われわれは微力ではあるが無力ではない。森友問題を考える。

靴の中の小石として、アベからつながるウソ・改ざん・隠ぺい政治を終わらせよう

 わたしは20代初めの頃、大阪府豊中市庄内の工場で働いていました。工場に通っていた1965年から22年の間、この町はあたかも日本の高度経済成長の光も影も見ているようでした。まだ関西国際空港がない時代で、大阪国際空港(伊丹空港)は滑走路を広げ、国際線も国際線も増便され、発着付近の地域では空港の騒音が鼓膜をゆらしました。
 空港騒音保障でその頃ではまだ珍しかったエアコンの室外機が並び、防音の窓は閉めたまま、そして毎日といっていいほど人々が立ち退いた後のフェンス張りと「国有地」という看板が増えていきました。国の所有地として半世紀の間人々の切ない夢や希望や絶望の記憶を埋め立て、封印してきたその土地は国や大阪府や政治家や利権教育ビジネスの草刈り場としてよみがえったのでした。
 2016年、豊中市議会議員の木村真さんが現地に行くと、「学校法人森友学園 瑞穂の國記念小學院」と看板が掲げられ、2017年4月開校予定で工事がすすんでいました。
 学校の名前にも生徒募集の文言にも違和感を感じて調べると、園児に教育勅語を暗唱させたり軍歌を歌わせる森友学園が新しく開校する小学校でした。豊中市は人権平和教育の町として知られ、とくに「障害を持つ子も持たない子も共に学ぶ教育」で伝説になるほど全国に知られた町です。私立とはいえこんな学校があの豊中で、という強烈な違和感を全国のたくさんのひとが持たれたにちがいありません。
 調べれば調べるほど不当な経緯を積み重ねて国も大阪府もこの小学校の建設・開校にかかわるそのわけは安倍晋三・昭恵夫妻の特別な支援への異常な「忖度」にたどり着きました。
 2016年8月、この問題を知った豊中市民が集まり、「瑞穂の國記念小學院問題を考える会」を発足、今でも続けている街頭行動とチラシの戸別配布を始めました。
 そして、2017年2月8日、木村さんたちは土地売買契約書の金額やその他の条件が非開示されたことについて、非開示決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴しました。
 ここからこの問題はマスコミでも報じられ、全国に広く知られるようになりました。その過程で、完成間近で建設工事は止まり、瑞穂の國記念小學院の開校は取りやめとなりました。
 国の評価額の10分の1で売買され、8億円の値引きが明るみになったことも、「この問題にわたしたち夫婦が関与しているならば首相どころか国会議員を辞める」と豪語した安倍晋三氏に官僚が忖度したことも、その後の日本の政治をゆがめてしまいました。果てには財務省の公文書改ざんという許しがたい暴挙と、それを指示され、精神的に追い込まれた職員の赤木俊夫さんの自死という悲惨な出来事を引き起こしました。一方で指示した官僚も政治家もだれひとり真相を語る者も謝罪する者もいないまま現在に至っています。
 その後のわたしたちの社会がたどった道は、政治への不信が渦巻く中、権力を持った者はどんなことをやっても裁かれることもないという風潮がまん延し、「民主主義の死」と言ってもいい絶望的な袋小路へと行き詰ってしまいました。

もう間に合わないかも知れないと白井さんは語り、これからの政治を語る主語を誰にするのかを考えたいと金平さんは言った

 そんな恐怖にも似たあきらめの中で今年の2月18日(土)、「森友学園問題を考える会」主催の、「7年目に突入、森友問題 アベからつながるウソ・改ざん・隠ぺい政治を終わらせよう」という集会が開かれ、約500人の人が豊中曽根のアクア文化ホールに集まりました。
 最初に元豊中市議会議員の山本いっとくさんから、2017年2月8日の提訴から国会での議論、「瑞穂の國記念小學院」開校阻止、院内集会、カウントダウンイベント、さまざまな抗議行動、そして、公文書改ざんから赤木俊夫さんの死、そしてなぜ夫は死ななければならなかったのかを国に問う赤木雅子さんの裁判など、「森友問題」の経緯が語られました。
 その後、木村真豊中市議会議員の進行で、金平茂紀さんと白井聡さんのトークセッションが始まり、国葬強行、軍備増強、原発推進などアベ政権以上にひどい岸田政権の現状について語り合われました。
 金平茂樹さんは国葬儀式を赤木俊夫さんのおつれあいの雅子さんと見学、献花のために並んだ26000人の人々を見て「ここにいる人たちは私の夫が亡くなったことなど覚えていないでしょうね」と言った雅子さんの言葉が重かったと話します。
 白井聡さんは、「忖度」という言葉が流行したが、国家機構そのものが劣悪化し、日本の政治・社会状況は落ちるところまで落ちた。安倍、菅、岸田と政権が変わったことに意味はなく、中国を仮想敵国とするアメリカにすり寄った政治という構造はなにひとつ変わっていない。そしてここ10年、国家権力が人々から強制的に取り立てたお金を一部のひとたちがいかにして自分たちに取り込むかという私物化がすすみ、その象徴が「森友問題」だとおもう。
 選挙ではなぜ自民党を勝たせているのかという木村市議の質問に対して、金平さんは「大阪ではなぜ維新に票が投じられるのか理解できない。彼らは極右政党で、歴史観、教育観もめちゃくちゃ、関西のメディアが作り出したメディアモンスターでトランプと同じではないか」。
 白井さんは、「維新は地方議員を増やすことで足腰をつくっている。それは維新が面倒見が良いというのもあるが、選挙民があまりに無関心であることにも起因している」と。
 最後に、厳しい状況下、一筋の希望はどこにあるかとの木村市議の問いかけには、金平さんは「主語を誰にするかを考えたい。森友事件でも具体的に誰が公文書改ざんを決め、無理にさせられた人もいる。やはり、市井の人たちが個々の具体的な事実に声を挙げていくことが大切。事実をきちんと残していくことが大切で、そのことは自分にも問われている」と話しました。一方、白井さんはかなり悲観的で、「日本人が正気に帰ることができるかどうかわからない。日本人全体、僕たちがそれはダメなんだと思い切れるかどうか」、また教育の大切さについても語り、何が正しいかを考えられるような素地をつくることに希望を持ちたいと話しました。

土の下に眠る記憶と、「雨にも負けず」と、あきらめない心と、住民自治と

 最後に木村さんは、「森友問題は終わっていない。私たちは声を上げ続ける。そして、日本の政治を問い続けたい。私たちは微力ではあるが無力ではない。わたしたちは靴の中の小石、うっとうしい存在として、いつかは歩けなくすることにつながると信じていきましょう。今日、これだけの人たちが足を運んでくれたことに希望を感じる」とまとめました。
 思えば、木村真さんがいつものバイクで町の路地という露地を走り回るすがたは、宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩を彷彿させます。小さなシグナルを見逃さず、その問題を自分一人のものとせず、豊中市民を信じて情報を公開し、市民とともに考え、行動するからこそ、森友学園問題は日本のアブナイ政治の縮図としてわたしたちに届いたのだと思います。
 決して国政に打って出たりせず、あくまでもアスファルトの下の土の記憶とともに、豊中市の市議会議員であり続けることに、すごさと尊敬と、共感を感じずにはおれません。  
 4月に統一地方選挙がありますが、木村真さんが今後も続けて森友学園問題だけでなく、誰一人取り残されない助け合いのまちづくりと、図書館、公園などの公共施設の民営化に待ったをかけるなどの地域の課題とともに、地域とつながる日本社会の問題を住民自治の課題とする担い手のひとりとして、力を尽くしてほしいと願うばかりです。

金平茂樹さん
白井聡さん
木村真さん