パンフルート・エイケントリオと桜の庄兵衛ギャラリー

10月2日、大阪府豊中市の「桜の庄兵衛ギャラリー」で開かれた「パンフルート・エイケントリオ」のコンサートに行きました。
昨年の9月でしたか、知り合いのビオラ奏者のコンサートに誘われて、はじめてこの会場に行き、とりこになってしまいました。
「桜の庄兵衛ギャラリー」は江戸時代の姿を残す元庄屋さんの民家で、阪神淡路大震災で大きな被害にあいましたが1998年、修復再生を機に本来客間であった五十畳余りの空間をギャリーとして開放し、コンサートなどのイベントを企画されています。
大きな門から広々とした土間を通り、庭につづくギャラリーの大広間に入ると昔の風情ただよう大きな柱と梁と白い障子戸、見上げると高い天井から暖かいライトがやさしく会場を包んでくれます。この会場に入るだけで心があらわれる気持ちになり、これから始まる演奏への期待を膨らませてくれるのです。
「パンフルート・エイケントリオ」はパンフルートの第一人者、岩田英憲を中心に、作曲&ピアノの田中洋太、シンセサイザー&編曲の松本真昭の3人のユニットで、2009年に結成されました。岩田の自然を愛して止まない情感のこもったパンフルートに、田中のナチュラルなピアノサウンドと、松本のシンセサイザーの壮大なサウンドが持ち味で、各地でのコンサートの他、テレビ番組への出演やテーマ曲の演奏など幅広い活動が注目されています。といっても、実はわたしは「パンフルート」という楽器のことを全く知らず、この日の演奏が初体験でした。

演奏時間になり、3人が登場しました。決して愛想よくない、どちらかといえば怖そうな岩田英憲、こちらもいかにもピアニストらしいとはとても言えない田中洋太、ミュージシャンというよりは、コンピューターの技術屋さんといった感じの松本真臣がそれぞれの立ち位置でスタンバイしました。
ぎこちない一瞬の後、一曲目の演奏が始まりました。パンフルートという楽器を全く知らなかったわたしは奇妙ななつかしさというか、絵画のようにゆったりと流れゆくうつろいやすい季節を染めていく音楽の草原に立っていました。
パンフルートという楽器はおそらく、さまざまな管楽器を演奏する以上に音を出すのが難しい楽器なのだと思います。
パンフルートはルーマニアの民族楽器で、葦や竹の筒を何本か横に並べて、長さの違う筒を吹いて音を出す楽器で、パイプオルガンや、フルートの原型といわれ、筒状の植物のある地方には世界中どこにでも存在するそうです。
かすれた音は叫んでいるようにも、またつぶやいているようにも聴こえるのですが、そのうちにその音のつらなりは人間の領域の彼方へ、日常の暮らしの中にかくれていたり、また時にはあまりにも大音響の音に囲まれているためにわたしたちが聴く心も感性も忘れてしまった音たち、この星の生きとし生けるすべてのいのちたちが合唱する草原へと案内してくれるのでした。
その音たちは、わたしたち人間がこれほどまでにこの星を傷つけてしまってもなお、わたしたちをゆるし、わたしたちにせつなくかすれ声で恋の歌をつづるラブレターでもあるのでしょう。
パンフルートの由来は半獣半神の牧場の神・パンが、水の妖精・シュリンクスに恋するがシュリンクスはそれをいやがり、アルカディアの水辺に身を投げて葦に変身してしまう。その時、風が葦の切り口に当たり物悲しい音を出したという。パンはその葦を束ねて笛にし、肌身離さず持ち歩き、彼女を思い笛を吹いたという伝説から来ているそうです。
「音の発生する原理は、風が野の草花、揺らせる時に、かすかに葉ずれの音がしているが、 その音こそが、パンの笛の音の原点。物言わない植物たちが風に揺れて音を出し、しゃべっている風景を僕はいつも想像している…。」(岩田英憲)
一曲目が終わり、岩田英憲からパンフルートについての説明があり、そのころからこのひとはいかつい顔に似合わず、とてもお茶目な一面があることがわかってきます。またピアノの田中洋太、シンセサイザーの松本真昭も曲を演奏する前とはまったく違う印象でした。作曲した数々の楽曲をテレビ・ラジオなどのメディアに提供する隠れたヒットメーカーの田中洋太と、パンフルートをメインとするこのトリオ全体を構成するプロデュースとともに、「音の狩人」としてシンセサイザーによる仮想の音楽空間をつくる松本真昭によって、恋する葦・パンの笛(パンフルート)をせつなく悲しくいとおしく吹き、抱きしめる牧神パンのかすれた息づかいが岩田英憲の演奏でよみがえるのでした。
わたしはこの3人の三位一体の音楽を聴きながら、「はじめに言葉ありき」でなく、「はじめに音ありき」なのだと思いました。ひとがひととしてこの星の大地に立ち、他者に「わたしはここにいるよ」と伝え、「あなたは誰?わたしは誰?わたしたちはなぜここにいるの」と叫ぶとき、まだ声や音を出すことを知らないわたしたちの祖先はまず、自然が奏でる音たち、風のおしゃべりや草たちの合図に耳を傾け身体で感じ、それを真似るように声や音をはじめて発したのではないか。そうして人間は音楽を発明し、言葉を生み出し、歌が誕生したのではないか。
実際、3人の演奏を聴きながらわたしは人間の長い歴史や、想像もできないこの星の長い歴史をたどっているような感動に心を震わせるのを禁じえませんでした。中でも、「ロマーナの祈り」、「友を偲ぶ哀歌」は今でも心のひだにへばりついたままでいます。

こんな素晴らしい時間を用意してくれた「桜の庄兵衛ギャラリー」に感謝です。わたしは今でもまだクラシックには縁遠い人間ですが、この会場はコンサートホールと違って敷居が低く、気軽に未知の音楽体験をさせてくれる貴重な存在だと思います。
そして、いつも思うのですがこの素晴らしい古民家の太い柱、真っ白な壁にいままでどれだけの音楽がしみこんでいったことでしょう。ジャンルのちがいなどなんの意味もなく、ひとが集まり、ゆたかで静かで芳醇な時間の果実をゆっくりと味わえる「桜の庄兵衛ギャラリーさん」の企画は地域の文化の宝物であるだけでなく、どんな未知のジャンルの音楽でも、「桜の庄兵衛ギャラリー」さんが企画されたものなら、素晴らしい音楽を体感できることを、今回もあらためて感じました。

パンフルート・エイケントリオ「ロマーナの祈り」
2016年10月14日(金)サントリーホール・ブルーローズ

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