時代の重い扉の向こうに新しい風 難波希美子さんの町議会議員選挙

人は皆 山河に生れ 抱かれ 挑み
人は皆 山河を信じ 和み 愛す
そこに 生命をつなぎ 生命を刻む
そして 終には 山河に還る
(小椋佳「山河」)

10月18日に投開票された能勢町長選挙と同時に行われた町議会議員補欠選挙において、難波希美子さんに1287人のひとびとが投票してくれましたが、大阪維新の会の候補が2441票を獲得し、託してくださったみなさんの想いと夢を議会に届けることができませんでした。わたしたちの力がおよばなかったことをお詫びします。
棚田100選にも選ばれている長谷の棚田の裾野にある「きねんだ」という一等地の農地に水耕栽培のスプラウト工場をつくる計画を知り、自然をこわしてまでもコロナ禍でより不確実になった経済成長の夢にすがりつくのではなく、かけがえのない自然を生かした、顔の見える豊かな経済を能勢の未来に届けたい。町が企業誘致に走る背景にある後継者不足に悩む農林業従事者への思い切った支援と、移住希望者への積極的な働きかけと定住支援の充実、また能勢でも農作物の被害や土砂災害がつづく待ったなしになった気候危機への対応などを町と町民が共に考えていくことを求め、難波希美子さんは町議会議員選挙に立候補しました。 もちろん、これらの問題は能勢町という枠組みだけで解決できないことばかりですが、だからこそ能勢という辺境といえる地域で考え、話し合い、できることを実行しながら、大阪府や国に提案していくことが地域創生時代の市町村の役割とわたしたちは考えます。

今回の難波希美子さんが立候補した選挙は、能勢町の「大事件」でした。
空気を読んだり、口当たりのいい言葉や名前の連呼で有権者におもねるではなく、「自然と共生するゆるやかな縮小経済」など反発されるかも知れないことも率直に訴える彼女の姿勢は、能勢のひとびとを信じるがゆえのことでした。
選挙活動の中で、能勢の町の姿が変わっていくのが実感できました。「きねんだ」の問題を、ざら半紙に白黒で印刷された、けっして見やすくはないチラシを数多くの方々が読んでくださり、「このチラシではじめて知った」、「何が問題なのかわかった」と言ってくださったり、街頭アナウンス車に仕事の手を止めて応えてくださったり、スポット演説を最後まで聞いてくださり握手を求めてこられたりと、日を追うごとにそんなうれしいことが次々とおこりました。
難波さんのことは能勢町ではそれほど知られてなくて、一か月前から準備を始めた時間に追われる選挙でしたが、わたしたちの想いは確実に広がり、後ろを振り返ると50代、40代の就農者のひとたちがわたしたちを後押し、支えてくれるようになっていきました。
推薦はがきを書いてくれたり、難波さんの提案を同世代の仲間に知らせてくれました。
若いひとたちだけではなく、80歳を超える高齢の方も「能勢は変わらないと」と隣近所はもとより、友人にも電話してくれて、推薦はがきもたくさん書いてくれました。
飛ぶ鳥を落とす勢いの大阪維新の会公認候補が、告示の10日ほど前に立候補を決めたにもかかわらず2441票も獲得できたことは維新の会の人気がすさまじいものであることを改めて感じさせました。すでに能勢の中に熱烈な支持者がたくさんいて、いつでも選挙ができる体制が出来上がっていることを痛感しました。
それには及ばなかったことは現実ですが、それでもなお、難波希美子さんの場合はほとんどゼロから積み重ねて1287人の請託をいただいたこともまた、たしかな現実です。
終わってみれば、時代がまだ難波希美子さんに追いついていなかったということでしょう。能勢の未来からの使者ともいえる難波希美子さんのこれからの活動は、今回出会った人たちの力を借りて、彼女彼らと共に現実を未来の輝かしい時代にふさわしいものに変えていくことなのだと思いました。
応援してくださったすべてのみなさん、日常の仕事をやりくりして選挙の事務仕事をになってくれた能勢農場と能勢産直センター、北摂協同農場、北民連の若い人たち、農業・林業に携わる若い人たち、そしてなによりも、難波希美子さんに大切な一票をくださり、夢を託して下さった1287人の方々に感謝します。ありがとうございました。
選挙を勝ち負けで語るのではなく、時代の重い扉を開くチャンスとした今回の選挙は、たくさんの宝物を難波希美子さんとわたしたちに授けてくれました。
少しだけこじ開けた時代の重い扉の向こうに、新しい風に吹かれる能勢の未来が垣間見えた選挙でした。

島津亜矢「山河」 小椋佳作詞 堀内孝雄作曲

ボブ・ディラン「時代は変わる」( The Times They Are A-Changin' )

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