街を未来する子どもたちと大人たちの希望。 中西とも子さんのタウンミーティング

6月28日、箕面市議会議員・中西とも子さんのタウンミーティングに参加しました。中西さんは議会が終了するたびに議会報告のニュースを発行するとともに、タウンミーティングを開いて議会報告をされています。彼女の支持者だけでなく誰もが参加でき、質問したり、別の議題でも今気になっていることを発言できる場となっています。
今回は新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされる中、箕面市立病院の経営課題やオンライン学習、学校のトイレの改修、教室、体育館の換気扇設置、コロナ禍による弱者への影響と課題、この時期に国民健康保険料の値上げ問題など、市民生活を直撃する様々な課題における中西議員の見解と議会質問の内容が報告されました。
中でも、4か所の都市計画道路案が都市計画審議会でも本会議でも大きな議論となり、そのうちの箕面池田線~萱野東西線間の道路案は箕面4丁目・5丁目の住宅街の中を貫いていて、約1800名の反対の署名が市に提出され、パブリックコメント(市民意見)も600を超える反対意見が寄せられ、再度丁寧な説明会を開くことになったそうです。
人口減少時代に、落ち着きのある成熟した街並みを壊してまで必要な道路なのかと問えば、将来に禍根を残す計画だと思います。わたしもまた、かれこれ20年箕面市で暮らし、その中でも17年間箕面4丁目で暮らしましたので、他人事とは思えません。
8月には選挙があるので、今回参加された方は中西さんを支援するひとたちばかりだと思うのですが25名の参加があり、それも中西さんに議員をつづけてほしいと思う人たちが、箕面市の課題をそれぞれ発言され、活気に満ちた集いでした。
4年に一度選挙の時にだけ支持者を集めて支援を訴える議員さんも多い中で、議員としてごく当たり前の活動でありながら、彼女の地道な活動は特筆もので、こんな生真面目な議員を議会に送りだす箕面市民も立派ながら、暮らしの場からあふれ出る箕面市民の肉声を聞くことのできる中西さんもまた、とても幸せな議員なのだと思います。

わたしは子どもの頃、日曜の夜に英語を習いました。わたしたちの町にやってきた「洋行帰り」のきざな紳士が町の青年団の寄り合い所を借り、無料で子どもたちに英語を教えてくれたのでした。
来る者拒まずという無料の英語塾でしたが、懐中時計を持ち、名探偵ポアロか赤塚富士夫の漫画に出てくる「いやみ」にそっくりのへんな怪人だったため、集まってきたのは10人ぐらいでした。
わたしはその塾に通うのをとても楽しみにしていました。風貌とはうらはらにとても暖かくやさしいその人は、わたしたち子どものどんな事情も呑み込み、ひとりひとり、それぞれの未来が輝けるものであることを願って無償のボランティアを自らかってでたのだと思います。
子どもたちの様子をうかがい、それとなく気を配り、懐中時計に時々目をやりながらいろいろな話をしてくれました。クリスマスにはわたしたちひとりひとりにプレゼントを用意し、みんなで「きよしこの夜」を英語で歌いました。この歌はわたしが最初に覚えた英語の歌になりました。
それから約十年後、わたしが20才になった頃、わたしはその町を離れていましたが、彼は市会議員に立候補しました。その選挙は彼がリヤカーに乗り、英語塾の歴代の教え子がリヤカーを引いては辻々で演説するというものでした。
見事に当選し、何期か市会議員をしていた彼は、一回もかかさず市議会の様子を達筆の墨字で書き、町のいくつかの場所に張り紙をしました。無党派のほんとうの「市民派」議員として活躍した彼が英語塾を開いたり市会議員になったのは、ほかならぬ町の未来をつくるのは市民自身であるという、いまわたしが切実に感じる心情からだったのだと思います。
以前の記事で、わたしに民主主義を教えてくれた中学校の教師のことを書きましたが、市会議員となったそのひと、「あんどうりいち」さんはわたしに、民主主義は暮らしの真ん中で「街を未来する」ひとりひとりの子どもたちの夢とおとなたちの希望を耕すことなのだと教えてくれたのでした。
時代は大きく変わり、今では町の板塀に張り出す伝言板では伝えられない様々な課題が街の未来を複雑にしていますが、中西さんのタウンミーティングは現代版の動く伝言板のようで、今コロナ以後ますますデジタル化へと突き進むことはどうにも止められないとしても、肉声で語り合い、困ったときに助け合える、アナログによるまちづくり、コロナや自然災害に襲われても誰一人取り残されない箕面の街を育てるために、中西とも子さんのような議員を必要としていることを強く感じました。

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