あなたの弱音こそが政治の課題 大椿ゆうこさんのこと

大椿ゆうこさんを知ったのはそんなに前ではなく、たしか2018年ごろだったと思います。古い友人のひとり、増田俊道さんのフェイスブックの記事で、大阪教育合同労組が芝居をするという案内があり、大阪市内まで出向いたのがきっかけでした。
増田俊道さんとは組合活動とは無縁な付き合いで、彼が箕面東高校の教員だった時に知り合い、箕面の障害者問題の集まりでいつも一緒に行動してくれた友人です。
また大阪教育合同労組は、わたしが箕面で障害者の事業所で働いていた時に、障害者スタッフの泊まり介護(そのころは無償介護で知り合いや友人に働きかけしていました)に来てくれた鶴丸春吉さんを通して、結成されたばかりの組合運動の話を聞いたり、障害者の問題なども話したりしました。
わたしは組合のない職場でずっと働いていたこともあり、障害者の活動を支援してくれた日教組とは仕事上で大変お世話になったにも関わらず、労働組合とそれほど親しくお付き合いしたことはありませんでしたが、鶴丸さんのおかげで教育合同労組は心情的にとても近い存在になりました。
当日の芝居については、申しわけないのですがほとんど記憶に残っていないのですが、集まりの最後に委員長の大椿さんがあいさつされました。
話の内容とかは芝居と同じようにほとんど記憶にないのですが、行く手の闇を手繰り寄せ、切羽詰まった心情を隠して淡々と話す彼女の声がいつまでも心に残りました。
教育合同労組や北大阪合同労組など「一人でも入れる組合」の特徴なのかもしれませんが、困難に見舞われているひとりの人間に「その問題はあなたのせいではない」と励まし、寄り添い、その問題を押し付ける相手に向かって共にたたかってきたことが身体全身にあふれ、言葉の端々ににじんでいました。
次に会ったのは、箕面の友人たちとLGBTQのパレードに行った時、増田さんと一緒に大椿さんも参加していました。その時の彼女の印象は組合の集会とはまったく違っていました。
組合の集会ではやや硬い表情の中で、遠くを見つめるように組合運動から政治活動へと活動の場を移す切実な覚悟のような強さを感じさせましたが、パレードでは柔らかくしなやかな表情からこぼれ落ちる笑顔がすてきでした。
「ああ、このひとはこの路上から立ち上がり、それぞれひとりひとりちがうところで生まれ育ち、かけがえのない個性を持つひとびとが当たり前に暮らし、助け合って生きる街や社会や国をつくる夢を持てる、稀有の政治家になれるひとなのだと思いました。
そして、彼女と一緒に大阪の街を歩いていることがうれしくて、誇りに思いました。
不正や理不尽なこと、差別を許さないと、心を揺さぶられる鋭く熱い言葉でひとびとと彼女自身をも鼓舞する大椿さんと、こぼれ落ちる笑顔で人の心を懐深く受け止めるしなやかで庶民的な大椿さん…。わたしはそのふり幅の広い大椿さんの両端を2度の出会いで垣間見て、それ以来気になる存在になりました。
ロストゼネレーションで就職氷河期に大学を卒業した大椿さんは、観光地での写真屋のアルバイト、パン屋、ブティック、喫茶店、駐車場の誘導、倉庫での検品にレタスの出荷作業、保育士、ホームヘルパー、大学事務、セクハラとパワハラを受けて辞めた雑貨店、朝・昼・晩と、バイトを3つ掛け持ちする日もあったという彼女は、2006年、ある大学の障害者の学生をサポートする非正規雇用の仕事につき、継続雇用を求めましたが受け入れられず、大阪教育合同労組の門をたたきました。
彼女の話を聞いてくれたひとが言いました。「大椿さんの時には勝てないかもしれない。でも次の人の時には勝てるかもしれない。それが労働運動だから」と…。
この言葉に激しく胸を打たれた彼女は労働組合に入り闘うことを決意したといいます。実際彼女自身の労働争議は実を結びませんでしたが、それを機に組合の専従職員を経て委員長になりました。
わたしはその頃のことはまったく知らないのですが、数々の理不尽な仕打ちを企業から男から社会から国から受けてきた当事者の痛みが心に突き刺さったままの彼女だからこそ、たったひとつぶの涙も見逃さず、問題を解決していった姿が目に浮かびます。
そして今、政治の場で当事者の肉声を届け、誰も取り残されない国づくりをすすめようとひたむきに前を向く大椿さんの存在が、これから後につづくひとたちにどれだけの勇気を届けることでしょう。
春に話題になったNHKドラマ「半径五メートル」で、氷河期世代のインフルエンサー野良犬こと須川恵美子は、「非正規だからと、会社の備品も使わせて貰えない。社員がやりたがらない仕事は全部回されて、8年間で昇給はたったの50円!その上、契約期間を更新されず、社員証を返却しろって言われた。こんな不当な対応をこのまま受け入れるべきではない、戦う」と言いました。そして主人公の記者が「須川さんが今、一番望んでいることは何か教えて頂けますか?」と聞くと、「謝ってほしい。」「それは、会社に対してということですか?」「違う。全日本国民に謝ってほしい。」と言い放ちました。この言葉は、自己責任と押さえつけられてきた非正規雇用の女性たちの怒りが一企業にとどまらず、社会全体に向けられていることを教えてくれます。
大椿ゆうこさんはこの言葉の先の、新自由主義のもとで広がる格差と妬みと監視と差別の終着駅からこぼれ落ちる命を救済するために立ち上がる、わたしたちの希望そのものなのです。そして、その希望が現実のものにするために、わたしたちはあきらめないでこの厳しい荒野を共に走り抜けなければならないのだと思います。

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため (中島みゆき「世情」)

安藤裕子 世情(中島みゆきカバー)

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