300年の時をめぐり、桜の庄兵衛に降り立つ希望・ヴィヴァルディの「四季」

9月19日、豊中の「桜の庄兵衛」ギャラリーで、横山亜美さんのヴァイオリンと武田直子さんのピアノによる、ヴィヴァルディの「四季」の演奏会がありました。ヴィヴァルディの「四季」といえば、クラシックとほとんど縁のないわたしでさえ、「春」の第一楽章の最初の一節を何度も聴いたことがある有名な楽曲です。
ヴィヴァルディは今ではバッハが強く影響を受けたバロック音楽の天才作曲家とされていますが、長い間歴史の底にうずもれていたひとで、500曲以上の楽曲をつくりながら彼自身の生涯はとても悲惨な晩年だったようです。
ヴァイオリン協奏曲「四季」は300年も前に作曲されましたが再評価されたのは第二次世界大戦後で、とくに1959年のイ・ムジチ合奏団の演奏が世界的なブームになり、CDの売り上げが累計300万枚近くに及んでいるそうです。クラシック音楽を広く大衆に広めた偉大な功労者であるとされる反面、その大衆性から芸術的評価を低くされる場合もあるようです。
歌謡曲とジャズ、ブルースになじんできたわたしにとっては、「大衆性」と「芸術性」を相対立するような考え方にはついていけず、わたしがクラシック音楽となじめなかった理由の一つでもあります。
それもまたわたしの偏見で、そのかたくなさを壊してくれたのが「桜の庄兵衛」さんでした。2016年、ドイツで活動している友人のヴィオラ奏者のコンサートで桜の庄兵衛さんを訪れて以来、この稀有の場で何度もクラシックの室内楽を聴かせてもらいました。
そして、いくつもの時代を潜り抜け、戦火の中でも大災害に見舞われても、悲しみをいつか大きな希望へと変えるために、わたしたち人間は音楽を必要としてきたことを教えてもらいました。ヴィオラ奏者の友人と桜の庄兵衛さんに出会わなければ、わたしはクラシックの奥深さを知らないまま人生を終えることになったかも知れません。
クラシック最大のベストセラーのひとつといえる今回の楽曲「四季」も、わたしは恥ずかしながら聴いたことは一度もなく、今回の演奏がはじめてでした。

開演時間となり、司会者のあいさつの後、横山亜美さんと武田直子さんが登場しました。
普通ならそのまま演奏が始まるところですが、ヴァイオリン奏者の横山亜美さんがヴィヴァルディのことや「四季」のことを熱っぽく語り始めました。
「演奏よりトークの方が長くて驚かれると思いますが」とご本人自らおっしゃるように、解説などとは言えないもので、この楽曲に添えられたソネットを朗読しながらまるで言葉でもうひとつの楽曲「四季」を演奏しているようでした。映画や芝居などでは「語るに落ちる」とか「ネタバレ」となるところですが、音楽の場合、とくに彼女の場合はどれだけ語っても語りつくせない「ヴィヴァルディ愛」と「四季」の風景がヴァイオリンとピアノ演奏の音の葉によって描かれて行くのでした。

いざ演奏が始まると、わたしが何度も聴き流してきた「四季」のイメージを覆すものでした。それはすぐそばで生音を聴いているからだけではない、時代を越えて世界に遍在する人々の願いや祈りが託された、その「過激なやさしさ」に胸を突かれました。
実際のところ「四季」の中でもっともさわやかでウキウキする「春」の演奏が始まったとたん、なぜかわたしは心が震え、涙がにじんできました。
今回はじめて演奏者のすぐ横で、奥に窓で切り取られた庭が見える席にすわったのですが、秋になろうとしている窓から突然、満開の桜がこぽれました。
わたしの心を埋め尽くした桜は、25年前に阪神淡路大震災で被災した神戸の障害者に救援物資を届けた時、まだがれきも片づけられず傾いた建物とやかんやテレビや生活用品が山と積まれた荒れ野に咲いていた桜でした。もうしわけなさそうに咲いていた桜を見て、その時わたしはどんなに悲しみが世界を覆っても季節は巡りゆくのだと思いました。
今、コロナ禍で世界が沈黙する夜を何度もくぐりぬけ、能勢という緑あふれた里山の地に住みながらわたしの中で時間は止まり、季節はわたしの心を通らないまま過ぎ去っていたのでした。
横山亜美さんと武田直子さんの演奏は、始まりの一音でわたしの凍てついた心を溶かし、25年後の「春」を届けてくれたのでした。
実際、後日にさまざまな演奏の「四季」を聴きましたが、ヴァイオリンとピアノ、それもピアノの方はほぼ伴奏に徹する今回の演奏は、とても冒険的だったことがわかりました。
もちろん、クラシックのことにまったく無知なわたしが語ることなど許されないことだと思いますし、演奏者のお二人にもとても失礼なこととお詫びした上であえて言わせてもらえれば、今回のお二人は「四季」を演奏したのではなく、「四季」をもう一度つくりなおしたのだと思います。
演奏のすばらしさだけを言えば、アンコールに横山亜美さんのお姉さん・横山令奈さんが在住するイタリア・クレモナの病院屋上で演奏し世界のニュースにもなった「ガブリエルのオーボエ」だったと思うのですが、その一曲の演奏だけで十分すぎるほどです。
しかしながら、横山亜美さんは新型コロナ感染症がまん延し、亡くなったおびただしい魂とともに、世界中の人々が一日一日を生き延びる毎日を過ごす今、目に見えないがれきに覆われた世界の大地に立ち、粉々になったひとびとの「四季」を取り戻そうとしたのではないかと思うのです。
それには彼女の思いに応える武田直子さんのピアノが必要で、お二人はまるで新しい楽曲を作曲し、プロデュースするように300年前のこの曲を全く新しい音楽に変え、世界中の悼む心を希望に変えてくれたのだと思いました。
彼女のプロフィールを見ると、箕面市出身でおじい様もご両親も、そしてお姉さんもヴァイオリン奏者で、実家には100年前のおじい様の楽譜も残されているそうです。
わたしも20年ほど箕面に住んでいて、箕面が第2のふるさとと言ってもよく、とても近しい存在に感じてうれしく思いました。
そういえば、桜の庄兵衛さんを知るきっかけになったヴィオラ奏者の友人も箕面市出身で、不思議な縁を感じたコンサートでした。
あらためて、横山亜美さん、武田直子さん、そしてお二人の演奏の場を用意された桜の庄兵衛さんに感謝します。

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