世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

SNSが証明した新時代のプレーヤーの可能性と危険な落とし穴

 高市首相の抜き打ち解散による衆議院選挙は自民圧勝となりました。この結果はわたしたちの社会の在り方を大きく変えることになるでしょう。SNSを誘導し異様な支持を背景に演出した選挙で、高市さんチームのプロデュース力は見事といわざるをえません。わたしたちの社会もいよいよ巨大なポピュリズムの沼に足をふみいれたということでしょうか。
 第一に「高市早苗が首相でいいのでしょうか」と、高市さん個人への信認投票に塗り替えてしまったこと。第二に「過半数取れなければ首相をやめる」とあざといメッセージを送ったこと。テレビ討論会をキャンセルし、街頭演説を選んだこと…。不思議なことに強権的で権力の鎧をまとったようにみえる高市さんの方が旧来の政党選挙ではなく「市民参加型の演劇」を演じてみせました。ここ何年間、広がってきたSNSという荒野はAI技術と共により広く深く開拓され、その大きな節目のプレーヤーとして高市さんが小選挙区制度のもとで果実のほとんどすべてをかっさらった、見事な選挙戦略だったと思います。

イメージや空気感だけで語られる政治

 一昨年の東京都知事選以後、SNSからの情報が選挙に大きく影響するようになりました。デマや意図的なバイアスがかかっていてもSNSという器が「真実」に変えてしまう。ほんとうのことを伝えようとしても「陰謀」と思われ、ついには批判や反論をむなしいものとされてしまう社会になってしまいました。最大の問題はユーチューブなどの動画サイトの課金のしくみで、選挙だけでなく個人への中傷などの温床になっていて、このままではいずれ切実な情報を届けることも、それを知る権利を放棄することにもなると思います。
 選挙は政策を訴え、議論し、それを有権者が選択する機会で、それこそが民主主義の基本だと言われてきましたが、近年の日本の選挙は通常は地域の義理と人情に支えられていて、それがくつがえされ大きく変わるときも政策の中身よりは、「なんか今までとちがいそう」、「なんかやってくれそうだ」というあいまいなイメージが投票行為に反映されてきたと思います。それは裏を返せばだれもが感じる生きにくさ、鬱屈した空気、「これから先、何もいいことがなさそう」とおもう絶望感と将来への漠然とした不安、「なぜ自分だけが」と思う嫉妬と恨み…、そんなよどんだ空気が何年も何十年もただよう途上で、その空気をとらえたものたちが政治を動かして来たのでしょう。

エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない

 高市さんがリスペクトする安倍政権はかつて成長幻想をばらまき、アベノミクスという無茶なカンフル注射を打ち続けました。「大胆な金融政策」と銘打った日銀の異次元の低金利と量的緩和で対ドル78円だった円は2013年には110円になり、輸出産業はうるおいました。それまでの円高で海外に生産拠点を移していた輸出企業は円安になっても累積する収益を海外投資に振り向け、国内の雇用の場や労働者の賃金にはまわさず、輸入よる物価上昇もあり、2年以内の脱却をめざしたデフレはより深刻な状況になりました。
 結局のところ、安倍政権時代に社会保障を賄うために消費税を上げ、「移民政策をとらない」と言いながら、すでに400万人の外国人を働き手として受け入れなければ成り立たなくなり、人権を保障されているとはいいがたい安い労働力としてのみ外国人を利用してきました。日本人の非正規雇用も4割に達し、日本社会は確実に「かつての貧困」とはちがうアンダークラスといわれる貧困層を生み出してしまいました。
 一方でアベノミクスという成長幻想のもとで、安倍政権は戦争をしない憲法をもっているはずのわたしたちの国を、いつの間にか戦争ができる国にかえてしまいました。憲法を活かし平和を守ろうと言えば「お花畑」と揶揄され、平和に甘やかされた非現実的な理想主義、夢想家といわれるようになりました。実際のところ、わたしが生きた「戦後民主主義」は沖縄の人々やアイヌのひとびとなど先住民族への抑圧と差別の上に成り立っていたことや、明治から昭和とアジアへの侵略によりとりかえしのつかない犠牲を強いた謝罪も反省もないままの「民主主義」だったことも思い知らされました。

民主主義をまとう資本主義はわたしたちを道連れにどこに墜ちていく

 高市さんの解散表明の記者会見を聞き、改めて彼女の安倍さんへのリスペクトの強さを感じました。「行き過ぎた緊縮財政を脱却し責任ある積極財政」をかかげ、国家主導で「先端技術」への投資を果敢に進めると、17の重点政策を打ち出しましたが、アベノミクス同様、おそらく失敗に終わるのではないかとわたしは思います。これらの事業に国家がかかわり、税金を投入することで、未来に生かされるべきお金を先食いしてしまうことになるでしょう。そのうちの一つとして、わたしが若い時、「半導体は産業の米だ」と経済成長のシンボルとされましたが、それから半世紀が過ぎ、今また国策会社といってもいい半導体企業ラピダスに多額のお金をつぎ込もうとしています。世界各地にデータセンターをつくり、その巨大な電源を原発に頼ることになるAIの光と影によって世界の経済もわたしたちの暮らしも猛スピードで変化をつづけています。この新しい技術開発が生み出す兵器によってロシア、イスラエルのみならず、アメリカが「力の正義」を振りかざし、無数のいのちを奪い、大地を破壊し続ける侵略戦争が吹きすさぶその果てに、世界も地球もこわれるのではないかと不安に思うのはわたしだけではないと思います。

夢から醒めたもう一つの夜に

 今回の選挙結果に対して、若い人たちがSNSで盛り上がり、アイドル推しと同じ感覚で高市さんへの人気投票のように自民党に投票したという意見もありますが、わたしは違うと思っています。戦後ほぼ一貫して日本社会では反戦の言説は被害者としての戦争体験によるところがほとんどでした。その悲惨な体験を伝えてきた語り部の世代も少なくなりました。そして他国の地を侵略することで「領土と富」を広げようとした明治以後の日本の加害と責任もまた、語られることがより少なくなりました。戦後すぐに生まれたわたしたちの世代もその例外ではなく、ほとんどの世代が戦後の民主主義教育の下で「感じる」ことよりも「学ぶ」ことでしか人権や差別や反戦や平和の問題を受け止められなくなり、それらを総じて今「リベラル」という言葉で語られているように思うのです。若い世代だけでなく、全世代の日本人が憲法を古いものと感じ、憲法を変えることを「変革」と思ってしまう怖い現実はどんな未来を若い人たちに用意するのでしょうか。
 高市政権の「責任ある」積極財政がとても危ないところにわたしたちを追い込んでいく前に、そして安倍政権が道半ばでやり残した「戦後レジュームの破壊」を引き継ぎ、憲法までも変えてしまおうとする高市政権とそれを取り囲む大きな力が発動される前に、わたしたちは自らの中に未だに巣くう成長神話の悪夢から醒めなければならないと思うのです。
 そして、今回は逆の力が働いたとしても、若い力こそが困難な未来を切り開いていくことを感じさせてくれた選挙だったとも思うのです。近々にせまった危機をいちばん感じているのはたしかにZ世代を含む若い人たちで、SNSを通した彼女彼らが「学ぶ」のではなく「感じる」ことから未来を見据えて行動を起こす新しい民主主義の入口に登場したことが、今回の選挙の底の底に隠れていることをわたしは信じます。アメリカやヨーロッパ、アジアの各地に点在するその力がふつふつと湧き上がる姿を夢見て…。