島津亜矢「傘がない」

久しぶりに、島津亜矢について書こうと思います。
1月7日に放送されたTBSの「UTAGE!」に島津亜矢が出演し、「傘がない」他3曲を歌いました。島津亜矢のことと言えば今更過ぎたことをほじくってもと思われることを承知で、やはり昨年の紅白歌合戦の不出演についても書いておかなければならないでしょう。
昨年はどの歌い手さんやアーティストにとってそうであったように、全国各地のコンサート中心の島津亜矢の活動はコロナ禍で中止となり、残念なことになったと思います。
わたしも春と秋の2回楽しみにしていましたので、とても残念でした
ただ、わたしは紅白についてはぼつぼつ出演が途切れるのではないかと思っていました。むしろ、2015年より5年も、紅白のプロデューサーが島津亜矢を出演させてくれたものと思っています。
もちろんこの数年間、「歌怪獣」という異名の元で「うたコン」などの番組に出演し、高い評価を得てきたことがあります。しかしながら、最初の頃は名付け親のマキタスポーツが証言したように、彼女の培ってきたオールレンジの歌唱の魅力がJポップや海外ポップスの領域にまで及び、「こんな(演歌)歌手がいたのか」という驚きをもって受け入れられました。
しかしながらある時点で、正確には固有名詞を出して申し訳ないのですが、氷川きよしのポップスへの進出とジェンダーレスの生き方が話題を一気にさらってしまった時、やはりメジャーな発信力にはかなわないと思いました。
島津亜矢の長年のボーカリストの実力はそれとは何の関係もないものの、島津亜矢を取り囲む世論?は、彼女により「歌怪獣」としての実力を求めるようになりました。
そのため、Jポップの中でもバラードの名曲で豊かな声量を必要とする歌や、最近のJポップの早いテンポのヒット曲を依頼されることも多くなり、もとより器用な彼女は求められるまま難曲と言われる歌を歌いこなし、それがまた話題となることでその傾向に拍車をかけることになりました。コロナ禍の下でテレビの歌番組自身もあまり盛り上がらないまま、歌をじっくりと聴くというよりはすさまじい勢いで今の時代を生きる若者の心の裏側にピッタリと寄り添う若き才能たちが躍動する音楽シーンが、スマホを駆使したユーチューブなどで配信される大きな市場から、島津亜矢もまたどんどん遠ざかっていくように感じます。
紅白に出場することを悲願としたり、「あの歌手が出てるのにあの歌手が出ないのはおかしい」とか、さまざまな批判、意見が飛び交うのもNHKが準国営放送だからですが、昔とは違い、年末の大型の音楽番組としてNHKがめざす音楽シーンの姿を自由にプロデュースしてくれたらいいとわたしは思います。その意味で、島津亜矢の合計6回、連続5回の出場は結構大変なことで、これからは呼ばれたら紅白に出演するというスタンスで、おそらくまだまだ厳しい状況が2年はつづくことを覚悟して、島津亜矢らしい独自の音楽活動を深めてくれたらと願っています。

TBSの「UTAGE!」は中井正広が司会で不定期に放送される歌番組で、実力派のボーカリストがカバー曲をソロやコラボで披露し、オリジナル曲に最大のリスペクトを捧げながら自分なりに歌うパフォーマンスが魅力の番組です。
この番組の更なる魅力は、「宴」というタイトル通り、実力歌手が安全に自分の領域で歌いこなす予定調和より、時には批判が飛び交うことになってもそれぞれの歌い手の今以上の領域に足を踏み入れる音楽的冒険と、様々なコラボによってそれぞれの領域を越えた新しい表現への強い渇望、そして出演者がライバルとしてではなく共に番組を作っていく同志としての信頼があることです。この番組に出演することは歌唱力や表現力は最初からあるものとしてお互いがお互いの表現を認め合い、新しい発見や才能に驚きわくわくできる番組として、今の島津亜矢にとってとてもありがたい番組なのだと思います。
実際、最近の隠れた名曲「君と見てるから」の今井了介がプロデュースした「ベイビー・アイラブユー」の大ヒットで知られるTEEは「UTAGE!」の常連で、島津亜矢のポップス観を刺激し、わたしがこの番組で聞き逃せないシンガ・ソングライターです。
さて、島津亜矢の「傘がない」は、単にその声量のすごさ以上に素晴らしい歌唱だったと思います。「傘がない」は井上陽水の1972年のアルバム「断絶」からシングルカットされ、初期の代表曲といわれるようになりましたが、世代を越えて数多くの歌手がカバーしているだけでなく、陽水自身も年代に応じて歌唱は変わっていったもの、セルフカバー以上の思いがあるようです。
発売当時が連合赤軍のあさま山荘事件により、70年安保闘争を中心とした学生運動の終焉が決定的となったことで、それ以後の若者の政治離れや無関心、社会問題より個人の恋愛などに重きを置く風潮を「ミーイズム」と言い、嘆きとある種の断罪を交え、皮肉にも社会問題となった歌でした。それについては今回の記事の余白が少なく、当時のリアルな世代だったわたし自身のことと、後に被災障害者支援ゆめ風基金のイベントで箕面に来たもらった筑紫哲也さんのことを含めて次回に書こうと思います。
今回の島津亜矢の歌唱に、この歌をリアルに聴いていたわたしにはもしかすると若い井上陽水自身も説明ができなかった感情…、日本社会がまるで荒波が大きな罠が仕掛けられた不確かな未来へと一瞬にして去ってしまった後の胸のうずきそのもののように思えた、あの頃の風景がよみがえるようでした。
過去のいくつかの名曲を誰が歌うかに興味がわくコーナーで、過去の映像で中島みゆきの「時代」が流れ、またかと少しがっかりしていた時、画面のネクストソングに「傘がない」と出て、普通ならこの歌を歌えるそうそうたる歌手がずらりといる中で、もしかするとこの番組ならではの音楽的冒険があるかも知れないと思ったそのままに、島津亜矢が大声量で「都会では…」と歌い始めました。このまま大声量病に取りつかれてしまうのでないかと心配していたら、「自殺する…」と声を落とし、この歌の源流に一気に私を連れて行ってくれました。正直、涙が出てきました。若かった井上陽水の、そして若かった同世代のわたしの、二度と戻らない、取り返しのつかない、ほぼ同じ世代の村上春樹のいう「損なってしまった」大きな大きなさよならがあの頃の街角に取り残されているような、意味不明の涙でした。
最近の島津亜矢をとりまく世間の重圧に嫌気がさし、彼女のせいではないのにわたしが求める歌から離れていくように思えて、島津亜矢の記事を書くことができなかったわたしに、もう一度彼女の厳しすぎる歌の道を後ろからついていこうと思いました。

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