映画「マイ バック ページ」と川本三郎

映画「マイ・バック・ページ」が公開されています。「リアリズムの宿」、「リンダリンダリンダ」、「天然コケッコー」などの作品で知られる山下敦弘監督はいまわたしが見たい映画監督のひとりで、このひとの映画なら必ず観に行くことはまちがいありません。まして原作が川本三郎で、いまもおぼろげながら記憶している朝霞事件(赤衛軍事件)に当時朝日ジャーナルの記者だった著者が巻き込まれた実話だと知り、明日かあさってにも映画館に行くつもりです。今回のブログでは映画を見た感想もふくめて、「わたしのマイ バック ページ」を書いてみたいと思います。
わたしはそんなには映画を見ないけれども、映画が子どものころから好きで、豊能障害者労働センターのスタッフだった時には映画の上映会も何回か開いてきました。
子どもの頃、街のたったひとつの映画館で観た「鞍馬天狗」や「オテナの塔」、「清水の次郎長」は雨がふったような縦線だらけで、時にはフィルムが焼けて上映がとぎれてしまったものでした。
高校を卒業してから4年間、大学紛争と安保闘争で騒然としていた頃、それはちょうどこの映画と同じ時になりますが、わたしが見る映画はいつのまにか東映の映画ではなく、ゴダールやトリュフォー、大島渚などの「ヌーベルバーグ」に変わり、梅田にあったATG専門の映画館に出入りするようになりました。そしていくつかの映画評論の雑誌を読みあさり、よくわかりもしないのにいっぱしの映画評論家?気取りで数少ない友だちと夜遅くまで議論したものでした。
そのころの映画評論は時代背景もあるのですが国家のありようや革命論など、政治的社会的なところから映画を論じ、いつもだれかとだれかがけんかしていましたが、その中でわたしは断然、寺山修司の映画評論が大好きでした。彼の映画評論は大部分の論者とはまったくちがった個人的なアプローチから映画を語り、時には彼特有の屁理屈で物語を捏造し、彼の世界観へと論を広げながら時代を切り取るその語り口はきわめて鮮烈でした。
わたしは彼の映画評論集「地球をしばらく止めてくれ ぼくはゆっくり映画を観たい」を何度も読み返したものです。

寺山修司が亡くなり、独特の語り口で「もうひとつの映画」を見せてくれる映画評が読めないと思っていたら、ある日の新聞に載った映画評論がまったく同じといっていい切り口で映画を語っているのを発見しました。それが川本三郎でした。その時はほんとうにうれしかったことを覚えています。
それからしばらくして、知る人ぞ知る「映画新聞」に長い間映画評を書いていたのがうれしい思い出です。映画新聞は映画を愛する市民の運動で発行されていたもので、その「映画新聞」の心意気を川本三郎だからこそ応援していたのだと、今回の映画がきっかけで知ることができました。
次回には、この映画を観た後に思うことなどを書いてみたいと思います。

ボブ・ディラン「マイ・バック・ペイジズ」

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