SEALDs KANSAIの野間陸さんのお話を聴いて・ピースカフェ豊中

4月30日、豊中の「 ピースカフェ豊中with SEALDs Kansai 」に参加し、SEALDs KANSAIの野間陸さんのお話を聴きました。
SEALDs KANSAI(シールズ関西:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s KANSAI)は、自由で民主的な日本を守るための、関西圏の学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。
2014年に特定秘密保護法や2015年7月の憲集団的自衛権等の安保法整備の強行採決など、武器を持たない国から武器を持って海外でも「集団的自衛権」や「国際貢献」として軍事行動ができるようにした現政権の危険な動きに反応し、街頭や国会議事堂前で安保法制の廃止と、今年の夏の参議員選挙で与党が3分の2の議席を獲得し、憲法を変えようとする動きを止めようと粘り強く活動されています。
一連の行動が注目され、同世代の若者をはじめ、60年安保闘争や70年安保闘争、ベトナム戦争反対運動などを経験してきた団塊の世代を中心とする中高年など、広い世代から共感を寄せられる他、海外のメディアにも再三取り上げられてきました。
わたしは70年安保闘争で町も時代も騒然としていた頃、学生運動をしていた人たちと同年代でしたが、直接的に政治行動をしたことはありませんでした。高校を卒業して建築事務所に半年務めたもののやめてしまい、ビルの清掃をしながらこの社会から逃走し、身を隠すことしか考えていなかった私は、自らこの世の中を変えるために学生運動をしているひとたちからはダメな奴と言われていましたし、わたしの方もまた彼らが語る言葉になじむことができず、彼らが盛んに言っていた「人民」の中にわたしが入っていないことを確信していたのでした。
それでも時代の風はわたしの頭上にも届き、わたしもまた彼らの心情や希望や情熱と近い所に自分の心を置いていたことも事実でした。これは今も言えることですが、その頃に街頭行動などに参加しなかった数多くの若者に、全共闘といわれた同世代の若者の行動が強く影響を与えないはずはなく、わたしもまた逃げるばかりではなく、わたしなりに時代と向きあわなければならないと思うようになりました。
そして、1970年以降、少しずつ世の中の理不尽さに立ち向かうひとびとと共に活動するようになり、やがて箕面の障害者の運動に入り込むようになりました。

20才になったばかりという野間陸さんのお話でまず興味深く感じたのは、彼が政治や社会に目を向けるようになったきっかけが東日本大震災だったことでした。当時中学生だった野間さんはその時はまだテレビの映像から衝撃を受けただけだったのが、新潟の全寮制の高校に入り、被災した同級生の直接的な体験を聞くことで、身近な問題としてとらえるようになったといいます。ひとが傍観者から当事者に変わって行くプロセスに実体験が大きな役割を持つことは間違いないのですが、自らが体験しなかったことも友だちの実体験を肉声で聞くことで変わって行くこともまたたくさんあることを、わたし自身の体験もふくめてあらためて知りました。
わたしはシールズの街頭行動をテレビで最初に見た時、ジョンとヨーコがずいぶん前に世界によびかけた「WAR IS OVER」のプラカードを見つけて、彼女たち彼たちがとても身近な存在と感じました。最近の若者のデモが昔に比べて緊張感がないとかヒップホップを流しながらアピールすることを「遊び」とみたりとさまざまな批判もあります。
しかしながら、政治のことを考えるのは専門的なことではなく、明日のバイトで何日しのげるとか学校の授業もきちんと行かなくてはとか、友だちと出会ったり恋をしたりする日々の暮しの中で、国会にしかないと思っていた政治が自分の人生と深く結びついていることを知る彼女たち彼たちの姿勢はとても自然なことだと思うのです。
反対に選挙で一票投じることすらしないひとも多い中で、いままでわたしもふくめて大人がどれだけ政治を「専門家」に代行してもらうことで、「一部の人間の一部の人間のための一部の人間による政治」が小さなサークルの中の多数決で強引にすすめられてしまう事態を招いてしまったことに気づかされるのです。
秘密保護法案から集団的自衛権、安保法制と、目の前の問題に対して反対行動をしている間に、彼女たち彼たちは「民主主義は何だ」というラジカルな問いかけを自分にも他者にもするようになります。その問いかけは政権側の政治家や学者たちが声高にいうように一部の人間が騒いでいるだけではなく、今を生きるわたしたちすべてのひとに届く大きな質問になったのだと思うのです。
シールズやシールズ関西を「希望」と言う大人たちもたくさんいて、たしかにまぶしいまでの若さからあふれ出る言葉は、かつての若者だったわたしたちの言葉とはまったちがい、暮らしの中から生まれる自分の言葉で、その内容も話しかたもとても魅力的で説得力があり、セクシーで肉感的であったりもします。
「ぼくは今の世の中に絶望したことはありません。希望をもったことがないからです」と言った野間さんは同時に「ぼくたちを希望にしないでください」と強く、そして柔らかく話します。そして「ぼくたちはぼくたちのできることしかできない、みなさんはぼくたちにはできない、みなさんができることをしてください。共にやりましょう」と結びました。
野間さんたちを希望にしてしまっていいはずはありませんが、少なくとも野間さんたちの行動によって、今はまだ行動できなかったり、わたしのようになかなか自分の意見をきちんと言えないたくさんのひとびとが勇気をもったこともまたたしかなことだと思うのです。そしてその勇気を育てるのはわたしたち自身であることも気づかせてくれました。
いま憲法が変えられてしまう可能性をもった参議院選挙をひとつの到達点にするさまざまな行動が進められていて、わたしもおくればせながらその中に入って行こうと考えていますが、その結果は必ずしも望むものではないかもしれません。
しかしながら、そうであっても「絶望したことはない、希望を持ったことがないだけだ」と語る野間陸さんの言葉をかみしめ、勇気の種を育て、いつか花開くことを願って生きるしかないのだと思いました。
とても貴重な会に参加でき、この会を開催された豊中の方々に感謝します。

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