぶない高校時代に、わたしをわくわくさせたキリコ、デルボー、タンギー、マグリット…、彼らの作品はいままでの絵画や芸術の観念をこわし、まったく想像できない世界のとびらを開いてくれました。実際のところ彼らの作品に感動する感性を持ち合わせているのか今もよくわからないのですが、それらが放つ魔力にとりこになってしまったのでした。
シュルレアリスムへのあこがれは今でも消えることがなく、彼らの回顧展があれば必ず足を運び、50年から100年も前にもなる作品を前にして新しい発見をするのが最近の楽しみのひとつになっています。まさしく、わたしの決して明るくはなかった青春にかろうじてほのかな光とぬくもりを与えてくれた人生の宝物といっていいでしょう。
 その中でもわたしは海底のような場所に不定形の生命体がゆらゆらしているようなタンギーの絵や、駅や線路や石畳の街路にふくよかな裸の女性たちと黒い正装の学者が出会わないままぼんやりとたたずむデルボーの絵が好きでした。
 それはさておき、マグリットといえば、おなじく奇妙な絵を描いていても一般に難解だとかエロティックだとか言われる前に、デザインの力で納得させてしまうところがありました。ロートレアモンの「マルドロールの歌」の一節、「手術台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」をリスペクトし、あるべきでない場所であるべきでないものが出会う「デペイズマン」というシュルレアリスムの理論はマグリットによって具現化されたといっても過言ではないでしょう。
 今回の展覧会は2009年にオープンしたマグリット美術館の協力のもと、世界10か国から集めた代表作130点がずらりとならび、さすがに来場者が多くて、あまりゆっくりと観る事ができなかったのが残念でしたが、それでもマグリットの謎と神秘につつまれた不思議な世界を満喫できました。
 今回の展覧会で数多くの作品を年代順に観る事でマグリット芸術の進化を知り、今まで一面的にしか観ないまま固定観念を持ち、ほとんど理解できてなかったこともわかりました。(といっても、今もまだわからないと言ってもいいのですが…。)
 わたしが大きな誤解をしていたのは、だまし絵のような趣とデペイズマンの手法に目を奪われていたことと、マグリットの作品もまた日常の事物や状態に隠れている謎や神秘を精神分析によって解明できるようにあるのだろうと思っていました。
 今回このようにまとまって作品を観て、マグリットはオブジェを日常の役割や用途から解放するだけでなく、また事物をありえない場所に置くことで背後の神秘的な謎を解釈することからも解放し、事物それ自体がすでに謎であって、むしろ事物は人間を介さないですでに記憶を持っていたり、別の新しい事物へと変化する能力を持っていることを発見し、そのことをいくつかのオブジェをアイコンとしてさまざまに展開しながら表現し続けたことを知りました。
「私は絵画においてひとつの重要な発見をしたようです。これまでわたしは複数の物を組み合わせてきました。もしくは、ある物をただ置くことがそれを神秘的にするには十分な場合がありました。しかし、ここで行ってきた探究の結果、わたしは新しい事物の可能性を見つけたのです。それは事物が次第に何か別のものになるという能力です。ある物が、別の物へと溶け込んでいくこと。(中略)事物は明白でありながら、いくつかの堅固な木の板が、いつの間にかある場所では透明になっていたり、また裸の女性のある部分が何か違うものへと変化していたりするのです。」(ルネ・マグリット)
 そこにはシュルレアリスムというよりは、ダダイスムに近く、たとえばマルセル・デュシャンのレディメードなどの反芸術、あるいは構造主義における反人間主義、反知性主義にも通じる絶望的な人間観と世界観が垣間見えるような気がしました。
 人間の目や理性や知性が世界を支配してきた人間中心の世界観が人間の間にも階級や能力や財力による格差を生み出し、他の生物に対する暴力や環境破壊の根源であることに、今を生きるわたしたちは気づきはじめたところです。
現代の哲学者や思想家がそれに代わる世界の在り方を探求し提示する途上と思える今、1920年代のデュシャンやマグリットが孤独な作業をつづけながらおぼろげながらもその世界を垣間見ていたことは驚くべきことだと思います。ちなみにミシェル・フーコーもマグリットの作品に多大な関心をもっていたことも、今回この記事を書くにあたってはじめて知りました。
 帰りに今回の展覧会の図集を買って読んでいたら、マグリットとデュシャンという小論が載っていて、その中でデュシャンがマグリットのくつの先が足になっている作品群を高く評価していたことが書かれていて、わたしがなんとなく感じたことがまちがいでなかったことを知り、とてもうれしく思いました。
 今回の展覧会は、わたしのマグリット観をひっくり返してくれた、とても楽しく意義のあった展覧会として、一生忘れられない出来事になりました。
 京都でマグリット展が開かれるのは44年ぶりのことと聞き、貴重な展覧会でした。

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