新しい救済の物語を語る歌とめぐりあうために、島津亜矢の巡礼の旅はつづく

5月9日の島津亜矢の新歌舞伎座公演は、新型コロナ感染症対策で緊急事態宣言が発出されたため中止になりました。わたしも楽しみにしていたのですが、これで昨年から3回もチケット払い戻しになってしまいました。実際、この状況下ではあと1年、コンサートはむずかしいかもしれません。
島津亜矢の場合、全国に散在するファンにできるだけ近い場所でコンサートをすることはマネージメントとしてだけでなく、ファンとともに音楽の旅を続けたいという思いが強い彼女にとってもっとも大きな活動だと思われますので、今とても困難な状況にあることでしょう。
テレビなどの音楽番組や音楽バラエティー番組の出演もたしかに一時ほどの露出度がなく、気が付けば2015年以前のポジションにもどったと思われます。この年の紅白をきっかけに、マキタスポーツが名付けた「歌怪獣」でポップスシーンにも躍り出た時、わたしはこのブームはせいぜい5年だと思われるので、その間に新しいステージに行くことを願っていました。
しかしながら、新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延に見舞われ、わたしたちの社会がよくも悪くも維持してきた昨日今日明日という連続的な約束事が壊され、パラダイムの大変換を余儀なくされつつあります。来るべき社会がわたしたちの暮らしをどのように変えるのか、コロナ禍でより鮮烈になった格差が取り返しのつかないところにまで進み、自己責任と自粛監視につつまれた暗い未来が待っているのか、それとも暴力と抑圧に身をさらされながらもつながろうとする孤独なネットワークによって、誰もがかけがえのない人間として助け合い、共に生きる社会がつくりだされるのか、わたしたちは歴史の瀬戸際に立っているのだと思います。
そのプロセスの途上にいる今、島津亜矢に限らず芸能・芸術に身をささげてきた人々の受難は想像をこえたものであることでしょう。何万人も終結するスタジアムやドームで繰り広げてきたエンターテイナーから少人数のファンと肉声による手触りのある表現にこだわってきたライブミュージシャンまで、これまでの表現の場がなくなってしまっただけでなく、マネージメントが難しくなり生活の不安さえ押し寄せる現実にもがいている人々に対して、この国はますます冷酷な仕打ちを繰り返しているとわたしはおもいます。
ひとがパンのみでは生きられないとしたら、切ない夢やはかない希望や悲しい勇気を見守り支える音楽や芸術が救える人の数は計り知れないもので、人々がスポーツをきらいになってしまうようなオリンピックよりも、軍拡のもとでますます開発競争が止まらない爆撃機よりも、それらに湯水のごとくつぎ込むお金の一部でも「不要不急」と言われてしまいかねない文化活動に支援してほしいと思います。減反政策などで国が破壊してしまった食料自給率を大幅に上げていくことと同じように、ヨーロッパの国々に学び、「文化自給率」を高めることは、わたしのすきな言葉ではありませんが「もうひとつの防衛政策」だと思うのです。
亡くなったかけがえのない命のひとつひとつを膨大な数で数えることを強いる新型コロナウィルス感染症の蔓延は、「不要不急」と決めつけて保健所や病院を減らし、医療をはじめ公的なサービスを民間に委託し、目先のコスト削減を進めてきた数十年の新自由主義への痛い警告であることを、わたしたちは学ばなければならないのだと思います。
ともあれ、島津亜矢の音楽的冒険が頓挫してしまったことは、とても残念です。
ここからはファンの方々に叱られることを承知で書いてしまいますが、「歌怪獣」という異名でポップスの領域に進出できた半面、最近のように音楽番組もバラエティー化する中で、島津亜矢に求められるものはどんな歌でも歌いこなせる「歌うま」を演じることなのでしょう。しかしながら、わたしには歌いこなすことが困難と言われるJポップの歌を難なく歌ってしまうがゆえに、島津亜矢がとてもかわいそうに思えるのです。
特に最近、「歌のうまい歌手」云々の音楽バラエティー番組で歌ったKing Gnuの「白日」とYOASOBIの「夜に駆ける」が評判になっていますが、わたしにはどうしても島津亜矢がこの歌を歌いたいと思って歌っているように思えません。もちろん、カバー曲の歌唱である以上、オリジナルとは別の解釈による独自の歌唱があるはずですが、たとえば「白日」をもっとも難曲のJポップという触れこみで、カラオケ番組でよくある「コメンテイター?」のひとたちのオーバーなリアクションで「歌うま」の演歌歌手という賛辞を送るという、約束された番組構成で歌わされる島津亜矢は気の毒としか言いようがありません。
今までのポップス歌唱は、番組プロデューサーと島津亜矢との間で「新しい音楽的体験」を共有しようという気概と信頼を感じられました。たしかに今彼女がおかれている状況を思うとしかたがないのかもしれませんが、島津亜矢が歌う歌はポップスでも歌謡曲でもシャンソンでもジャズでもブルースでも、もっと他にたくさんあるように感じます。
King GnuもYOASOBIもわたしの好きなグループでこの2曲は若い人たちの追い詰められた今を表現した素晴らしい曲ではありますが、彼女彼らがつくる音楽や歌は、かつて阿久悠が言い当てたように、歌が一本の映画のように物語を歌うのではなく、自分の感情をそのまま直接的に表現していて、心が張り裂けそうな「痛い歌」がほとんどです。そのため、オリジナルでなければ伝わらない、若い人たちのある種の方言といってもいい音楽で、宇多田ひかるや玉置浩二までの音楽とはよくも悪くも進化していると思います。すでにSNSから音楽が生まれる時代をわたしたちは生きていて、阿久悠のいう「直接的な感情」は、わたしには叫びというよりは悲鳴に聞こえるのです。
コロナウィルスと共存することを強いられ、歌がますます直接的な悲鳴にならざるを得ない今、島津亜矢にとっては更なる厳しい歌の道が用意されているのかもしれません。
しかしながら一方で、若い人たちの絶望的な状況が新しい音楽シーンをけん引する中、青春という激しい嵐がおさまった後の砂浜に残された取り返せない時を回収し、起こらなかった歴史もまたもうひとつの歴史として時代の記憶と未来を語り歌う、そんな歌があってもいいのではないでしょうか。
Jポップの悲鳴から解放された歌、それはおそらくかつての歌謡曲にもどるのではなく、新しい物語を歌うことになるでしょう。いつの時代も歴史的な事実よりも先に、来たるべく次の時代の予感を大衆芸能はかくしてきました。戦後、多くの作曲家とともに戦争に協力したと批判された古賀政男の「影を慕いて」が個人の失恋や絶望を歌いながら軍靴の響きを忍ばせ、数多くの人々の死と悲しみの果てに戦後の荒野とがれきから生まれるせつない希望をかくしていたように、新しい救済の物語を語る歌の誕生が待ち望まれます。
そんな歌と巡り合うために、島津亜矢の歌の巡礼はこれからもつづくことでしょう。
今こそ歌を、そして、歌いながら醒めよ!

島津 亜矢『恋人よ』
作詞・作曲 五輪真弓
島津亜矢は、この歌の持つ奥深い物語を特別な覚悟をもって歌ったのだと思います。彼女が獲得した低音の歌唱力がこれほど身を結んだ歌も少ないのではないかと思われる導入部から、「恋人よそばにいて こごえるわたしのそばにいてよ」という心の底から絞り出した激しい感情表現へとつづく特別な歌唱力で臨んだ「恋人よ」は、まさしく後々に語り継がれる一曲になったのではないかと思います。

島津亜矢 『君と見てるから』
作詞・作曲 今井了介
Jポップにありがちな「歌い上げるだけの名曲」とはちがう、深く静かに心の地下室へと続く階段をひとつひとつ降りていくような内省的な調べ、他者へのまなざしを愛と友情へと導く祝歌、同時代を生きるわたしたちに、共に泣き共に笑い共に生きる勇気を育てる希望の歌…、この歌は手垢のついた名曲とは程遠く、島津亜矢に歌われることによって名曲になるのでした。
島津亜矢のポップスのオリジナル曲の作り手として、このひとは注目すべきひとだと思います。かつて阿久悠はひとりの歌手のために最低3曲はつくるという了解のもとでヒット曲を生み出したといわれています。時代とともに音楽シーンも様変わりになったとはいえ、島津亜矢へのプロデュースもそれぐらいの冒険をこころみてほしいと思います。

島津亜矢 [北の蛍」
作詞:阿久悠 作曲:三木たかし
2003年、島津亜矢が30代初めのころの歌唱で、このころはほんとうに怖いもの知らずというか、彼女の才能があふれんばかりの歌唱に圧倒されるものの、最近の彼女の歌にはその歌が同時代であれ過去の時代であれ、いまも変わらない声量と安定した音程に加えて、その歌唱の奥に暗闇を隠していて、その暗闇が歌に奥行を持たせ、時代の記憶を次の時代に伝える力を持っていると思います。そこでは歌のうまさなどはもうどうでもいいもので、彼女のほんとうの魅力は、歌の墓場から何度でも眠っている歌をよみがえらせることができるメッセーンジャーとしての才能にあると思います。

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