疲れることが許されない街から排除されていくひとびとともに

このまちがすき
このまちでいきるひとたちのかなしみさえもきぼうにかわる
このまちがすき

箕面の思い出と中西とも子さんのこと

 梅雨明けと同時に本格的な暑さがこたえる夏になりました。
 この暑さの中で、箕面の市長選挙と市議会議員選挙がもうすぐ始まります。わたしは箕面市民ではありませんが中西とも子さんを応援しています。
 環境、教育、人権、ジェンダー、LGBTQ+など、言葉やカテゴリーで語られる前に、自分らしく生きたいと望む市民の側から街を愛し、街の未来を考え、その信念のもとで毎日毎日地道に活動をつづける人であること、そして「たったひとりの流す涙もむだにしない街」をめざして市民の思いを受け止めてくれる、箕面の街にいてもらわなければならない大切なひとだと思います。
 わたしが終の棲家と思っていた箕面を離れたのは2003年の暮れでした。箕面に住んでいた頃働いていた障害者事業所は長時間労働で、今から思えばコンプライアンス違反ばかりの活動で、その上とても貧乏でしたが、それでもわたしの人生でもっとも楽しかった日々でした。
 わたしは世間知らずで、それまで世界のことも世の中のこともまったく知りませんでした。思えば箕面で数多くのひとたちと出会い、学んだことがわたしの人生の宝物になったのだと気づきます。世界のいたる所で繰り返されてきた悲惨なことも、またその理不尽さと格闘してきた先人たちのメッセージも、箕面での活動がなければ受け取り感じることはできなかったでしょう。

世界の半分しか見てこなかった

 2001年のアメリカ同時多発テロの時、テレビの向こう側で空爆直前のアフガニスタンの子どもたちの見開いた瞳に、こちら側のわたしはどのように映っているのだろうと思いました。わたしは今まで世界の半分しか見ていなかったのだと思いました。中村哲さんが国会で「今必要なのは爆弾ではなく、食料です」とアフガニスタンの切羽詰まった飢餓を救う援助を日本政府に求めた時、意図せずともその飢餓にわたしも加担してしまっているのではないかと思いました。今もまだ、世界は暴力によってかけがえのないはずのいのちを奪いつづけています。
 箕面を離れて20年、行くたびにこの街の風景もずいぶん変わったことを実感します。北大阪急行の延伸工事によって誕生した萱野中央駅が賑わいの中心となり、慣れ親しんだ西地区はずいぶん寂しくなったように感じてしまいます。何も賑わいだけがすべてではないと思うのですが、駅前は駐車場になり、それはそれで便利がいいのかも知れませんが、もう少しこの街の深い歴史を大切にする街づくりもあるのではないかと感じることもあります。箕面の友人に聞いたところ、箕面駅から千里中央行のバスは萱野中央駅行となり、本数もずいぶん少なくなったようです。
 たしかに箕面市もまた多くの地方都市と同じように、よくも悪くもより都市化へと進もうとしているのでしょう。わたしが住んでいる里山に囲まれた農地の多い能勢町とちがい、大阪市という大都市の周辺都市として人口減を押しとどめるには交通、買い物、飲食の利便と、アミューズメント施設、観光と住宅開発による都市化をすすめるしかない実情もあるとは思います。
 近隣の街では公園や図書館に商業施設が入り、保育所などの地域のコミュニティがつぎつぎと民営化され、街は元気なひとびとの欲求を満たすために改造され、それでも満たされない心とねたみが交差し増幅する…、東京がそうであるように地方都市もまた見果てぬ「成長神話」のとりこになっていくように思います。
 しかしながら、人口減をくいとめるために人口を奪い合う都市化競争は結局のところ地域社会の格差とそこに住むひとびとの分断を生み出し、疲れることが許されない街から排除されていくひとびとを生み出すのではないでしょうか。高齢者や障害者だけではなく、若い人たちのなかにも心を閉ざして毎日を生きる人たちがたくさんいるのではないかと心配です。日本の自殺者数が減少する中で、若い人の自殺は世界でも抜きん出て多く、「助けて」という声が届かない社会や政治に参加する道もふさがれているのが実情ではないでしょうか。

疲れることが許されない元気な街からこぼれ落ちるひとびと 

 中西とも子さんは、疲れを許さない元気な街からこぼれ落ちるひとびと、これからますます増え続けるだろう多くのひとたちとともに、ゆるやかではあっても安心できる街、「助けて」という声が届く街、ひとびとが対等であるとともに助け合うことができる街をめざして活動を続けてきたのだと思います。
 街が今までの姿を壊し、新しく造りかえられるのは時代の常ですが、その一方で街は歴史にならない無数の記憶と夢を持っているとわたしは思います。路石を一枚めくればこの街で生き去って行ったひとたちもこれからこの街で生きるひとも、時を越えた無数のひとびとの記憶がめくるめく懐かしい風景とまだ見ぬ風景とともにあふれるでることでしょう。
 中西とも子さんが見つめる街の風景は、きっとそんな風景であることでしょう。