10作目を迎えたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」

豊能障害者労働センターが制作し、全国の障害者のグループとともに販売するカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」が10作目となりました。

このカレンダーの前身は、障害者団体のネツトワークが障害者の給料と年末の運営費をつくりだすために共同制作をしていた、吉田たろうさん作のカレンダー「季節のモムたち」でした。
今は少し改善されたといいますが、それでも一般企業への障害者の就労はそんなにたやすくはありません。ましてやカレンダーの製作をはじめた1984年は障害者が働くということ自体が理解されず、ほとんどの障害者が経済的な基盤も生活の介護も親に頼らざるをえない現実がありました。
そこで豊能障害者労働センターは、一般企業が迎え入れない障害者自らが健全者ともに業を起こし、その収益をみんなで分け合おうと考えました。もちろん、「雇われて給料を得る」のに比べて、事業をつづけ、広げていくことははるかに困難ないばらの道でした。しかしながら、リサイクルショップ、食堂、福祉ショップなどを経営する中で、最初はお客さんとして、そのうちにリサイクル商品の提供者として、さらには「この町で共に生きたい」と訴える障害者の肉声を受け止める支援者として、たくさんの市民がわたしたちの見果てぬ夢に参加してくださいました。
そして、豊能障害者労働センターはいつのまにか「障害者のため」だけのものではなく、「障害者市民が市民社会と地域経済に参加する障害者版ベンチャー企業、障害者版社会的企業としての役割をもになうことになりました。
カレンダーからはじまった豊能障害者労働センターの通信販売はそれを全国に広げ、新しい「顔の見える市場」をつくり、共に生きる夢と希望に裏付けられた経済圏をめざす、壮大な実験でもあります。
カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」はその経済活動の中心となるアイテムであるとともに、共に生きる豊かで平和な社会を願うわたしたちの一年分の手紙でもありました。
このカレンダーの制作にかかわった人間として、このカレンダーがたくさんの人びとに支えられ、10作目を迎えたことをほんとうにうれしく思い、また感謝の気持ちでいっぱいです。
豊能障害者労働センターから依頼を受け、松井しのぶさんとの出会いと、このカレンダーの誕生エピソードなどを機関紙「積木」に寄稿しました。以下はその全文です。


やがて悲しみは希望に変わり 新しい星が生まれます
松井しのぶさんとの出会いとカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」

その絵は焚き火の絵でした。4人の人間が焚き火をしています。その炎からいくつもの星が生まれ、そのうちのひとつの星が大地に堕ちてなお、きらきら光っているのでした。

2003年10月15日、20年間、カレンダー「季節のモムたち」のイラストを描いて下さった吉田たろうさんが亡くなられました。たくさんのひとびとに愛されたこのカレンダーは、障害のあるひともないひとも共に生きる社会を願うひとびとにささえられ、豊能障害者労働センターをはじめとする全国の障害者のグループの運営費と給料をつくり出す命綱でした。
わたしは吉田たろうさんへの哀悼を胸に抱きながら、カレンダーの事業をつづけるために、吉田たろうさんに代わってカレンダーのイラストを描いてくれるひとを探さなければなりませんでした。最初は身近なコネクションに頼っていたのですが、最後はインターネットで公開されている無数のイラストを探し続けました。そしてとうとうそのひと、松井しのぶさんを発見したのでした。それからは知り合いに彼女を知っている人はいないかとずいぶん探しましたが、まったくつながりがありませんでした。
2004年5月、わたしは決意して長いお願いのメールを送りました。信頼される紹介者がいるわけではありませんから、断られてあたりまえとほとんどあきらめていたのですが、なんと数日で快諾の返事が来ました。うれしかった。わたしたちの突然のお願いの手紙を読んでくださり、思いを受け止めてくださった松井しのぶさんに、あらためて感謝します。
また、長い間吉田たろうさんとともにカレンダー制作にたずさわっていただいた朝倉靖介さんがひきつづき新しいカレンダー制作も担当してくださることになり、信頼する大先輩である牧口一二さんの一口メッセージもつづけて書いてくださることになりました。
「やさしいちきゅうものがたり」と名づけた松井しのぶさんのイラスト第一作目のカレンダー2006年版は、こうして一年以上にわたる豊穣な時間に抱かれながら、誕生を待つことになったのでした。

松井しのぶさんのイラストにはどこかほの明るい空間とやさしい透明な光があって、そこでは過去と未来が、記憶と夢が溶け合っている。そして、だきしめたくなるノスタルジーの中に、未来への強い意志、願い、祈り、希望がかくれている。
真っ青な空、限りない緑、暖かい赤……、小さな一枚の絵の隅から隅まで、この世界の、空の、海の、森のすべてのいのちへのいとおしさに満ちています。
焚火のイラストも全体がオレンジ色で構成されているのですが、その小さな絵の中には無数の悲しみといとおしい希望がかくれていました。
阪神淡路大震災の時、豊能障害者労働センターは被災障害者救援本部の物資ターミナルを引き受けました。地震から一週間後、被災障害者に救援物資を届けるために被災地に入ると、公園や学校などの避難所ではどこでも焚き火をしていました。余震がつづく中、肉親や恋人、友人を失った無念、生き残ったがゆえにおそいかかる死の恐怖…。廃材といっしょに何度も何度もそれらをドラム缶の中に投げ込み、ひとびとは焚き火をしつづけたのでした。それは5,500を超えるたましいを見送る儀式でもありましたが、それと同時に生き残ったひとびとが助け合って生きる以外に道はないことを教えてくれた道標でもあったのでした。
村上春樹の六編の連作短編小説「神の子どもたちはみな踊る」のひとつに「アイロンのある風景」という小説があります。家出して海岸の街に住み着いた若い女と、大学を卒業する見込みも意志もなくバンドをつづける同居人の若い男、妻と子どもを阪神地区に残して漂流した果てにたどり着いた海岸で焚き火をし続ける中年の画家。ここでも焚き火は切実な儀式となっていて、「火が消えるまで眠ろう。目がさめたら死のう」という会話は、焚き火が終わればこの現実を引き受けるしかないという静かな決意にも聞こえます。
2000年に出版されたこの短編集はどれも1995年2月という設定で、被災地とは関係のない所で生きる人々の心にあの地震がおよぼした「何か」を物語ります。わたしはこれらの物語の背景にある「理不尽で巨大な暴力」に無力感を持ちながらも、この作家のほかの作品と同じくなぜか「救済」への強い意志を感じます。松井しのぶさんの絵と出会った時に感じたものは、ここでいう「救済」と同じものだったのだと今は思います。

わたしは壁掛けカレンダーが好きです。時をきざむことも日々を重ねることも、スマートフォンや携帯電話に閉じ込められて久しいですが、ひとを愛する心や平和でありたいと願う心、助けてと叫ぶ肉声や暗闇を見つめる孤独な夜を、たかだか手のひらにかくれてしまうスマートフォンや携帯電話に閉じ込めることなどできません。
壁掛けカレンダーは、つながろうとする心たちの秘密のとびらでもあります。壁掛けカレンダーをくぐりぬけて無数の心が迷路のようにつながり、この世界をこの地球をささえ、分けあって平和にくらしていることを想像します。
世界の現実に目を向ければ、カレンダーのどの1日からも悲鳴が聞こえてきます。1995年1月17日、2001年9月11日、そして2011年3月11日と、世界の悲しい記念日はひとりひとりの死をかくしたまま、何千、何万、何百万と死者の数を数え、積み重ねてきました。けれどもその一方で、この世界に生きる60億の人々のだれかの誕生日でない日などないのかもしれません。さよならを数えるカレンダーもあれば、いのちと出会いと愛を数えるカレンダーもまた、たしかにあるのだとわたしは信じたい。
そんなことを思うと、10作目をむかえたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」が、これから先どんなひとのどんな部屋に掛けられ、どんな日々を見守ってくれるのかと、期待とせつなさでいっぱいになるのでした。
(豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.251号 2014年10月11日発行)

2015年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」の販売にご協力をよろしくお願いします。
illustration 松井しのぶ
1000円 好評発売中!!
お申し込みは 豊能障害者労働センター
tel072-724-0324 fax072-724-2395
積木屋ホームページからご注文できます。

10作目を迎えたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 歳三 より:

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    tunehiko様

    とても良いイラストです。何部か買わせていただきました。
    友人、ご近所にお配りしようと思っております。

    tunehiko様が障害者の方々に長い間かかわってこられた事を
    とても尊敬いたします。
    私の様な短気なグウタラ人間にはとても出来ない事です。

    今まで私はなるべく世間と関わりを持たない様に生きてきました。
    だから介護の事とか、障害者の方々の事とか
    気になっていましたが、関わる術が分からないまま
    過ごして来ました。今回私なりにカレンダを購入する事で
    関わりを持てるのではないかと思い購入いたしました。
    ホントに微力でお恥ずかしい限りですが
    関わる第一歩とさせていただきます。

    私は性格上、亜矢さんのコンサートに行っても前へ
    出て行って「アヤち~ゃん」と叫ぶ事は出来ません。
    後ろのスミの方で見ているだけの情けない男です。

    [tunehiko様のコメントに対して]
    私はタマタマ五木寛之に出会っただけで、
    さすがに寺山修司は名前だけは知ってましたが恥ずかしながら
    唐十郎、三上寛と言うお名前は初めて聞くお名前です。
    私も寺山修司を読み、三上寛を聴いてみようと思います。

    tunehiko様が寺山修司にハマッタと同様に
    私が五木寛之にハマッタだけです。

    最後に
    介護の事とか、障害者の方々の事とかに関わって
    見ようと思ったきっかけとなった五木寛之の一文があります。
    普段、直接的な物言いは決してしない人ですが、
    このコメントは直接的にハッキリしています。

    *********************************************
    間違った政治
     日本のいまの政治は、間違っています。高齢者の親を病気入院させても三カ月たつと「転院してください」と追い出されます。
    夢と希望をもった若者たちが介護の仕事をしたい、と福祉大学・専門学校に入学し学ぶ。ところが、介護の現場では、あまりにも悲惨です。
    過酷な労働、収入が少なく、絶望して職場を去って行く人が
    後を絶たないでしょう。

    介護関係者の給与を50%くらいはアップし、特別の資格を与える、
    必要な長期入院・看護もできる。
    そのくらい、国の予算規模からしても十分可能ですし、すぐやるべきです。医療現場でも、産婦人科や小児科の医師不足も手が
    うたれていません。
    だから、「こんな国ってあるのか」と怒り、「税金なんて払いたくない」と怨嗟(えんさ)の声があがっているのです。

    そんな現実を告発し、国民の不安と怒りを新聞・テレビなどのマスコミがなぜしっかり報道しないのか。メディアの退廃は極に達しています。
    私もメディアの中にいる一人として忸怩(じくじ)たる思いがあります。
    **********************************************************
                   -以上-

    この文に関連して私は
    フクシマの避難されてる方々を置き去りにして
    何故オリンピックなの?
    と疑問を持っています。

  2. tunehiko より:

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    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    歳三様
    さっそくカレンダーを買ってくださってありがとうございます。
    島津亜矢さんの記事だけではなく、読んでくださったことも感謝します。
    わたしもコンサートでは歳三様と同じです。亜矢さんの掲示板サイトではみなさんがとても仲良く懇親されているのをうらやましく思います。
    また、わたしが障害者とかかわってきたのはただ単に障害者と友だちになったからで、特別なことではありません。
    彼女たち彼たちの「障害」は実はさまざまな個性であり、その個性によって生きにくくされているのならば、ともだちとしてともにたたかおうと思いました。
    わたしは70年安保の時もなにもしなかったのですが、それから十年以上もたって障害者と出会うことで、はじめて社会的な活動をはじめたのでした。

    オリンピックも、歳三様の感じ方にまったく同感です。

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