縦12.8センチ、横8センチの願いの彼方へ 社民党と亡き母の秘密

切ない夢の彼方から、新しい世界がやってくる

5月28日、社民党の党首・福島みずほさんの国政報告会があり、いたみホールに行きました。斎藤幸平さんがオンラインでゲスト参加し、短い講演の後、福島みずほさんとの対談も用意されていました。

 斎藤幸平さんのお話は著書「『人新世の「資本論」』でも展開されましたが、新自由主義のもとであらゆるものが商品化され、持てる者と持たざる者の格差が広がってしまったこと。人が生きるために必要な住居、公共交通機関、電気、水、医療、教育、これら公共財産(コモン)を市場任せにするのではなく、地方自治体や国がしっかり管理・提供する方がいいのではないか。「脱成長社会」はまったなしの気候危機への対処とともに、世界の人々がささやかな夢を分かち合い助け合える、平和で豊かな社会なのだと話されました。絶望的な現実に目を奪われず、日本の若者も含めて世界の若者たちがその新しい社会のあり方を教えてくれているとも…。
 福島みずほさんもまた、世界で社会民主主義が説得力を持ち始めていること共感し、社会民主党の危機は侵略戦争の加害者であったことへの反省と世界でただ一つの被爆国であることの上に立って戦後70年、平和と人権を支えてきた憲法の危機であること。そして、かつて国家による戦争によって幾多のいのちが奪われ、がれきの中で飢えをしのいだわたしたちの親の世代の苦しみを、未来を担うこどもたちに負わせてはいけないと話されました。
 そして、今回の参議院選挙に、福島みずほさんとともに立候補を予定している大椿ゆうこさん、秋葉忠利さん(元広島市長)、服部良一さんが登壇し、切々かつ凛々しく社民党に結集しようと呼びかけました。参議院選挙を前に、社民党の存亡をかけた選挙への決意を会場に集まった参加者が共有する貴重な時間になりました。

母は戦後はじめて選挙権を得た時、どんな思いで投票したのだろう

 明治生まれだったわたしの母はシングルマザーで、わたしと兄を育てるためだけに生きた女性でした。香川県の農家に生まれた彼女は教師になるのが夢でしたが、経済的にも「女は勉強より良い嫁に」という封建的な世相から断念せざるを得ませんでした。
 近所の工員さん相手に大衆食堂を朝早くから夜遅くまで働き、高校進学率がまだ高くなかった時代に兄とわたしを高校に行かせてくれたのも、自分の夢をこどもに託し、「子どもに教育だけは」と願う母の切ない想いが込められていたのでした。

  親子3人が身を寄せ合って暮らしたバラックのお店の奥、6畳一間の杉板一枚の壁には節の穴が何か所かありました。
 母は「政治の話は家族でもしたらあかん、特高が来ているかもわからへん」というのが口癖で、わたしと兄がそれは戦前の話やと言っても聞いてくれませんでした。
 わたしは高校を卒業してすぐ、家を出て友だちと大阪岸里のアパートに住みましたが、月に一度は実家に帰っていました。

 わたしが初めて選挙権を得た時、母から「はがきが来てるよ。投票しに帰って来るんやで」と言いました。「そのためにわざわざ帰るのもなぁ、投票しないのも意思表示やし」とわたしがいうと、「選挙に行くのは国民の義務や」と怒りました。わたしは今になって母の言葉にはそれよりもっと深い想いが込められていたのではないかと思います。
 戦後、女性に参政権が与えられ、はじめて投票所に行ったとき、母はどんな思いで投票したのでしょうか。それを思うと今でも母でありながら愛おしい一人の女性として抱きしめたくなるのです。苦労だけが団体でやってくる毎日を潜り抜け、子どもの成長だけをいきがにいして生きた彼女は、ある時ぽろっと、ずっと社会党に投票してきたことを告白しました。

次の時代へのラブソング、ミレーの落ち葉ひろいのように、

 大椿ゆうこさんが街頭演説で、「投票できないひとの人の一票も持って投票しましょう」と訴えるとき、いつも亡き母のことや、投票権を奪われたままの在日外国人、介護が必要で投票所に行けないひとたち、そして自分たちの未来に深くかかわることなのに投票権のない子どもたちのことを想い、胸が熱くなります。
 縦12.8センチ、横8センチの小さな紙きれには、さまざまな想いが綴られていると思います。そのことに思いを馳せ、そのひとつひとつを受け止め、共に国会にまで持っていってくれるひとだから、大椿ゆうこさんと書かれる一票一票はかけがえのない重い一票であることでしょう。ブルドーザーのような集票マシンでは集められない一票かも知れません。
 しかしながらある時、その重い一票がミレーの落穂ひろいのように次の時代の実りのための大きな数になり、大阪の日本の世界の景色が変わる瞬間を生み出すことを信じてやみません。

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