武器を捨てたところから音楽は始まる みのおチャリティーコンサート2022

ひとは武器を持つこともできるが楽器をもつこともできる

7月31日、毎年夏に開かれるみのおチャリティーコンサートに行きました。
 昨年もそうでしたが、今年も新型コロナ感染症が広がる中で、出演者、主催者、観客ともより感染対策に努めながらの開催となりました。
 このコンサートは箕面市で当事者の意志や願いを共にする市民有志が立ち上げた高齢者介護施設とその利用者を応援しようと、十数年前に始まったコンサートです。
 その間に東日本大震災などいくつもの自然災害の被災者支援から、平和を願うコンサートへと広がり、今では箕面に始まり京都、石巻、広島とツアーが組まれるようになりました。
 今年も自然災害による被災障害者を支援する「ゆめ風基金」に収益を寄付しました。

 ドイツで活躍する箕面出身のヴィオラ奏者・吉田馨さんの呼びかけで、毎年交通費も宿泊費も手弁当で、会場費とわずかな費用だけで一円でも多く困難な状況にある人に収益金を届けたいという熱い思いと、第一線で活躍する演奏家として妥協しない音楽を届けたいという矜持が相交じり、毎回素晴らしい演奏を聴かせてくれます。
 今年はロシアによるウクライナ侵攻という、あり得ないはずの戦争がいつ終わるかわからない状況の中、これまでとはちがう特別な演奏会になりました。平和な暮らしを一瞬で壊され、こうしている今も数多くのいのちが奪われ、900万人ものおびただしい難民を生み出しているロシアの侵略は決して許されるものではないと強く思います。
 しかしながら、民族自決の元に集結するウクライナの「正義の戦争」がさらに数多くの人々のいのちを奪うことになるのではないかと、その理不尽で悲惨なアイロニーに心が締め付けられることもまた真実です。

英雄を必要とする時代は不幸だ ベートーベーン「英雄・エロイカ」

 そんなわたしの心の壁を打ち破るように、第一部の演奏・ベートーベンの交響曲第3番「英雄・エロイカ」のピアノ四重奏版が始まりました。今回はそれにコントラバスが加わり、オリジナル五重奏版の演奏となりました。
 「ジャーン・ジャーン」という第一楽章の有名なはじまりの2音は運命の「ダダダダーン」ほどではありませんが、演奏の始まりというよりは時代のはじまりの音のように感じられ、その後につづくやさしく美しいメロディーを際立たせます。
 今回の演奏ではピアノの入りが強く、それに呼応するようなコントラバスと相まって、私にはややざわついた、街角でのさまざまな雑音までをも演奏の手の内に入れてしまう貪欲な冒険に思えて、やや戸惑いを感じました。
 しかしながら、それは演奏の問題よりはこの会場がビル全体を立て直す予定であるほど老朽化していて、音響的には決して耳障りのいい会場ではないことと関係があるように思います。ただ、それだけに日常の生活空間の中で音楽が立ち現れるような感じがして、それが吉田馨さんには立派な演奏会場よりもとてもお気に入りなのだと思います。
 特に今回のベートーベンの「英雄」が作曲された時、ブルジョア革命からロベスピエールの恐怖政治を経たフランスの混沌の中からナポレオンが登場し、恐れや不安から新時代への期待にひとびとが大きく揺れ動いた時代でした。
 当然のことながら、ベートーベンもそのひとりでしたので、通説となっているナポレオンへのリスペクトからこの曲をつくり、その後失望したという話がどれだけ真実かどうかは別にして、彼もまた時代の風に心躍らせながら、「生涯で最高の曲」と自ら言わせたこの楽曲を作曲したことは間違いのないことでしょう。 
 奇しくも今回の演奏はそのざわざわした時代の空気感にあふれていました。
 わたしはまた寺山修司の名言のひとつ、「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」という言葉を思い出しました。

まるで世界中の悲しみが積み重なるように R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」

 第2部はリヒャルト・シュトラウス作曲による23の弦楽器のための楽曲「メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作」でした。題名通り、23の弦楽器のために作曲された曲を、今回は7人で演奏しました。
 第1部とはうって変わった静かな始まりで、専門的にはまるで何も知らないわたしでも、この曲がいわゆる弦楽四重奏曲のセオリーとは少し違うものを感じました。同じような音階なのに7人の奏者が独立したそれぞれの音律を弾いていて、それが次第に重なり合い、荘厳な音楽になっていく場に立ち会っている特別なライブ感がありました。
 わたしは世界中の悲しみが彼女彼らの演奏によって集まり、積み重ねられていく幻影を見ました。それはまるで今のウクライナのがれきの下で眠る無数のたましいの果たされなかった夢の群像のように思えたのでした。
 いつもと同じく、まったく予備知識のないまま聴いたこの楽曲が、1945年、ナチス・ドイツの敗戦の直前に、すでに81歳のシュトラウスが町並みや農村の風景が破壊され、自作の初演が行われた多くの劇場や音楽会堂も次々と瓦礫と化していく中で、ドイツの歴史や古くからの文化、伝統の喪失に対する悲しみや、崩壊していく祖国への惜別の思いを込めて作曲されたことを後から知りました。

 わたしは先日、大阪府豊中市岡町の桜の庄兵衛ギャラリーでドミトリー フェイギンさんのチェロ、新見フェイギン 浩子さんのピアノのデュオに衝撃をおぼえ、音楽もまた傷つき、避難してきたことを思い知りましたが、今回の演奏会でも安易な癒しのために音楽があるのではなく、音楽もまた傷つき途方に暮れ嘆き悲しみ、破壊されたがれきの下の無数の死者の悲鳴であり続けてきたのだと学びました。
 そして、クラシック音楽が世紀にわたるこれほど長い年月をくぐりぬけ、国家の愚かな暴力によって住む場所を追われ、家族や友人や恋人と生き別れ死に別れ、漂ってきた途方もなく無数の人々の歴史の底の真実を記憶してきたからこそ、いまも世界中でその記憶をたどり楽器を抱く若い演奏者を育てているのだと思いました。

 ドビュッシーは「言葉で表現できなくなったとき音楽がはじまる。」と言いましたが、わたしはこう思うのです。「武器を捨てたところから音楽は始まる」と…。

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