能勢町議会選挙と映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

1999年に制作され日本でも2000年に公開された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、アメリカを代表するギターリスト・ライ・クーダーが国際舞台から忘れられていたキューバの老ミュージシャン達と演奏、制作した同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が大ヒットとなったのがきっかけで制作されたドキュメント映画です。
ライ・クーダーの友人で「ベルリン・天使の詩」の監督・ヴィム・ヴェンダースによって、キューバ国外にほとんど知られていなかった老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっています。アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演まで、海外公演の様子も映し出されています。
彼らがカーネギーホールを最後に華やかな演奏旅行を終え、自由の女神と、そびえたつ繁栄の町・ニューヨークの夜景を見つめます。
それまでの貧しいキューバの町並みと路地とこわれかけた建物を見続けてきた観客のわたしは、彼らがこのまま亡命するのではないかと思いました。
若い頃はアメリカに経済的にも文化的にも支配されていた中で彼らの音楽があったはずで、久しぶりに繁栄するアメリカ文化に触れ、彼らの心がなつかしさとせつなさに埋め尽くされるのが画面から伝わりました。
けれども、彼らはキューバに帰ってきます。そして、薄汚れた壁には「革命は永遠だ」という言葉がにじんでいるのでした…。
わたしはなぜか、今回の能勢町議会議員選挙で、大平きよえさんの街宣車を見てこの映画を思い出したのです。
大平さんの街宣車のスピーカーから聞こえてくるのは、この町に暮らす女性のとつとつとした訴えで、大平さんの演説もまた失礼ながら他の候補者の流ちょうな話し方とは程遠く、それがわたしには快く聴こえる以上に涙が出てきました。ずっと昔、箕面の八幡たかしさんや豊中の入部香代子さんの選挙をした時のことです。言語障害を持つ脳性マヒの障害者が街宣車や電話で訴えるのですが、何を言っているのかわからないのです。それでもひとが必死で何かを訴える時、多くの人に無視されても何人かのひとが必死でその話を聞こうとするのを目の当たりにし、まだまだ人の世は捨てたものではないと思ったものです。

能勢町は消滅可能性都市として全国24位にランクされています。町を活性化し人口減少を食い止め、農業など地域の産業を興し雇用創出をはかる…、それらが急務であることは間違いないのかも知れません。
しかしながら、日本社会全体で人口が減少していくとされている中、どの地域社会においても、他の地域から人もお金も流入させ、他の地域に人もお金も仕事も流出させない競争にのみ駆り立てられるのは、少し違うようにも思うのです。
キューバの老ミュージシャンが華やかなアメリカから、貧困でも自分の町に帰ってきたのは我が町に誇りを持っているからなのだと思います。
能勢町を支えてきた旧村と言われる地域の住民も、わたしのように能勢の自然に魅入られてやってきた新住民も、誇るべき我が町・能勢を愛する気持ちに違いはありません。
そして、消滅可能性都市と認定される我が町・能勢は、そのような認定をする都市型の繁栄に憑りつかれた20世紀のビジョン、成長率ではかる豊かさではなく、わたしたち住民自身が里山能勢をささえてきた先人たちの知恵を生かし、生活者の目線で助け合える地域社会を町行政と町民と町議会の協働でつくりだす、いわば里山民主主義の入り口に立っているのではないでしょうか。
大平さんはまさにそのことを一期目の町会議員としてこの4年間、「協働とは何か」と訴えてきたのだと思います。

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