愛することを怠ったことの、代償は小さくはない 映画「永い言い訳」

映画「永い言い訳」を観ました。このごろのわたしの映画感想の口癖ですが、痛い映画でした。
映画「永い言い訳」は「ゆれる」、「ディア・ドクター」、「夢売るふたり」の西川美和監督が、第153回直木賞候補作にもなった自著を自身の監督、脚本により映画化したものです。西川監督は彼女自身のオリジナル脚本で映画をつくり、それをまた小説にもする貴重な映画監督ですが、彼女自身が言っているように、それは時として閉ざされた自分だけの世界を多くのスタッフや俳優によって開かれていくプロセスが映画になっていく感じがして、映画づくりそのもののドキュメンタリー性が魅力的な職人肌の監督だと思います。

津村啓というペンネームでテレビのバラエティなどでも活躍する人気小説家の衣笠幸夫(本木雅弘)は、ある日、長年連れ添った妻・夏子(深津絵里)が旅先で突然のバス事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。だが夏子とは既に冷え切った関係であった幸夫は、その時不倫相手と密会中。世間に対しても悲劇の主人公を装い、涙を流すことすらできなかった。そんなある日、夏子の親友で同じ事故で亡くなったゆき(堀内敬子)の遺族であるトラック運転手の大宮陽一(竹原ピストル)とその子供たちに出会った幸夫は、ふとした思いつきから幼い兄妹の世話を買って出る。なぜそのようなことを口にしたのか、その理由は幸夫自身にもよくわかっていなかったが……。

皮肉なもので、引退したらシニア料金でどんどん映画を観ようと思っていたのに、そうなってみると大阪の北の果て・能勢に住んでいると梅田に出るだけで無収入の身には交通費がかさばり、結局は前よりも映画を観ることがめっきり少なくなってしまいました。
そんな事情で、よさそうな映画をどんどん飛ばし、自分の中でこれは絶対に観に行かなくてはと思う映画を厳選すると、「永い言い訳」になってしまいました。
それにしてもこの監督は女性でありながら男ごころを描くのがとても上手で、それも男のだめさ、いい加減さ、自意識過剰さ…、およそ男の厭らしさを徹底的にえぐる、それも映画は男を直接非難するのではなく、男が自らの身と心を持ちこたえられなくなり、どんどんと自己崩壊していくまで追い詰め、見つめ続ける…、とても残酷な優しさを持った監督だと思います。
東日本大震災を経験した後、「大切な人との愛に包まれた別れではなく、後味の悪い別れ方をした人の話を書いてみたかった」という西川監督は世間的な道徳観とはまったくちがい、妻がバス事故で死んだとき、愛人との情事にふけっていた幸夫を非難するのではなく決して許しません。彼がうろたえ、じたばたしたり後悔したりしながらそれでも自分を取り繕う姿を、体のすみずみ、心のすみずみまでカメラを回し、決して手を緩めてはくれません。
妻が死んだというのに涙も出ない、実は関係は冷え切っていたのに、愛する妻を亡くした悲劇の夫の役を演じさせる。愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはないと気づくまで追い詰めていくのです。
一緒に死んだ高校時代からの親友の夫は真逆で、自分の感情をそのままぶつけ、恥ずかしげもなく大泣きし続けます。今までの幸夫なら、決して友だちになるはずもない男との間に芽生える奇妙な友情。そして、母を亡くした悲しみをここに深くしまい込み、妹の世話をするために中学受験をあきらめようとする兄と、母の死を受け止めることができないのだろうか、わがままで天真爛漫で、それでいて大人の嘘や都合をしっかりと読む妹。トラックの運転手で週に2回は夜勤で帰れない父親。
幸夫は子どもたちのためにハウスキープをすることになります。子どももつくらず、自分勝手に生きてきたと言える幸夫にとって、それは思いがけない心境でした。他人のために自分ができることをしようと、今まで自分のためにしかなかった時間と身体を使おう、そんな気持ちになったのは、子どもたちのいじらしさだけが理由ではなく、反対にこどもたちが幸夫を受け入れてくれたからでした。実際こんなに性格の悪い幸夫が、なぜか子どもたちには自然に心を開いていくのでした。
これだけを言えば、パンフレットや予告編にあるような、再生の物語のようですが、わたしは監督が、映画が彼に与えた「永い刑罰」の始まりなのだと思います。
妻の突然の死が幸夫にもたらした不思議な疑似家族がそれほど長くは続かないこともまたたしかなことで、映画は冷徹にゆっくりとカメラを回します。幸夫が人間らしい心をとりもどしていけばいくほど、妻の気持ちを顧みず妻とともに生きることを捨ててきた事実を突きつけられるのです。
まさしく「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない」(原作小説)のです。
取り戻せない過ちと取り戻せない人生と、それでも人は生き続けなければならない、生き続ける言い訳はとても永い言い訳なのでしょう。
主演の本木雅弘は映画の前半の鼻持ちならない自己中心のいやな奴から、映画が進むにつれてどうしようもなくだめな男、いままで目を向けることをしなかった人生のもろもろにつまづき、おろおろおどおど前のめりになりながら、心に押し込めてきた感情を爆発させ、そのことでまた自己嫌悪に陥る孤独な男を好演しています。彼の姿を見て自分と重ね合わせる男は多いことでしょう。わたしもまた、あまりに思い当たるところばかりで、スクリーンから目をそむけたくなることが何度もありました。
少しだけネタバレになったとしたらお許し願って、西川美和監督が最後にこんな幸夫に救済の手を差し伸べるのか、ぜひ映画館でごらんになってください。

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