中村哲さん講演会の打ち上げと「ともに歩む結みのお」
9月9日、アフガニスタンで農業復興や医療支援に取り組む中村哲さんの講演会の反省会と打ち上げに参加しました。
1984年に医療支援でパキスタンのペシャワールに赴任した中村医師は、国境を越えてやって来るアフガニスタン難民への医療活動を広げてアフガニスタンに診療所を開きました。
2000年、アフガンを襲った大干ばつは再び多くの難民を生みました。多くの病気は清潔な水と食料があれば防げるもので、中村医師は「病は後で治す。まずは命をつなぐことだ」と井戸掘りを始め、2003年から用水路の建設に乗り出しました。
ソ連侵攻以来の内戦で荒廃し、洪水と干ばつを繰り返すかつての穀倉地帯を再生しなければ治安も平和もいのちも守れないと井戸掘りからはじめ、用水路の建設をすすめ、みごとに緑あふれる農地の復活を成し遂げました。
現地に派遣された日本人技術者がハイテク機器を駆使する援助ではなく、アフガニスタンの現地農民を1日600人雇用し、スコップやつるはしと簡単な建設機器と日本の江戸時代の灌漑工法によって年月をかけたローテクの支援は、武器を持つことでしか生活できなかった農民に仕事を用意し、少しずつ豊かだった農地がよみがえるプロセスを現地のひとびとと共有する、とてもながい道のりでした。
「ペシャワール会」の中村哲さんの講演会を箕面で開きたいと実行委員会を立ち上げた旧知のひとたちと活動を共にできて、とても楽しい時間を過ごすことができました。
実行委員会は箕面の市民活動団体「ともに歩む結みのお」に参加、活動する市民とその友人たちによって立ち上がりました。
「ともに歩む結みのお」は、誰もが生き生き暮らせるように知恵を寄せ合い、力を出し合い、ともに歩んでいく新しい形の助けあい組織として2009年に誕生したグループです。
このグループの活動はホームページや関連のブログに紹介されているように目覚ましいものがありますが、ここにくるまでには長い年月をかけ、福祉から文化、まちづくり、平和の祈りまで多様な分野での地道な活動が続けられてきたのだと思います。
わたしが豊能障害者労働センターで働いていた時、当時は国も大阪府も箕面市も障害者施策はとても貧しく、障害者が町でひとりの市民として暮すという当たり前の要求にこたえられず、障害者は大人になっても親と同居か、いま私が住んでいる能勢町をはじめとする山間の居住施設(収容施設)に入り、市民としての暮らしはおろか、学校時代の友人とも引き離されて一生を暮らすのが当たり前とされた時代でした。
そんな時代、福祉の専門家と称されるひとも行政も、またそれまで長く障害者にかかわるボランティアをしてきた市民までもが、「障害者が当たり前の市民として暮していける街をめざし、障害のあるひともないひとも共に働くだけでなく、ともに運営を担い、障害者の給料をつくりだす」豊能障害者労働センターの活動は荒唐無稽な夢物語と一笑に付され、さらには過激なグループとも言われました。豊能障害者労働センターが活動を続けていく中で、旧来のボランティアのひとたちも福祉の仕事をしているひとたちも、つぎつぎと去って行きました。
その時、「あたりまえの市民」として、豊能障害者労働センターの思いを受け止めてくれたひとたちがわたしたちの前に現れました。そのひとたちの応援がなければ、今の豊能障害者労働センターはなかったか、どこにでもある障害者が通う作業所のようなものでしかなかったことでしょう。
実際、障害者にかかわる当時の福祉制度にくわしいひとほど豊能障害者労働センターのことをわかってくれなかったことを、福祉制度を熟知せず「ふつうの市民感覚」を持ち合わせた市民たちに理解され、圧倒的な応援をもらったことが後に財団法人箕面市障害者事業団の設立をはじめ、箕面市独自の制度と政策を牽引することになったのでした。
今回の中村哲さんの講演会に参集された実行委員の人たちの中に、わたしが箕面で働いていたころの旧知の人々が少なからずおられ、なつかしさとともに箕面を離れて12年の間に箕面の市民活動が広がるとともにつながりもまたより豊かなものになっていることを実感しました。その中でもとりわけ地道ながら大切な活動をつづけているグループのひとつが「ともに歩む結みのお」であることも実感しました。
ひさししぶりに彼女たち彼たちと一緒に準備をすすめ、当日大盛況のうちに終わるまで参加させていただいたことを感謝します。
わたし自身、箕面を離れて12年、その間に吹田市江坂町にある妻の母親の家から現在の能勢町に移り住み、障害者運動のつながりで大阪で働いてきましたが、35才の時からかかわってきた豊能障害者労働センターを足場に活動した箕面には愛着があります。
もちろん、今の箕面にわたしの居場所はありませんが、それでも箕面時代の友人が少なからずいて、これからも何度も箕面に行くことになるでしょう。
仕事をやめて早や20日がすぎ、わたしのワンダーランド・能勢での暮らしがそろそろと始まりました。といっても、たとえば農業をはじめたりしたわけでもなく、働いていた時の休日とかわらず、韓流ドラマや2時間ドラマの再放送などを観て一日を過ごす毎日で、もちろんこのままでいいはずはなく、少しずつ残り少なくなった人生の一日一日をどう過ごすかをこれからゆっくりと考え、実行して行こうと思っています。
そして、箕面でいろいろなひとと知り合い、いろいろなことを一緒に活動したようには行かないと思いますが、能勢町でも少しずつ友達をつくれたらいいなと思います。