「演歌のちあきなおみ」のくびきから解き放たれて。島津亜矢の「喝采」

ずいぶん前になってしまいましたが、5月8日のNHK「うたコン」で、島津亜矢が「喝采」を歌いました。
この歌はご存知のようにちあきなおみが1972年に発売した楽曲で、この年のレコード大賞を獲得し、紅白歌合戦でもこの歌が歌われました。
この歌に限らず、また島津亜矢に限らず、ちあきなおみの歌を歌うことは人知れずプレッシャーがかかるのではないかとわたしは思います。それはいまだにかなりの数の「ちあきなおみ命」という熱烈なファンがカバー曲を寄せ付けないことだけが理由ではありません。
むしろ大衆音楽全体がちあきなおみの立ち位置を「演歌・歌謡曲」としていることに根本的な行き違い、誤解があり、そのために彼女の楽曲を歌うのがどちらかといえば演歌・歌謡曲の歌い手さんが多いという事情があります。この歌が発売された1972年は、今のJポップとはちがう「ポップス」というジャンルがあり、ちあきなおみはデビューからずっとポップス歌手で、そこから考えればもっとJポップのジャンルからちあきなおみをカバーする歌手が生まれていいはずです。
この不幸な現実はちあきなおみという不世出の歌手の不幸だけではなく、日本の大衆音楽の不幸でもあるとわたしは思います。
ちあきなおみほど、自分が歌うべき歌、歌いたい歌を探し続けた歌手はいないのではないかと思います。米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったりと下積みの時代を経て1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューし、その後の華々しい活躍の中でも、彼女のビジュアルから「魅惑のハスキーボイン」というキャッチフレーズをつけられたりして、芸能界になじめず自分らしい歌手像を求めつづけたといいます。
あきなおみはポップス歌手としての印象が強くありましたが、その後は「さだめ川」、「酒場川」、「紅とんぼ」、「矢切の渡し」などの船村演歌の名曲もたくさん歌いました。
また、ニューミュージックのアーティストから楽曲提供を受け、中島みゆきの「ルージュ」や友川カズキの「夜を急ぐ女」などをレコーディングしました。さらにはシャンソン、ジャズ、ポルトガル民謡のファドなど、その探求心は彼女の歌を至高の芸術にまで高めました。

「喝采」は、そんな彼女の変貌のターニングポイントとなった曲で、彼女のそれ以後の圧倒的な歌唱力による独特の世界への第一歩だったように思います。
その真骨頂は「演劇的」ということに尽きると思います。1977年の紅白歌合戦での友川カズキの「夜を急ぐ女」の鬼気迫るパフォーマンスは、今でも語り草になっています。
「喝采」はそこまでの演劇性を歌唱としては求めていないのですが、ヒットチャートにすんなり納まるポップスであるだけでなく、私小説的なプロデュースが彼女の歌によって実現できた第一作だと思います。作詞者の吉田旺とはデビューからの深い親交があり、シャンソンやファドなど、ちあきなおみの音楽的冒険を理解し、共に彼女の世界を広げていったひとで、「喝采」においてもその演劇性の一端を歌詞にしていると思います。
さて、島津亜矢の「喝采」ですが、依然に歌唱した時と比べて段違いで、なんといってもセクシーな低音が物語るこの歌の私小説な物語と、歌の中のヒロインの歌手を演じ歌うという難しい二重構造を、オリジナルのちあきなおみとは少し違う切り口で物語にしました。ちあきなおみは作中人物に寄り添う巫女のように、ライトに照らされていないヒロインの孤独を歌い上げましたが、島津亜矢の場合は語り手としてのもう一人のヒロインが一幕物の浄瑠璃の芝居を物語るように、やや力強く歌ったのが印象的でした。
この歌に限らず、島津亜矢でさえも「演歌としてのちあきなおみ」に囚われていたように思います。演歌の歌い手さんがちなきなおみを演歌ととらえて歌う数々の音源は、彼女のたどりついた世界からはかなり稚拙ものが多いと思います。歌が下手で歌唱力がないのではありません。歌が持っている闇の魔力にたどり着かないというべきか、歌の物語の読みがちがうというべきか、つまりは歌の解釈がちがうということなのだと思います。
美空ひばりの場合はまだ演歌としての到達点にたどり着くためのエチュードとして歌ってもそれほどの破綻はないでしょう。しかしながらちあきなおみの場合は、言い方を変えれば現代演歌が「きらい」だった彼女がスバ抜けた演歌としての歌唱力を持ち合わせていたために、安易に彼女の演歌の歌い方だけを真似てしまうか、彼女よりも巧みな演歌の歌唱を目指してしまうのだと思います。
島津亜矢の今までのちあきなおみのカバー曲もまた、その現代演歌というくびきに囚われていたと思います。それがゆえに、「かもめの街」も「紅とんぼ」も現代演歌でしかなく、ちあきなおみの音楽的冒険にたどりつけなかったのではないでしょうか。
ちあきなおみの頑強なファンが圧倒され、あきらめてしまうほどのカバーは、実は島津亜矢の現在の立ち位置、演歌も歌謡曲もJポップもジャズも、最近あまり歌わないシャンソンも同じ立ち位置で歌えるオールラウンドのボーカリストに進化した今こそ歌えるということを、今回の歌唱が証明してくれたとわたしは思うのです。
実際、今回の歌唱で一番印象的だったのは「いさぎよさ」とか「歌う覚悟」がにじみ出ていて、それは、「演歌としてのちあきなおみ」との決別であり、ちあきなおみがたどり着いた高みと同じところに立ち、ちあきなおみの音楽的冒険を率直にリスペクトすることでもあるのでしょう。
わたしの独断と偏見をお許し願えれば、戦後の歌謡史の中で燦然と輝くちあきなおみがたどり着けなかった地平があるとすれば、わたしは浅川マキだと思っています。戦後の女性ボーカリストの系譜の一つに、浅川マキからちあきなおみがあり、ちあきなおみは演歌の歌姫としての役割を負わされましたが、浅川マキはジャズやブルース、ゴスペル、フォークソング等を歌い、独特の世界を確立したブルースの歌姫でした。
ちあきなおみの「朝日のあたる家(朝日楼)」は浅川マキの訳詩によるもので、ちあきなおみは浅川マキにリスペクトしながらも浅川マキとはちがう入り口から、この歌を彼女色に染めようと意識的に歌っていると思います。
島津亜矢にとって、この系譜はなかなかてごわいものがあるのではないかと思われました。古くは「かもめの街」でのネガティブな評判に心痛めたこともあったかもしれません。
しかしながら、今回の吹っ切れた歌唱を聴くと、ちあきなおみの冒険をきちんと受け止める歌手として、島津亜矢の役割がまたひとつ増えたとわたしは思います。
ですから、もう一度、「かもめの街」や「紅とんぼ」を、そして新しく「冬隣」を、そして最大の難曲である浅川マキの「朝日楼」を、今の島津亜矢に歌ってもらいたいと思います。

島津亜矢 喝 采
この頃の島津亜矢はあふれる声量と声質で聴くものを圧倒していました。本人は決して歌のうまさや声量を誇る人柄ではありませが、とにかく若くて一生懸命だったのでしょう。この頃はまだぞくっとする低音はなく、どうしても高音が響き渡り、上手いというしかないのですが、一方で「そんなに元気に歌う歌ではない」とコメントされる理由になっています。「かもめの街」でも似たような批判があったように思います。しかしながら、一番の問題は彼女のせいではありませんが、「演歌のちあきなおみ」に疑いを持たないところにあると思います。時が経ち、年齢を重ねることで今の島津亜矢はこの歌を新しい解釈で歌ってくれました。その映像も音源もありませんが、聴かれた方にははっきりとその違いがお分かりになったと思います。
ちあきなおみ/喝采

ちあきなおみ「朝日楼(朝日のあたる家)」 

浅川マキ 「 朝日楼 (歌詞付) 」

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