映画は世界を変えることはできないけれど

映画「オールドオーク」 ケン・ローチ監督が最後の最後に渡してくれた希望
7月9日、ケン・ローチ監督の映画「オールドオーク」を観ました。イギリスの労働者階級や移民たちの日常生活をリアルに描き、社会派の映画監督として知られるケン・ローチ監督が「わたしは、ダニエル・ブレイク」、「家族を想うとき」に続いて「イギリス北東部3部作」の最終章とした映画でもあり、自身最後の映画として撮りあげた映画です。
ケン・ローチ監督の映画作りは俳優を職業としないひとたちを起用したり、あえて脚本を渡さず、時には意図的に脚本を完成させないなど、本来のドキュメンタリー以上に自然な状況とリアルな演技を引き出す独特なスタイルでも知られています。またその独特の手法とつながって最初のシーンから順番に撮影していくことで、俳優にも映画を観るわたしたちにも映画の中を流れる時間を共有することになります。それは社会や地域の矛盾と、そこで生きる人々の逡巡や決意、後悔などを観る者にとって他人事にできないメッセージが込められていることにもなります。
かくいうわたしは、ケン・ローチという名前をなんとなく知っているぐらいで、2006年公開の「麦の穂をゆらす風」をたまたまレンタルビデオで観ただけでした。それも内容をまったく知らず若者の青春映画と思って借りたものの、アイルランド独立戦争とアイルランド内戦を背景に、兄弟が共に戦いやがて対立することになるとても切ない映画だったことを鮮明に覚えています。今回の「オールドオーク」の紹介を新聞記事で観て、面目ない限りですが「あの映画の監督だった」と思い出したのでした。
希望は決してわかりえないと思う心のずっと奥の方からやってくる
映画は2016年のイングランド北部の田舎町が舞台になっています。タイトルの「オールドオーク」はイギリスの伝統的なパブで、物語の主人公TJが細々と経営しています。この町では寄りあう公共の場はすでになく、唯一このパブだけが住民が集まれる唯一のコミュニテイーの場となっていて、いつも常連さんがたむろしています。2011年以降のシリアの内戦によって故郷を離れざるをえなかったシリア難民が周辺国へと避難する一方、ヨーロッパ諸国に流入する人々も多数いて、イギリスもまたシリア難民を受け入れていました。
産業革命発祥の地でもあるイギリスは古くから炭鉱の町がたくさんあり、炭鉱を中心に町は発展し、繁栄しました。イギリスの炭鉱は、第二次世界大戦後の労働党政権のもとで1946年に国有化されました。また労働環境の改善など求めて炭鉱労働者の組合運動も活発で、炭鉱労働者の団結心がそのまま町の一体感と誇りをもたらしていました。
1980年代炭鉱が次々と閉鎖となり大きな労働争議が起き、最終的に閉山となった町から多くの人が去っていきました。国からも社会からも見放され、かつての輝きを失った田舎の貧しい町で何十年も暮らしてきた住民にとって、言葉も習慣もまったくちがうシリア難民が引っ越してくることに、とまどいを持ったとしても無理もないのかもしれません。そのとまどいが差別感にまでなってしまうのは、貧しくて未来にまったく希望や夢を見つけられない絶望感、この国の経済と町を支えてきたことが顧みられず、かつての誇りをもて余している住民にとってはとても簡単なことなのかもしれません。
バスでシリア難民がこの町にやってきます。バスから降りたシリア人家族の一人の若い女性ヤラのカメラを住民の一人が壊してしまいます。パブ「オールド・オーク」にやってきたヤラの頼みでカメラをなおしたのがきっかけでTは彼女の夢を知り、ヤラの家族とも付き合うようになります。TJは、炭鉱閉鎖の時には組合側の闘士で、周囲の人間を優先しすぎて妻子に見放され離婚したという過去を持っています。シリアの難民を受け入れられない常連客の古い仲間たちのヘイトを聞きながら相槌を求められるTJですが、遠くの国から命がけでやってきた難民のために何かできることはないかと考えるようになるのでした。
やがて、シリア人たちを擁護するTJたちと、移民を目障りだと思う常連客との対立が表面化し、住民同士の新たな対立を引き起こすことになり…。
ベトナム難民だったクゥイさんが教えてくれたもの 異質な文化と出会う戸惑いが好奇心に変わるまで
最近の日本社会の外国人排除の世論は目を覆うばかりですが、ヨーロッパ諸国は労働力としてだけでなく、社会を担う一員として外国人を受け入れてきた長い歴史があります。それはまた、帝国主義、植民地支配や奴隷貿易など負の遺産とともにあったこともまたほんとうのことなのでしょう。何周遅れのように技能実習生制度で「安い労働力」を確保しながらも移民の受け入れを積極的に進めないできたわたしたち日本社会はもとより多様性社会とは言い難く、いわゆる「よそ者」を受け付けない社会、違う民族や違う文化、違う性や違う個性を発見する喜びを知らない偏狭な社会だとつくづく思います。
わたしもまた、そんなこと考えもせずに若い時を過ごしていましたが、1975年のベトナム戦争終結後の難民をわたしが働いていた会社でも受け入れることになり、おくればせながら世界の紛争や国内の人権問題を考えるようになりました。
実は、わたしが働いていた会社は大阪府豊中市の町工場といっていい小さな会社でしたが、わたしの親友が同じ会社にいて、クリスチャンだった彼は教会の要請もあり、彼の尽力でベトナム難民の受け入れることになったのでした。
「ボートビープル」として、両親がなけなしのお金を出し、小さな船に詰め込まれ、転覆して命を落とす危険と隣り合わせに海を渡ってきた彼・クゥイさんがわたしの相棒となり、冬は冷たい風が吹き抜ける倉庫でただひたすら一緒に機械部品の数を数えていた時のことを今でもはっきり思い出します。彼と弟のハさんのために用意したアパートを訪ねると部屋にぎっしり友人たちがいてびっくりしたのですが、彼らの中には住む場所がない人もいて、いつも何人かが部屋にいたようでした。会社は他の従業員と同じ待遇で彼らを迎え入れ、日常的にわたしの友人が住むところだけでなくなれない生活の相談もしていて、我が友ながらいいやつだなと改めて感心しました。わたしは17年務めた会社を1987年に退職したのですが、最後の3年間は会社の生産管理をシステム化することを仕事にしていたのですが、クゥイさんにいつも助けてもらいました。
彼はその後システムエンジニアとして会社のシステム構築の責任者として長らく活躍したようです。会社のベトナム難民の受け入れはそれからも続け、社会主義国となったベトナム政府にも信用され、わたしの親友を社長とする合弁会社をベトナムに設立し、少なからずの人が雇用されているようです。しかしながら、残念なことに私の親友は2008年に、またクゥイさんも3年ほど前になくなってしまいました。
クゥイさんとの3年間はわたしにいろいろなことを教えてくれました。ちょうど、わたしが豊能障害者労働センターと出会ったのも同じ時で、一度に世界がパッと明るくなり、国内外のさまざまな問題がなぜ起きてなぜあるのかを考えるようになり、生きることがとてもうれしくなりました。
共に生きることは夢でも幻でも理想でもなく、切ない心を生き抜く勇気をくれること
映画「オールドオーク」に登場するひとたち、炭鉱で働いていたひとたち、命からがらイギリス北部の寂れた町に移民として暮らすひとたち、彼女彼らに支援の手を差しのべるボランティアのひとたち…。映画はケン・ローチらしく彼女彼らの心の内をイギリス北部の炭鉱の町と、ひとびとの居場所としてのパブとともに映し出します。
ひととひとが人生を分かち合える宝物、それは他者を思いやったり苦しい事もうれしい事も共に生きた共通体験から生まれるもので、かつて炭鉱の組合運動で「共に食べて団結を」とたたかってきた住民たちが共に生きる同志として難民を受け入れることができるのかを問うこの映画は、ヨーロッパの現実をリアルに映し出すとともに、人口も決してまだ多くない外国人を排除することで自らのうまくいかない人生に復讐しようとしているわたしたち日本人に、きわめて個人的にまたきわめて政治的に、立ち止まり対話し、共に生きる勇気の大切さを教えてくれました。
ケン・ローチ監督の映画はリアリズムに徹していて、決してハッピーエンドであったり恣意的に希望を装うことがない事が多いようですが、この映画では夢なのか幻なのかシリアの人々がよって立つ大きな旗を中心に、シリア人もふくむ町じゅうの人々がパレードするシーンで終わります。それはずいぶん長い間イギリスの人々の現実をみつめ、それを政治の問題として映画を撮り続けたケン・ローチ監督が最後の最後に彼自身の人生をかけてかすかに見える希望、祈りとも思える願いを世界中のわたしたちと共有したかったのだろうと強く思うのです。


