困難な時代のラブソング 長野たかし・森川あやこ 新アルバム「残り時間」

波間に漂う 小舟のように
辛いことが 続いても
きっといつかは 祈りは届く
OH' Hard Times, come again no more
(スティーブン・コリンズ・フォスター・作詞作曲 長野たかし・訳詞 )

11月4日、エスペーロ能勢で開かれた長野たかし・森川あやこのライブは、わたしの大好きなこの曲から始まりました。
コロナ禍のもと、ライブがことごとくできなかった9か月間、今年は古希を迎えるということで考えていたツアーも取りやめとなる中で、長野さんは「歌うたい」の原点に戻るように歌づくりに専念し、次々と新曲が生まれました。
歌づくりとともに、単発的なライブが同時並行でつながっていったこの数か月、多くのミュージシャンがそうであったように長野さんも長い音楽人生を振り返り、今、そしてこれから自分がどんな歌をつくり、どんな歌を歌うのか、そして同時代のひとびとがどんな歌を求めているのかを考え、世情の風を感じながら、ひとつひとつの言葉と音をかみしめ、まだ青い空が朝を呼び寄せる前の薄明るい闇に眠る歌たちを目覚めさせたのだと思います。
それは、コロナという惨禍のただ中にいて、世界中の専門家の予測や政治家のあざとい言説に惑わされず、現実を真正面から見つめ、大きなかなしみをささやかな希望へと生まれ変わらせる力を見逃さない歌の持つ力を信じることでもあったのでしょう。
実際のところ、2017年からしか知らないファン歴の浅いわたしですが、この数か月の長野さんの変貌に驚きました。
実は、最初に長野さんの歌を聴いたとき、違和感がありました。それはわたしがプロテストソングやメッセージソングにある正義感のようなものに拒否反応を持ってしまうからでした。60年代でしたか、ピート・シガーが、ボブ・ディランがエレキギターを持ち、ザ・バンドと「フォークロック」に転向?したことを批判し、それまでのファンだったひとたちがディランの演奏をボイコットするといった事件がありました。
わたしは、弾き語りのディランの歌とそれ以後の彼の歌とが違うものとは思いませんでしたし、ディランの歌は昔も今もラブソングだと思っています。60年代の激動の世界で、社会の様々な問題を鋭く歌うフォークソングやプロテストソングが席巻したあの時代、歌は時代の写し鏡である以上に権力者への告発と抑圧された者たちの叫びを代弁する時代の証言でもありました。圧倒的な熱量でたたみかける直接的なその歌詞は、時代の底から聴こえてくる地響きをメロディーにしていました。
ピート・シガーが亡くなるまでその熱情を持ち続けたことは素晴らしいことでしたが、ボブ・ディランの変遷もまた時代の声に耳を傾けてきた結果だと思うのです。
素人の考えと許していただければ、それは言葉だけでなく、言葉のない演奏も含めた音楽そのものがメッセージや思想や希望を持っていて、ジャズやクラシックだけでなく、ロックへと至るインストルメントもまた時代の風を感じ、時代を変える力を持っているのだと思います。
若い時からそんなことにこだわっていたわたしは、そんなわけで長野さんの歌を素直に聴けなかったのですが、ここ数年、世の中が良くない方向へと流れていくのを時代の漂流者として通り過ぎ流れていくだけで人生を終えてしまっていいのかと自らに問いかける時、長野さんの歌がその流れにあらがおうと試みるわたしを応援してくれているように感じるようになりました。
思えば多感な年ごろだった青い時、ワシントン行進、ケネディ暗殺、そしてビートルズの来日と、海のかなたからやってきた衝撃の大波にのまれ、わたしはといえば高校を卒業して友人と共同生活をはじめ、夢と希望と不安をないまぜにし、大阪の東通り商店街の場末にあったいかがわしいお店「オー・ゴー・ゴー」でいつもかかっていたボブ・ディランの「時代は変わる」に心を震わせていました。路上に出れば70年安保のデモ行進が街を塗り替え、同じ世代の若者が彼方の「自由」へと石を投げ続けていました。
社会に順応できないどもりで対人恐怖症のわたしは高校が世話してくれた会社を半年でやめ、心斎橋をずた袋を抱えてぶらぶらしてはおまわりさんに呼び止められるような毎日を迷走していました。あの時に巷から聴こえてきたフォークソングはただ単に同時代の若者たちの青春の証だけではなく、多感なわたしの心の重い扉をこじあけ、真っ白な光に包まれた何の根拠もない「明日」の荒野へと一歩踏み出す勇気をくれたのでした。

あれから約半世紀をすぎた今、時代はまたフォークソングを必要としているのかも知れません。芸能人の不倫騒動に大騒ぎする報道に隠れた新聞の三面記事や公衆便所の落書き、「死にたい」とSNSに書き込む匿名の叫び、繰り返される理不尽な事件、秒刻みで迫るマスコミのランチメニューを広げる空虚な毎日…、コロナ禍のもとで全国に点在する多くのひとびとが孤独を心に隠しながら「わたしは何者か?」と思いまどう時、長野さんの歌は彼女彼らの心のすぐそばにあり、生きる勇気を耕してくれることでしょう。

だいじょうぶ 大丈夫
あなたを見守る人はそばにいる
だいじょうぶ 大丈夫
あなたを見守る人はそばにいる
(「だいじょうぶ」 作詞作曲 長野たかし)

コロナ禍につくられたニューアルバムのタイトル「残り時間」は、人類滅亡までの残り時間とともに、わたしたちがもういちど人生をやり直せる残り時間、ひび割れた世界と日本の格差と分断をなくしていく残り時間でもあるのでしょう。
「こぶしを振り上げるだけではない音楽を作らねば」と、長野さんが同時代に生きるわたしたちに精いっぱいの愛をこめたラブソングを収めたアルバム「残り時間」は、長野さんの音楽の最も深い理解者でもあるボーカリスト・森川あやこさんとのデュエットによって、たしかにわたしたちに届けられたのでした。

「私に嘘はつかないで」 作詞作曲 長野たかし

長野たかし&森川あやこ「時代は変わる」

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