松井しのぶと宮沢賢治とわたしの青春2

にわかにパッと明るくなり、日光の黄金(きん)は夢のように水の中に降って来ました。
波から来る光の網が、底の白い磐(いわ)の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。
「やまなし」宮沢賢治

ひとはだれでも、自分を待っていてくれるなつかしい風景を持っています。それをあるひとは青春と呼ぶことでしょう。そこでは行方不明のこどものわたしを引き取りに来るはずの、大人になったわたし自身を待っています。その気になればいつでもわたしはその時と場所に帰っていくことができるのです。
わたしにとってその時と場所は、1965年夏、和歌山県すさみの海の小さな入り江でした。
高校3年の夏、友だち4、5人と和歌山に行きました。手のひらに小さな山ができるぐらいの薬を飲み、一膳飯屋をしながら兄とわたしを高校まで行かせてくれた母に、息子を旅行に行かせる余裕などありませんでした。いま思えば身を削るようにして蓄えたわずかなお金から、旅行の費用を工面してくれたのだと思います。
わたしのはじめての旅は、段取りをしてくれた友だち・あのK君のいたずらで実は泊まるところも決めず、急行「きのくに」に乗ったもののどこの駅に降りるのかも気分しだいで、その後はヒッチハイクで白浜に行くことになりました。不安を横に夏の小さな冒険は夜おそく降りた、すさみ駅からはじまりました。その夜はつり宿に泊めてもらいました。あくる朝、海岸にそった道路を白浜に向かって歩きはじめました。片っ端に手をあげるものの、そんなに簡単に車が止まってくれるわけはありませんでした。
夏の太陽は容赦なくそそぎ、わたしたちは思わず海にとびこみました。そこはなんのかわったところもない入り江でしたが、水がこんなに透明になることができるのかと思いました。底には色とりどりの石がばらまかれ、小さな魚たちがわたしたちを無視して泳いでいました。わたしは仰向けになり水の中で目をあけました。夏の太陽はゆらゆらと光のカーテンを編んでいました。
小学校から高校まで、わたしは母親しかいないことや貧乏であることよりもなによりも、どもるくせに悩んでいました。同級生たちに「こいつとつきあったらどもりがうつる」といわれたことや、授業中にどもって本が読めなかったことを、いまでも時々夢に見ることがあります。心を硬く閉じてしまった対人恐怖症の少年が大人になるには、どれだけの時間が必要だったのでしょう。
ところがどうだ、この水の中で感じる世界は、なんと美しく、わたしをこんなに大きくやさしくいとおしくせつなく、「だいじょうぶだよ」とつつんでくれるのでした。もうだれひとりわたしを笑いとさげすみで見るものもなく、わたしはきらきらかがやく世界の一部になりました。
太陽の光が波にゆれるたびに、水の中のさまざまな塵や小魚、小石までもが小さな泡をぷくぷくゆらし、光と影がダンスをくりかえす。わたしのかたくなな心からとめどなく涙があふれ、海の水に溶け込んでいきました。
「わたしはもう一度ここに来る。」と、その時誓いました。
「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」という口上ではじまる宮沢賢治の「やまなし」は、幻燈で小さな谷川の底をのぞきこむと、かにの子どもたちがくりかえす呪文のような会話に引き込まれ、わたしたち読者はかにと同じ川底から世界を見ます。
その川底には何か、大きな自然の謎につつまれた生と死の原風景があり、おそるおそる幻燈をのぞき込むわたしたちに、きびしくもある生のかがやきを教えてくれるのでした。
この短い童話を読むと、高校3年の時に見たあの入り江の風景を思い出すのです。「もう一度ここに来る」と誓ったわたし自身への約束はいまも果たしていません。というよりその入り江がどこにあるのか、わたしにはまったくわからないのです。
あれから50年近く、わたしはいつのまにか大人になり、長い時を生きてきました。わたしの心は、そう簡単には世界と折り合いがつくわけではなかったし、いま人生をふり返ると、とりかえしがつかないことばかりを悔やむこともたしかにあります。
けれども、もしあの入り江と出会っていなかったら、わたしはひとを愛することも夢をすてないことも、友と希望を分かち合うことも知らないまま生きてきたと思います。
そしていま、わたしは松井しのぶさんのイラストと出会う幸運をもらいました。彼女のイラストはまさしく宮沢賢治の「やまなし」の幻燈そのもので、どこかほの明るく、やさしい透明な光がゆれています。
そのイラストの鏡の中をのぞきこむと、そこでは過去と未来と記憶と夢が溶け合い、なつかしい夢と青春が微笑みながら手をふっているのです。
宮沢賢治の童話がそうであるように、松井しのぶさんのイラストからあふれてくる、このせつなさが何なのかずっと考えていました。
今はそれがすべてのいきものたちへのやさしいまなざし、小さないのちのひとつひとつが死と隣り合わせにいっしょうけんめい生きる静かな意志、そしてきずつくことをおそれずにひととつながり、平和な世界を分かち合い、共に生きる希望を育てたいと願う心の手紙なのだと思っています。
それこそがわたしの人生にとってのあの入り江の意味だったのだと、いまはっきりと思うのです。

いよいよ、カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」の原画展が近づいてきました。
この展覧会は昨年から計画し、準備をすすめてきたものですが、3月11日の震災とその後の被災障害者の救援活動を経験することで、特別な催しとしてわたしたちの活動の歴史に記憶されることと思います。
みなさんのご来場を、心よりお待ちしています。

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