労働者の使い捨てを許さない!大椿ゆうこさんのこと

遠いかなたで「助けて!」と小さく叫ぶひとたちの切ない手紙

 参議院選挙が始まりました。消費税減税か給付金か、働く世代の手取りを増やす政策と少子化対策、賃上げ誘導とさまざまな提案がされる中、わたしはこの30年、国内生産よりも海外生産を優先し、国内では非正規雇用を4割にもしてきた大手の輸出企業と国のあり方を問い、「労働者の使い捨てを許さない」と叫び続ける社民党の大椿ゆうこさんが再び国会に戻ることを願っています。この選挙はこれからの日本社会を左右することになるでしょう。
 日本社会も一段と閉鎖的になり、外国人の排除や差別を募らせる方向へと進んでしまうのか、外国人を労働力としてではなく、日本社会を担う一員として共に生きる道筋を未来につなぐのか、世の中の風潮は外国人を排除する方向へと向かうのではないかと心配です。
 世界に目をむければロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザでのジェノサイドを正当な防衛として「民主主義国家」が支持し、アメリカのトランプ大統領のMAGAと脅しに始まり取引に終わる恐怖政治が吹き荒れています。
 先日、安倍政権下の2013年から3年間の生活保護費の減額を違憲とした最高裁の判決がでましたが、当時の生活保護自給者への執拗なバッシングにはじまり、生活保護費の減額が当時野党だった安倍自民党の公約にまでなり、政権復活後に実行されました。
 昨今の外国人や性的少数者へのヘイトスピーチは障害者や高齢者にも広がることでしょう。かつて生活保護自給者への偏見に満ちたバッシングを強烈に誘導した議員がそのままLGPTQや選択的別姓に立ちはだかっています。その言動がSNSを中心に闊歩・蹂躙する世界で生きなければならない当事者たちの苦しみはどれほどのものでしょうか。そして、外国人排除を望む人たちもまた自らの貧困と差別に苦しむ人たちであるという構図は、2001年当時と変わるどころかますます鮮明になっています。

能勢町に住んでわかったこと 経済成長よりも助け合い

 わたしは失われた30年を取り戻し、経済成長を取り戻すという考えには組できません。むしろ経済の成長がなくても幸せに生きる可能性と選択肢を用意できる社会を望みます。
 というのも、かつて在職していた大阪府箕面市の豊能障害者労働センターが教えてくれた働き方、障害のある人もない人もみんなで給料を分け合い、「職業的能力」による成果や実績でも、さらには同一労働同一賃金でもなく、みんなで助け合って働く面白さと喜びは何物にもかえられないものでした。そんなわけで貧乏には違いなかったけれど、ひとりひとりの能力なんか気にしなくてもよく、みんなで助け合ってなんとか暮らしていくことの方が、わたしにはとてもうれしいことでした。わたしはそれまで信じてきた一般的な労働観から解放されたのでした。そして、経済成長はある段階から私たち個人の働き方を縛り、格差と分断を広げることにしかならないことを学びました。
 大椿さんの呼びかけは正直なところ、声高に「〇〇の正義」をふりかざす大きな声にともすればかき消されることもあるかもしれません。しかしながら、今選挙の争点になっているさまざま課題は、この30年の間国内生産の担い手を非正規雇用で補い、大企業の海外資産の増加と蓄積、都市集中型の経済、大規模農業の推進による中山間地の過疎化を進めてきた戦後経済の成長神話の果てに顕在化したものであり、今こそ就職氷河期から始まったともいえる非正規雇用をなくしていくことはまったなしの政策だと思います。
 もとより物価高は賃金の上昇を進める政策から始まり、円安とアベノミクスの負の遺産・異次元緩和を正常に戻し、かつての成長をとりもどそうとする政策と結びついていると思います。賃金上昇と適度なインフレという成長神話から、わたしたちはまだ抜け出せないでいるのだと思います。斎藤幸平の「脱成長経済」の論を待たずとも保守的な経済評論家の中からも「日本は経済成長しない」と言う前提でこれからの経済政策を進めるべきという論者も現れました。
 かつての大日本帝国から敗戦を経て1990年代に世界2位の経済大国といわれた見果てぬ夢がさめないまま、差別意識や植民意識から外国人への偏見や差別が生まれているとしたら、わたしたちはまた大きな間違いを繰り返すことになるのではないかと心配です。
 大椿さんはみんながそちらの方に流されて行くのに「待った!」をかけられる、国会にいてもらわなくてはならない大切な議員さんだと思います。

やがて悲しみは希望に変わり 新しい星が生まれます

「あなたが今、一番望んでいることは何か教えて頂けますか?」との問いに「謝ってほしい。全日本国民に謝ってほしい」。
 この言葉は以前話題になったNHKドラマ「半径五メートル」で、氷河期世代のインフルエンサーが放った言葉です。この言葉は、自己責任と押さえつけられてきた非正規雇用の女性たちの怒りが企業にとどまらず、社会全体に向けられていることを教えてくれました。
 「明日の希望よりも今日のパン」のために劣悪な環境で働くひとびと。企業への就労を拒まれ、福祉という名の牢獄に閉じ込められるひとびと。ついこの間まで外国人技能実習という名目で低賃金労働を強いられ、育成就労、特定技能と制度が変わっても劣悪な環境と言葉の壁に苦しみ、使い捨てにされるひとびと。女性というだけで賃金格差と非正規雇用を受け入れ、雇止めになり暮らしが成り立たなくなるひとびと。未来が暗闇でしかなく、いのちを捨てる決心をしてしまいそうになるおとなたちとこどもたち。自分らしく生きることを阻まれ、仮の姿に身を隠さざるを得ないひとびと。市民として受け入れられないばかりか、この国で育った子どもまでも強制送還されるかもしれない恐怖と不安な日々を強いられるひとびと…。
 そのひとたちに「だいじょうぶ!あなたの困難を取り除くことが政治の役割です」ときっぱりと伝える覚悟をもった政治家、それが大椿ゆうこさんなのです。
 街頭行動での大椿ゆうこさんの幾多の言葉は、広がる格差と妬みと監視と差別のプラットホームからこぼれ落ちる命を救済するために立ち上がる、わたしたちの希望そのものだと確信します。そして、その希望を現実のものにするために、わたしたちはあきらめないでこの厳しい荒野を共に走り抜けなければならないのだと思います。
 以前、箕面の駅横で大椿ゆうこさんの街頭演説を聞いて駆け寄ってきた2人の高校生がいました。あのひとたちも何度かの投票を経験したことでしょう。
 わたしは何度か選挙の主体としてかかわりましたが、わたしがかかわった選挙はいつもブルドーザーが大量の票を持って行ったあとに取り残された切ない一票一票を拾い上げる「落穂拾い」でした。今回の大椿さんの票はより遠いかなたでぽつりぽつりと「助けて!」と小さく叫ぶたくさんのひとたちの手紙であることでしょう。