里山能勢に友部正人が現れた。5月14日「ピースマーケットのせ」2

5月14日、当日の能勢は前日の激しい雨が嘘のように上がり、真っ青な空に包まれていました。昼のイベントに来てくれたお客さんの数が昨年の半分ぐらいで、少し寂しい思いをしましたが、それでも農繁期で能勢の住民が出て来にくい中でこの町に近隣の町のひとたちが600人から700人の人が来てくれたことに感謝しかありません。
わたしは夕方の友部正人コンサートの担当でしたので、1時半に別のスタッフに車の運転をしてもらい、能勢電鉄の山下駅に友部さんを迎えにいきました。
2時11分、約束の時間に友部夫婦が現れました。このコンサートの打ち合わせなどで連れ合いさんにお世話になりましたが、このお二人は「夫婦」という以上にお互いに深い愛情と信頼と尊敬(?)を分ちあう特別なパートナーのようでした。
車で会場の淨るりシアターに向かう途中、静かでほとんど話されない友部さんがポツリと「カエル」とつぶやきました。能勢は今田植えの時期で、田んぼに水が入るといっせいにカエルたちが歌いはじめ、おしゃべりに忙しい季節なんです。
会場につき、控室に案内しました。すでに2時半をまわっていて3時のリハーサルまであまり時間がありませんでしたが、控室にいる友部さんは静かでステージに立つのとまったく変わりませんでした。

会場は500人収容の大ホールに150人のお客さんで、友部さんが寂しい思いをしないかと心配しましたが、そっと客席を見るとちょうどいい感じになっていて、友部さんの歌をじっくりと聴こうと待っているお客さんの息づかいが聞こえるようでした。
開演時刻になり、友部さんはいつものように静かにステージの真ん中に立ちました。あいかわらずで「愛想」がなく、「こんにちは」という一言ですぐに歌い始めました。
わたしはその瞬間、涙が出てしまいました。1970年代のひりひりした青春の刃が心に突き刺さり、「柔らかい痛み」がいつまでも消えなかった友部さんのだみ声とダムが決壊するように次々とあふれ出る言葉と変わらない弾き語りのスタイル…、あの時、激動の季節が嘘のように消え去り、何事もなかったかのように高度経済成長のベルトコンベアから振り落とされまいとしがみついたわたしたちは、いくつもの大切なものを自分の代わりに捨てることでかろうじて生き延びたのかも知れません。
道という道が黒い土からアスファルトに変わろうとしていたあの時、影という影をなくす巨大な光にさらされた時代の袋小路から、吟遊詩人・友部正人の旅は始まったのだと思います。そして、同じ時を生き同じ空気を吸ったわたしもまた、実人生とは別の「もう一つの人生」を生きるあかしとして、友部正人の歌に極度に感情移入していました。
あれから45年が過ぎた2017年5月、ああ、友部さんの旅はまだ終わっていない。そして、わたしの旅もまた…。このひとのかたくななまでにすがすがしい歌がわたしの澱んでいた心の水を波立たせ、あの「やさしい痛み」がよみがえりました。

ライブはいつものように淡々とすぎていきましたが、静かな演奏の中でも少しずつ友部さんの心が高まっていくように感じたのは、私だけではありませんでした。その変化はなんだろうと思っていたら、会場のお客さんが前のめりに聴き入り、おそらくはじめて聴く歌ばかりなのに友部さんの歌が生まれる場所から友部さんと一緒に旅をしているからなのでした。友部さんの歌が誕生する瞬間に彼が何を感じ、時代が彼に何を手渡したのか、その現場に友部正人と一緒に立っている感覚は、同時代に生きるわたしたちひとりひとりの心に記憶としての歌がよみがえる感覚なのだと思います。
初めて聴く人たちが多いと感じたからでしょうか。この日の歌には新しい歌とともに、70年代からのたくさんの歌の中の名曲で構成されていたように感じました。
つづく

友部正人「愛について」

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