村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は「ノルウーの森」や「国境の南、太陽の西」に近い作品のようで、前作長編「1Q84」や「海辺のカフカ」などの大掛かりなインターテイメント性のないリアリスム小説と言えるかもしれません。
といって「ノルウェーの森」や「国境の南、太陽の西」にあるドラマチックなところもなく、物語は淡々とつづられ、村上作品の中では読みやすい小説ともいえるかもしれません。
わたしはむしろ「1Q84」や「海辺のカフカ」の波乱万丈な物語を通り過ぎたひとの後日談のようにも思え、これまでの作品に登場し去って行った登場人物やちょっとおしゃれなレストラン、音楽や街の風景などの村上作品アイテムの数々が比較的短い小説の中でたびたび姿を現し、あらためてこれまでの小説をもう一度読みたいと思いました。

36才になる多崎つくるは名古屋の公立高校を卒業、東京の工科大学の土木工学科に進み、東京の鉄道会社で設計管理する仕事をしています。
彼は高校時代に特別に親密な関係を作っていた親友4人から、大学2年生、20才のときに突如、理由も告げられないまま絶交を言い渡され、心の底では今でもそのことをひきずっています。そして、はじめて付き合いたいと思える女友だちから、「なぜ4人から絶交されたのかを確かめ、決着をつけないと女友だちとのこともふくめ、新しい一歩を始められないと助言されます。
4人のかつての友人はみんな名前に色がついていて、それぞれアカ、アオ、シロ、クロとよびあっていたのですが、多崎つくるの名前には色がなく、つくると呼ばれていました。
小説の題名となっている「色彩を持たない」つくるという設定は、そのままこの物語の核心となっていて、「あるところのものであらず、あらぬところものである」という実存主義を喚起させますし、「巡礼」というキーワードもどこかベルイマンの映画のようでもあります。
大手旅行代理店に勤める彼女が4人の現住所と仕事場を調べてくれたのをたよりに、封印されていた歴史と向き合うためにつくるの「巡礼の旅」がはじまります。その旅で明らかになっていくのは残酷な事実でした。(ネタバレになってもいけないので、あらすじはここまでにします。)
高校時代に5人がつくっていたとても深い関係を、多崎つくるは「自分が正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている、そう信じることができた」と語っています。しかし、そのような場所は失われ、「完璧な共同体」と思われた親友たちとの関係は損なわれてしまいます。自殺寸前まで自分を追い込んだ彼は1年を経て立ち直ったものの、いまだに心の底にはこのことが説明のつかない傷となって残っています。
誰もがこのような経験を持っているのかもしれませんが、実はわたしにもとてもよく似た経験があり、今までの村上作品以上に身につまされる思いで読みました。

わたしの高校生活はとてもみじめな毎日でした。それは単にわたしがどもりである以上の理由はなかったのかも知れません。中学に入ってからは一時どもりが収まり、自分でもびっくりするぐらい積極的になっていましたが、はっきりとした目的もなく漠然と普通高校から大学へと進学したいと思った時、突然どもりが再発したのでした。
母は片手に余るほどの薬を飲み、女手ひとつで私と兄を育てるために命を削るように一膳飯屋を切り盛りしていました。まだ高校の進学率が低かった時代で、せめて高校には進学させてやりたいと夜も昼もなく働いていた母の姿が今でも目に焼き付いています。
それでも極貧に近い経済状態を子供心に知らないはずはありません。どもりの原因などわかるはずもありませんでしたが、大学進学など絶望的であることを体が教えてくれたのかもしれません。
ともあれ、手に職を持ったほうが良いと言われ、ほんとうは興味のない工業高校の建築科に入ったわたしは、専門の勉強が増えるにしたがって成績もどんどん下がり、最後は学校もサボるようになっていきました。
そんなわたしでも2人の友人と出会います。2人とも建築科で、しかも美術部に入ったことで友人となり、私たち3人は試験中でもデパートの屋上で夜まで学校への不満をぶちまけたものでした。
その頃、別の高校の美術部の女子生徒3人とグループ交際をはじめ、結局この6人が高校卒業後も月に1、2回会うようになります。そして、そのうちの5人で二戸一の住宅を借り、共同生活をすることになるのでした。
時は1960年代後半、70年安保闘争、大学紛争、ベトナム戦争と日本も世界も騒然としていました。このころについては映画「マイ・バック・ページ」に関する記事など、このブログですでに書いていますが、わたしが何度もこだわってこの頃のことを書いてしまうのは多崎つくるとよく似ていて、あのころのさまざまな出来事が今でも決着をつけられず心の壁にへばりついているからなのです。若さと青春ということで決して片づけられないある種のうしろめたさ、甘酸っぱい思い出と取り返しのつかない心の傷、現実離れした幻想と切ない希望、そして、血を吐くような恋…。
わたしは何度もこのグループから離れようとしましたが、そのたびに友人がかけつけてくれて、ほかの人たちとでは決して持つことができない友情を確認することになるのでした。多崎つくるたちのグループでは3人の男と2人の女という微妙な組み合わせで、心の底では恋心が飛び交っていたもののそれを覆い隠すことで関係を続けていましたが、わたしたちの場合は公然とした恋愛関係を内包することで、よりもろくより激しく危ないものになっていきました。
ほんとうはたださびしい甘えん坊の意気地なしでしかないのに、起こるはずもない、また起こそうともしない革命幻想にひたり、自分たちはほかのひとたちとは違う一段エライ人間のように思う勘違いと傲慢さが、わたしたちを友人と思うそれ以外の人々を寄せ付けず、どんどん風通しが悪くなり、そのグループでしか通じない習慣やゆがんだルールをつくることになっていきました。
やがて、わたしたちはまるでそのように運命づけられていたようにグループを解散することなるのです。
(つづく)

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