若さだけが持ちうる冒険が世界を変えると音楽が教えてくれた

桜の庄兵衛 霜降りて 白きに宿る 音の足跡コンサート

 12月22日、大阪府豊中市岡町の「桜の庄兵衛」で開かれたコンサートは、さまざまなことをあきらめかけているわたしの心を奮い立たせ、もう一度人生を生きなおそうと思わせてくれた新しい音楽体験でした。
 そんな新しい音楽の可能性を感じさせてくれたのは、フルートの大島快晴(おおしま かいせい)さん、ヴァイオリンの首藤主来(すとう かずき)さん、ピアノの田坂 航(たさか わたる)さんの3人、関西出身の東京芸術大学の同級生で、来春に卒業を迎える若き演奏者たちでした。
 開演時間になり、彼らが現れると若さと言うだけでは説明できない圧倒的な躍動感でその場の空気が一変しました。桜の庄兵衛の蔵のホールは細長い長方形の空間で、ステージ部分はフロアとフラットになっていて、演奏者の控室は後方の2階にあり、ステージ部分に出るには後方から客席を通っていくことになります。客席を通り過ぎ、ステージ部分でセッティングするまでのほんの一瞬、その日のコンサートの演奏者が素顔から別の顔になる時間で、これから始まる演奏への期待が高まる瞬間です。一般のホールでもなく路上でもない空間が演奏者との絶妙な緊張感を生み、演奏者も音楽の生まれる場に立ち向かう高揚感につつまれているようで、何度かこの場所に足を踏み入れてはどきどきしてしまうのです。
 さて、この3人の登場の仕方は、まるで1970年代の青春ロードムービーを見ているようで、若い!いずれ年老いる若さではなく、圧倒的に若い! 正確に言えば、若さだけが持ちうる冒険心、と言ったらいいでしょうか。言い換えれば「冒険心」を持った若さが世界をかえる一瞬に立ち会えたということでしょうか。
 わたしは演奏が始まる前に、すでに彼らのファンになってしまいました。
 ヴィヴァルディのラ・フォリアから、第一部が始まりました。ラ・フォリアはもともとイベリア半島を起源とする舞曲でしたが、17世紀にイタリアで大流行し、優雅で憂いを帯びた変奏曲として多くの作曲家が取り入れ、この曲もその中のひとつだそうです。
 本来は弦楽器の構成のようですが、フルート、ヴァイオリン、ピアノという3人のユニットでは、民族的で切ないハーモニーがこの楽曲の原初をたどり、スペインやポルトガルの民族的な激しい舞踊が目に浮かぶような演奏でした。
 クラシックに触れるようになってまだ日が浅いわたしは、フルートという楽器のことを知らないままでした。しかしながら、今回の演奏でフルートはまず音を出すのがとても難しい上に、空気と直接格闘し対話するように響かさないと音楽にならないことと、ただきれいなメロディーを奏でるだけでなく、時にはアグレッシブに、時には限りなく繊細に音を届けることのできる楽器であることを教えてもらいました。
 次の2曲、イベールの2つの間奏曲、ゴーベールのフルートソナタの演奏でも感じましたが、フルートは室内楽でよく演奏される楽器でありながら、なぜか森の空気や草原の広さ、ゆっくりと地上をみおろす空を感じさせ、鳥の鳴き声や木々のおしゃべりが聴こえてくるようです。

湧き上がる生の情熱がまだ残されていると気付かせてくれた

 休憩をはさんで第二部はテレマン作「12のフルートソロのためのファンタジー」、グリーグ作「ヴァイオリンソナタ ハ短調」、ドップラー作「リゴレットファンタジー」とつづきました。
 第一部の時はまだ少しお互いが遠慮がちに感じられた演奏が、第二部になると日常的な信頼関係とはちがうこのコンサートの中でつかんだ了解のようなものでしょうか、3人の心の奥深くでつながった通底器から第4の音があふれ出るような一体感がありました。
 3曲とも、というより第一部の楽曲もアンコールに応えた楽曲も含めて、まだ踏み込んたことがない世界の荒野への扉を開き、向かい風に身を震わせながら突き進む強い意志を感じました。
 このコンサートがどのようないきさつで実現するに至ったのかは知る由もないのですが、すでに演奏家としてそれぞれの活動を始動し、別々の道を切り開こうとする大島快晴さん、首藤主来さん、田坂航さんという、これから大きく羽ばたいていく3人の演奏家のために荒野の扉を開き、彼方へと一回限りのこの場限りの出会いと別れを用意してくれたのではないかと思います。
 いつものようにお断りしなければならないのですが、クラシックと言うより音楽の知識もなく、最近はこういう機会でしか音楽に触れないわたしが言うのはおこがましいのですが、2時間ほどの時間を共にたがやしながら、生きる場所も生きた時代も生きた思い出も、なにひとつつながるところはないのに、湧き上がる生の情熱が私にもまだ残されていたのかと気付かせてくれました。譜面のあるクラシックでは珍しく、どの曲もジャズのように他者への対話と想像力と、そしてどこまでも自由で冒険的で、いい意味で野心的な演奏だと思いました。クラシックの場合は日本の歌謡曲のようなカバーという考えはなく、また今回の楽曲のようにハーモニーを受け持つ楽器を選ぶのも譜面も用意されず、演奏家の自由にまかせる音楽形式があることもはじめて知りました。
 クラシックの作曲家は自らが卓抜した演奏家であることが多いようですが、だからと言って作曲家自身の演奏や初演をオリジナルとするわけではなく、何百年先でも譜面を通して作曲家が想像できなかった新しい演奏を可能にし、世代も場所も越えてつないでいく冒険を可能にするのかも知れません。

3人の若き演奏家が疾走した後に振り落とされた音のかけらたち

 「霜降りて 白きに宿る 音の足跡 コンサート」と名付けられたこのコンサートは、3人の若き演奏家が疾走した後に振り落とされた音のかけらたちが、立ち会ったわたしたちと桜の庄兵衛さんの音の蔵に積もる、すてきなコンサートになりました。
 9年前に縁あってドイツで活動するヴィオラ奏者・吉田馨さんと知り合い、彼女のコンサートが開かれて以来、度々おじゃまするようになった桜の庄兵衛さんで、数々の演奏家の名演を聴かせていただきましたが、一緒に参加した友人と今回のコンサートは記憶に残る特別なコンサートだったと感想を分け合いました。もちろん、世界の名演奏家たちが数々の足跡を残している中で、今回の若き3人の演奏技術がそれらに太刀打ちできるはずは今のところはないかも知れませんし、彼らもまたこれから様々な経験を積んで大きく進化していくことでしょう。しかしながら、何よりも予定調和に陥らず生々しいライブ感で聴く者を「今とはちがうところ」に連れて行ってくれたことに感動しました。そして、今までもこれからも若き演奏家たちを応援し、彼女彼らの演奏をわたしたちに届けてくる桜の庄兵衛さんに感謝です。

桜の庄兵衛ホームページから「過去のイベント」をクリックしていただくと、今回のコンサートの詳細をご覧いただけます。