桂あさ吉落語会「はてなの茶碗」・桜の庄兵衛ギャラリーにて

少し前になりますが1月31日、大阪府豊中市の「桜の庄兵衛ギャラリー」で「桂あさ吉落語会」があり、友人を誘い5人で行ってきました。
「桜の庄兵衛」さんは昨年の9月に友人のビオラ奏者の誘いで行ったのがはじめてで、その後11月にピアノとフルートの演奏会があり、どちらもすばらしい演奏で大満足の催しでした。「桜の庄兵衛ギャラリー」は、江戸時代の庄屋さんから始まる立派なお屋敷で、阪神大震災の時に破損した客間を改修するにあたり、地域のコミュニティと文化の拠点にしようとギャラリーとされたと聞きます。
それはさておき、今回は落語で、これもまたわたしがめったに見聞きしないジャンルで、そう思うとわたしは68歳という年になるというのに、落語だけでなく歌舞伎や能、狂言など世間的なたしなみとして身に着けてなければならない文化と無縁の人生を送ってきたことを後悔しています。
落語については、わたしが働いていた豊能障害者労働センターの若いスタッフから立川談志や円生、小さんなどの名人の落語を聴きなさいと、よく言われたことを思い出します。
彼の強いアドバイスも談志や小さんのビデオをほんの数回見たぐらいしか効果がなかったのですが、それでも最近はもう少し落語に親しむこともできるようになり、テレビのアーカイブで談志や小さんを見たり、大阪天満宮の「繁昌亭」にも他人に誘われてですが一度だけ行ったことがあります。そんなわけで、落語を深く親しんできたわけではないわたしですが、それでも落語の面白さが少しわかるようになったかも知れません。
さて、今回の落語会は1993年に桂米朝門下の桂吉朝の弟子となってすでに22年になる桂あさ吉で、古典落語の他、創作落語、英語落語も手がけ、桂かい枝らとともに、アメリカ、オーストラリア、シンガポールなどでの海外公演も多数で、笛、三味線、日本舞踊を得意とされているようです。
この日は「はてなの茶碗」と「かぜうどん」と、2つの演目を演じました。ゲストには桂吉弥の弟子・桂弥太郎が「動物園」を演じました。
「はてな茶碗」のお話は大阪出身の油屋の男が清水の茶屋で休憩していると、有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをこねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげる。
茶金が帰った後、あの茶金が注目するとはさぞかし値打ちのあるものに違いないと、この茶碗を茶店の主人からすったもんだの末二両で買った油屋。それを持ってさっそく茶金の店へ。番頭に「五百両、いや千両の値打ちがある!」と息巻くも、どう見てもただの茶碗、「うちでは取り扱えない」と埒が明かない。
そこに現れた主の茶金に事の次第を聞いてみると、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな」と首をかしげていただけであった。意気消沈し、自らの身の上を茶金に語る油屋。しかしそこは通人の茶金。「二両で自分の名前を買ってもらったようなもの」と、その茶碗を油屋から三両で購入することにし、この金を持って親元に帰って孝行するように諭す。
この話が評判となり、関白・鷹司公によって「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌が詠まれる。さらには時の帝によって「はてな」の箱書きが加わる。立派な肩書きが付いた茶碗の噂が鴻池家の耳に入り、とうとう千両で売れてしまった。茶金は油屋を呼び出し、千両の半分の五百両を渡す。大喜びの油屋。
後日、再び茶金の元を訪れ、「十万八千両の大儲け!」と叫ぶ油屋。茶金が問い質すと、「今度は水瓶の漏るのを持って来ました。」、という落ちで終わります。
この話に限らず、落語は江戸時代の庶民の欲望や人情、思い違い、人の愚かさが生み出す心温まる話など、単純に笑えてなおかつ現代に通じる教訓まで与えてくれます。そして、人間そんなにカリカリしないでもだいじょうぶと生きる勇気すら与えてくれる落語は、時には心を硬くして生きることを強いられる現代人に先人がプレゼントしてくれた「癒し薬」のように思えてきます。
最後の落ちまで物語のあらすじを紹介しても、落語の場合はネタバレといわれないのがありがたいですが、それだけ物語の筋がわかっていてもそれぞれの噺家のその時々の話芸のみで成り立つ落語は、クラシックと同じように究極のカバーによる究極のオリジナルを追求する芸術なんだと思います。
桂あさ吉の落語を聴いたのははじめてでしたが、落語家にもっとも必要とされるのではないかと思われる(失礼かも知れないですが)「脱力感」があり、それでいてメリハリのある落語だったように思いました。それでもきっとまだまだこれから10年20年と話芸に磨きをかける途上の「修行の身」として精進の毎日なのでしょう。
めったに専門の寄席や演芸場に行かないわたしには、「桜の庄兵衛ギャラリー」で聴く落語はとても身近で入りやすいものの、反対に日常性から異空間に誘い込むためには寄席以上の力量が問われるのではないかと思います。それがちょっとした緊張感をもたらしていて、とても楽しく大笑いできた落語でした。

桂あさ吉の落語を聴いた後に初心者なりに落語の面白さを考えてみると、なんといっても一人芸で、それも大抵の場合演者の落語家の着物衣装も手ぬぐい、扇子といった小物も座布団もすべて同じでありながらいろいろな演目を演じることです。同じ一人でも一人芝居は背景が用意されていることが多いですし、何人もの登場人物を演じ分けるところは同じですが、落語のように物語を語るところがほとんどありません。浪曲の場合は三味線を伴奏にして話を語り、歌が入りますし、一番よく似ているように思う講談の場合も物語を語る要素が多いと思います。
そう考えると、落語はたった一人の話芸だけで登場人物同士の会話と語りを絶妙に組み合わせ、聴く者を異空間に招き入れる総合芸術の極みと言えるでしょう。
つぎに、声質とセリフの抑揚やスピードなどの話の表現力で登場人物を語り分けるだけでなく、有名なところでは扇子を箸に見立ててうどんやそばを食べるしぐさなど、芝居とはまったくちがう身体表現に感服します。
さらには、ここが一番難度の高いところだと思うのですが、いわゆる「間」がその物語をもっとも引き立たせる正念場であることでしょう。しゃべらないことはとても不安なことだと思うのですが、「間」を充分にとるだけでなく登場人物の感情をどれだけ豊かに表現できるかで、登場人物の次の言葉が生き生きしてきて、物語が豊かな肉付けになって行きます。
そして、感心するのが話の前ふりの「まくら」と、最後の「落ち」です。
出囃子とともに現れ高座にすわると、演目に入る前の「まくら」でお客さんをひきつけると同時に今日のお客さんの雰囲気をさぐります。ここにも名人と呼ばれるひとたちの「まくら」が伝説となっていますが、虚構の橋をお客さんに渡らせ、異空間に迷い込ませるための仕掛けというわけです。落語の巧妙なところは日常の言葉で異空間に誘い込まれるので、わたしたちはいつのまにか物語の中に入りこんでしまいます。
「落ち」がまた絶妙なしかけになっていて、落語という言葉そのもののように、しゃれたセリフで話を終わらせるというある種の諧謔性に満ちた「落ち」は、異空間からお客さんを日常に戻す役割を果たすとともに、夢から醒めたように「落ち」が記憶にのこるというわけです。
こんなことは落語通でなくてもわかりきったことと、読者からきっとお叱りを受けることでしょう。

この日、落語とは別にびっくりしたのは桂あさ吉が吹いた笛でした。直接口をつけて吹く笛はとても難しく、最初はまともに音が出ないのではないかと思いますが、彼が吹く笛はどこか重い扉を突き抜けるような切迫感とともに、それを維持したままでメロディを奏で、リズムを刻むすばらしい演奏でした。どこかでこんな緊張感のある音を聴いたことがあると思っていたのですが、坂田明の平家物語でした。
その時の話も面白くて、西洋の音楽はピアノに代表される絶対音階ですが、和楽はどんどん変調(?)していき、時には一回の演奏で一つ高い音の笛に変えることもあるそうです。また、歌が入る場合、歌い手の咽喉がだんだん温まってきて声の高さが上がり、伴奏もそれに合わせて行くそうです。永六輔さんが話していたように、明治時代に絶対音階の西洋音楽をむりやり導入した音楽教育は、日本の音楽の宝物まで捨ててしまったのかもしれません。

今回も「桜の庄兵衛」さんは、わたしに未知の体験を用意してくれました。
わたしが世間知らずで無粋な老人であるだけですが、「桜の庄兵衛」さんが企画される催しはどれも初体験に近く、今日はわたしをどこの荒野に連れて行ってくれるのか、その荒野にたたずむプラットホームで、どんな出会いが用意されているのか、期待が膨らみ、胸が高鳴ります。次の催しの日は能勢の方で沖縄の写真家・山城博明の写真展の日と重なり、参加できなくて残念ですが、その次の催しにはまた友人と一緒に参加しようと思います。

ブログのアクセスが25万回を越えました。島津亜矢さんが紅白に出たことで昨年末から急激に増えました。島津亜矢さんと、「亜矢姫倶楽部」の方々をはじめ島津亜矢ファンのみなさんのおかげです。ありがとうございます。
これからも島津亜矢さんについては書き続けようと思っていますので、よろしくお願いします。ちなみに、島津亜矢さんの記事は196本になり、もう少しで200本になります。こんなに書き続けられとは思っていませんでした。

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