21世紀のこどもたちへ・PEACE MARKETへの道6

この詩は1999年8月に豊能障害者労働センター機関紙「積木」に掲載したものです。来るべき21世紀にこんなにも無数の血が流され、世界の子どもたちの悲鳴が鳴りやまぬ日々になるとは思いませんでした。そしてその血と悲鳴がわたしたちの足元に押し寄せてくるとも思いもしませんでした。70歳を目の前にして、21世紀のこどもたちとおとなたちが自分らしく未来をつくり、希望を育てるために必要な真っ白な時のキャンバスを贈りたいと思います。

ぼくたちは、
いっしょうけんめいおとなになった。
いっしょうけんめい走り、
いっしょうけんめい働いた。
いっしょうけんめい遊び、
いっしょうけんめい愛した。

20世紀のゆうぐれに
ぼくたちはたちつくす
ぼくたちがいっしょうけんめいのあいだ
あっちとこっちにぼくたちはわかれ
ちきゅうはいびつに、世界は悲鳴をあげていた
政治家は「20世紀のことは20世紀中にかたづける」と言った
けれども、かたづけてはいけないことがある
かたづけるより、たくすしかないこともある

きずつけあうことでしか生きられないの?
支配することでしか愛せないの?
知らないふりをすることでしかなかよくできないの?
いいにんげんでなければともだちになれないの?
すべてをおしつけるかうけいれることしかないの?
さよならするだけしかないの?

20世紀のゆうぐれに
ぼくたちはたちつくす
いっしょうけんめいだけではだめなのかもしれない
夢見るだけではだめなのかもしれない
愛するだけではだめなのかもしれない
歌うだけではだめなのかもしれない

20世紀のゆうぐれは
最後の一夜をとおりぬけ
どんな朝をむかえることだろう。
せみたちがいっせいに鳴きいそぎ、
遠い花火がいっそう夜を暗くする
さよなら、ここにいるよ
わすれないで、ぼくたちがいたことを
歴史の皮膚をめくり
悲惨な事実を飲みつづけ
かなしみの地図をひろげ
100年の夢を闇に写し
星のメスで心をひきさいた
さよなら、ここにいるよ
わすれないで、ぼくたちがいたことを

ひとりひとりにたんじょうびがあるように
ひとつひとつのであいにもたんじょうびがある
ひとりひとりがいなくなっても
季節も時代も変わり果てても
ひとつひとつのであいは
世界のどこかにかくれている
記述されなかった調書の中に
歌われなかった歌謡曲の中に
掲載されなかった記事の中に
あの月のにぶい光のあいまいさの中に
とつぜんおそわれるいつか見た未来の中に

ぼくたち20世紀のこどもたち
伝説のれんげ畑から波高い海岸まで
水の湧き出る隠れ家から
コンピューターの荒野まで
いっしょうけんめい走ってきた
取り残されたもうひとりのぼくたちを
孤独だけがだきしめてくれた
20世紀のゆうぐれに
ぼくたちはたちつくす
いっしょうけんめいだけではだめなのかもしれない
夢見るだけではだめなのかもしれない
愛するだけではだめなのかもしれない
歌うだけではだめなのかもしれない

だから、ぼくたちは
最後の一年は、ぼくたちの宿題のために手を汚すべきではないのだ
大切な一年を、いとおしい一年を真っ白なまま贈りたい
真っ白な時の荒野をあなたに贈りたい
21世紀のこどもたちへ
この一年の時の花束を、あなたに贈りたい

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