村上春樹と寺山修司と豊能障害者労働センター

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。
最近は彼の新作が出版されるたびにニュースで取り上げられ、前作の長編「1Q84」の時はかなりの騒ぎになりました。今回の新作も発売前から予約が殺到していて、わたしは少し後に本屋さんに行ったのですがやはり予約しなければなりませんでした。
わたしは1979年に「風の歌を聴け」でデビューした村上春樹の小説が、けっこう長い間苦手でした。1987年に空前のベストセラーになった「ノルウェーの森」も何年後かに娘にすすめられ、文庫本を読み始めては最初の数ページで挫折していました。
そんなわたしでしたが1998年、ちょっとしたきっかけで豊能障害者労働センターのリサイクル本から「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年刊)を買い、はじめて村上春樹の小説を読んだのでした。
それからは一冊ずつ年月をさかのぼり、「風の歌を聴け」までたどると、それからは新刊が出るたびに読み続け、現在に至っています。
わたしはほんとうのところ読書家とはいえず、今でもそうですが小説はあまり読みませんでした。
若いころは、小説という虚構の世界の登場人物がどう生きてどう死んでいくのか、そのひとの夢も希望も野望も絶望も他者との出会いも別れも作者という絶対権力者の思いのままであることがどうしてもなじめないことのひとつでした。そんなわけで若いころはもっぱら詩やエッセイや時には哲学や思想など、虚構というよりは現実に寄り添うような本を読んでいました。
しかしながら、いつのまにか自分がもう若くはないと思い始めたころ、ひとつは豊能障害者労働センターの障害者との出会いから、わたしは大切なことを教えてもらいました。
それは、現実と思っているものはわたしが思う現実であり、他人が思う現実はまたちがった風景を持っているということでした。
そう思い返せば、わたしは若いころに寺山修司が大好きで、寺山修司の我田引水と思えるような現実のとらえ方に親しんでいたことを思い出しました。寺山修司が若い私に教えてくれたことは、客観的現実などというものより、自分の肉体や感じる心を通った私的現実・エロス的現実に身を投じることでした。
そして、社会のすべての領域のあらゆる権威というものに疑いを持ち、天下国家や社会の在り方を論じる分厚い書物よりも、藤圭子が「十五、十六、十七と、あたしの人生暗かった」(「夢は夜ひらく」と歌うパチンコ屋や飲み屋、深夜映画館や競馬場や路地裏にもうひとつの現実があり、その現実を想像力によって思想化することでした。
若いころは「書を捨てよ、街に出よう」とか「家出のすすめ」とか、寺山修司の挑発がもうひとつわからなかったのですが、豊能障害者労働センターとの出会いによって、その意味が自分の体と心にしみるように実感できるようになりました。
1983年、寺山修司が亡くなり、精神的支柱というか心のよりどころというか、実人生で出会っていたわけでもないのに、わたしの心にぽっかりと穴が開いてしまいました。
しかしながら、わたしはその時すでに豊能障害者労働センターの周辺で、いままでまったく経験してこなかった「社会的な活動」に参加していて、若いころから慣れ親しんだ哲学書や思想本や歌謡曲や芝居などから感じるすべてのことを現実の場で検証し、肉体化することに熱中するようになりました。
他のひとたちが障害者の運動やボランティア活動などの社会的な活動をへて豊能障害者労働センターの活動に参加したのとはちがい、まったくの白紙の状態で活動に参加したわたしは、見るもの聴くものすべてが新鮮でしたし、「福祉」という枠組みなど無関係に、ひとりひとり個性のちがう障害者との新しい出会いに夢中でした。

そんな暮らしの中で、わたしは虚構や物語がひとりの人間の人生においても、また社会においてもとても大切なものであることを実感するようになりました。ひとつの事実にはその事実とかかわり、立ち会った人の数だけの「真実」という物語があり、その物語をどれだけ共有できるかで人生の楽しみや、柔らかく多様な価値観が共存できる社会の可能性が広がることを知ったのでした。
わたしが村上春樹の小説を読むようになったのは、そんな心境の変化があったからだと思っています。ほんとうはどんな小説でもそうなのでしょうが、村上春樹の小説を読むと、書き手である村上春樹が小説の中の登場人物を思いのままに描き、動かしているようには思えないのです。
彼の小説は阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件があった1995年以前とそれ以後とで大きく変わったといわれますし、本人もそれを認めています。しかしながら、村上春樹も最初はどこにたどりつくかはわからない物語の行方を探しながら書いていて、時間的な落差を追いかけるように読み手であるわたしもまた自分の物語としてその行方を探しながら読んでいるような、奇妙な錯覚をしてしまうのです。
うまく言えないのですが、村上春樹はどちらかというと小説家というより、現実とのやりとりから生まれるいくつもの物語をエンターテイメントとして構成するプロデーサーのようなんです。彼のつくる物語はたとえ特別な地域の風土や文化が背景に描かれていても、そこに住んだひとしかわからないような特有のにおいというものがなく、それを批判するひともたくさんいますが、むしろ彼の小説に出てくる人間の心の井戸を想像力という掘削機で深く掘ると世界のいたる所の地下深くとつながっていくのです。
具体的な場所や民族や固有の文化からさらに深く掘り続けた底の底にあるアイデンティティをよりどころに、物語はその井戸の底から湧きあがるように読者に届けられ、世界中のちがった場所でちがった時に、彼の物語の構造に肉付けするようにちがった物語があふれてくるようなのです。
その仕組みというか虚構の構造は昔も今も変わらないのですが、ただそのプロデュースが個人の責任の持てる比較的小さな物語の世界から、1995年を経て、たとえ自分ひとりで責任を回収することができなかったとしても社会全体、世界全体を物語の工事現場としてとらえなければならなくなったといえるでしょうか。

正直のところ、わたしは彼の小説のどこにそんな魅力があるのと友人に聞かれても自信を持って答えられません。
それぞれの小説のストーリーの展開や登場人物の魅力にはじまり、とくに最近の小説で評される社会的な啓示や同時代へのメッセージがあるのかないのか、あるとすればそれはどんな啓示でどんなメッセージなのか。賛否両論から「好き嫌い」まで、世間を騒がし、世界を騒がしてしまう現象はなぜ起こるのか。その現象は単なる文学の庭だけの現象なのか、それとも日本の、世界の在り様にかかわり、村上春樹もわたしたちもどんな世界をめざし、夢みているのかなど、ひとつの問いに答えようとすると次から次へと自問があらわれ、結局のところ「好きだ」としか言えなくなるのです。
最近はイスラエルやスペインなどの文学賞受賞のスピーチや新聞への寄稿、エッセイなどで社会的な発言も積極的にするようになり、それを参考に村上春樹の考え方や生き方から小説を語れる部分もできるようになったところもあるかもしれませんが、わたしはそれは矮小なものだと思います。
やはり彼の小説の魅力は、虚構の構造を読者に提供することにあり、わたしたち読者はその構造(ジャズでいうコードのようなもの?)に基づいてわたしだけの物語(アドリブ)をまるで前に経験したことがあったように読みとく楽しみにあるように思います。
新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に入る前に紙面がいっぱいになってしまいました。新作については次回以降に書きたいと思います。

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