自己責任の政治から助け合える政治に 大椿ゆうこさんのたたかい

2年前の春、大阪府知事・大阪市長選挙が大阪維新の会の圧勝になった時、わたしは「身を切る改革」と民間委託を進め、公務員たたきや他者へのねたみを味方にした維新の会の政治手法は民主主義を煽情的かつ刹那的なものにしてしまったと書きました。そして、大阪維新の会もその支持者も2025年の万博とカジノで大阪の経済がもっと良くなると信じているとしたら、それは恐怖と言わざるをえないと…。
安倍政権がデフレ経済にカンフル注射を打ち続けたアベノミクスは、成長どころか経済格差を広げただけでなく、経済的にも精神的にも困難な状況に陥っても決して助けを求めてはいけないという自己責任モラトリアムを日本社会に植え付けてしまいました。
一方、大阪維新の会は「大阪の成長を止めるな」というキャッチフレーズのもと「身を切る改革」と称して公務員の所得も人数も減らし、公的医療の縮小と保健所の統廃合の結果、新型コロナ感染症による死者が全国一になってしまいました。今回の選挙で「大阪の実績」とされた「改革」はアベノミクスと同じく、広がっていく一方の格差がとうとう命にまで及んでしまったとわたしは思います。
今回の総選挙において、コロナ禍でより鮮明になった格差の広がりから信頼を取り戻すために、自民党の岸田さんは「新しい資本主義」と「分配」を唱え、新自由主義からのソフトランディングを提案しました。それはこれからの社会ありようへの重要な問題提起であったはずですが、すぐに「分配」は「ばらまき」に取って代わられました。
その合間を縫ってただ一人「分配よりも成長と改革」と標榜し、公的サービスの削減をしてきた「大阪の実績」をバラ色のように喧伝した日本維新の会は大躍進し、地域政党から全国政党へと踊り出ることに成功しました。そして、いつのまにか岸田さんもまた当初は踏み出そうとしていたのかもしれない忍び足を引っ込め、「新しい資本主義」は新自由主義のさらなる進化を求めるものになりました。維新の会の大躍進と、終わってみれぱ単独過半数以上の議席を守った自民党の善戦は、野党共闘へと導いた命のかかった悲痛な叫びが届かないところで、結局は有権者の多くが新自由主義の継続を望んだことになるのでしょうか。
非正規雇用が4割にも達し、不安定な労働環境で働かざるを得ないひとたち、コロナ禍で失業し生活のめどが立たなくなったひとたち、7人に1人が貧困状態にあるとされる子どもたち、まわりで困難を抱えているひとたちがいても自己責任と片づけてしまう心寒い社会で、明日は我が身と心を固くする人たちも数多くいるはずです。それでもわたしたち自身が戦後のがれきからさまざまな政治的バイアスを潜り抜け、心の中に巣くう「成長神話」を捨てられないことが維新の会の躍進をおびきよせたのだと思います。
大阪をほぼ制覇し、公的サービスの民営化を広げてきた維新の会の政治は、一方では比較的政治の助けを必要とせず、自分たちが納めた税金が公務員の給料になり、障害者や老人のための社会保障に使われることに不満を持つ人々、また一方では不安定な生活を強いられる中で、生活保護受給者や福祉助成を必要とする障害者や老人に対して「あの人たちは守られていいよな」と思う、ぎりぎりの生活を強いられている人々からの圧倒的な支持を得ていることもまた事実でしょう。
教育への過剰な介入や、人権にかかわるような保健医療の縮小・削減、万全ではなかったコロナ対策、インバウンドに救われていた経済成長、全国一の失業者数、公的サービスの民営化による経費節減の陰にサービスの低下と民間企業の労働者へのしわよせなど、決して「大阪の実績」と自らが主張できるような状況ではないにも関わらず、大阪のマスコミ、特にテレビ各局はコロナによる死者が全国一であることにはふれず、東京への妬みもあるのか吉村知事のコロナ対策をほめたたえ続け、今ではどんな不都合なデータや真実があっても吉村さん人気をあおり続けています。それは、維新の会が「それに引き換え自分だけ」と嘆き、他者を妬み他国を妬み、「自分だけよい目にあっている人をやっつけてほしい」と望む人々の心をコントロールする巧みな情報管理と、地域から積み上げていく地道に政治活動、そこからはぐくまれた機動力の結果でもあると思います。
わたしは今回の選挙で、維新が大阪の小選挙区での圧勝もさることながら、大阪以外の全国に吉村人気が広がり、「妬みの民主主義」がパンドラの箱をひらいてしまったかのように「ミニ大衆翼賛」をひきおこしつつあるのではないかと、とても心配です。
かれこれ半世紀以上もつづく新自由主義は今や維新の会に引き継がれ、自民党の補完勢力どころか自民党の安倍派などと連携し、新自由主義にもとづく「新しい国体」をつくりだし、個人の自由を著しく制限する改憲への最終的な局面をけん引する力になろうとしています。その行き着く先は確実に戦前の政治状況と似ていると思います。
大椿ゆうこさんはその激流の真っただ中で悪戦苦闘を続けてきました。その激流は、実は維新の会をささえる膨大な人数のひとたちが「次は自分」と待ち続けるせつない願望が押し寄せる激流で、その破滅的な流れに抗い、「妬みあう民主主義」から「助け合う民主主義」へ、「自己責任の社会」から「だれもが安心できる社会」へとつくりかえようと訴えてきました。そうしなければわたしたちの社会は行き詰ることを痛いほど感じているから…。

東京をはじめとする都市集中型の社会ではなく、小規模な町の「顔の見える経済・社会・文化」をゆるやかに築く地方分散型の社会はできないのか。
「年老いることや介護を必要とすること」がいけないことと当事者に思わせる福祉サービスしか用意できないのか。
学校が子供たちを調教する教育の場ではなく、さまざまな個性を持つ子どもたちが学びあう場になることは理想でしかないのか。

さまざまな問題をひとつずつ解決するために話し合い、助け合うことは、実はとても勇気のいることだけれど、今生きているわたしたちはもちろんのこと、かつてこの町で生き、恋し、夢見てきた数多くのひとたちが残した記憶も、またこれからこの町で生きていくだろう子どもたちの切なく幼い夢も大地の下にいっぱいつまっていることを信じて、大椿ゆうこさんはこれからも街角に立ち、SNSで訴え、争いの現場に赴き、たった一粒の涙も見逃さず、悲しみを希望に変えるために歩き走り這い続けることでしょう。
今までの政治にはまったく向かない政治家、しかしながら今の政治、これからの政治にもっとも必要とされる政治家、大椿ゆうこさんはそういう政治家であることをひとりひとりに丁寧に伝えていくことしかわたしにはできませんが、願わくば心の重い扉の向こうで苦しんでいるひとにこそ、大椿ゆうこさんの言葉が届きますように…。

立憲野党・政党インタビュー(第3回)社会民主党・大椿ゆうこ副党首 市民連合

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