「First Love」はR&Bからソウルミュージックへとつながる島津亜矢の道標

アルバム「SINGER」シリーズは島津亜矢のここ2、3年出演機会が増えた民放のポップス番組での歌唱や、中島みゆきリスペクトコンサート「歌縁」への出演、さらにはSINGERコンサートなどと連携する形になり、選曲の多様さとあわせて発売間隔も狭くなり、昨秋には「SINGER5」が発売されました。
ここまでくればオリジナルのポップス曲の発表が望まれるところですが、今のところ、テイチクレコードをはじめ島津亜矢サイトがポップス曲の制作を始める様子はありません。
今年の新曲も演歌で従来と同じ販売ルートをくずさず、ある意味では堅実、別の言い方をすればリスクを取る冒険をさけています。
わたしは演歌・歌謡曲のジャンルにおいても野心的な楽曲が生まれることを強く望んでいて、島津亜矢には演歌・歌謡曲のジャンルでそのオピニオンリーダーになってほしいと願っています。島津亜矢のジャンル・フリーな音楽へのたゆまない冒険を必要とする時代がそこまでやってきていることを実感します。
かねてより桑田佳祐や中島みゆき、水野良樹などのつくる曲はかつての歌謡曲に近いですし、昨年の紅白に別枠で登場したエレファントカシマシの宮本浩次と椎名林檎の「獣ゆく細道」などはまさしく懐かしくも新しい歌謡曲と言っていいでしょう。
アルバム「SINGER5」に収録された16曲は多岐多様で、正直に個人的な感想を言えばそのたぐいまれな歌唱力と声量と声質をもってしても、演歌・歌謡曲ですでに獲得している「歌を詠む力」と「歌い切らず歌い残す力」がまだ途上にあるという印象もぬぐえない感もあります。
しかしながら、一曲一曲と真摯に向き合い、様々な表現を模索していて、ポップスの広い荒野に確かな存在感を持つボーカリストとして、出自が演歌歌手というところでの驚きを差し引いても揺らぎのない評価を得たこともまた確かなことだと思います。
もしかすると周辺の関係者やファンからの熱望を受けながらも、今はまだ「SINGER」シリーズやライブ、音楽番組などを通してより高みをめざすエチュードの時期と位置づけ、オリジナルの楽曲の制作に踏み出すタイミングを待っているのかもしれません。
どちらにしても近い将来島津亜矢が満を持して最高のつくり手による最高の楽曲を世に出す瞬間が来ることは間違いないと思います。実際、70年代から様々に多様化、分散化してきた大衆音楽の現状は大きく見れば衰退しているといわざるを得ず、いまを生きるわたしたちは「歌を必要としない時代」に向かっているのかも知れません。だからこそ、「時代のかなしみ」を背負い、音楽がもう一度土の匂いや草花のはかなさ、思いまどうたましいの彷徨を歌える島津亜矢にどうしても過度な期待を持ってしまうのです。
ともあれ、刺激的かつその表現の幅を一気に広げた今回のアルバムは、振り袖に風を抱き、眼下の荒海から遠く水平線を見つめ、覚悟を秘めて立ち尽くす島津亜矢がよくも悪くも前のめりで強く「声圧」をかけた作品だと思いました。
その中でまず、「First Love」を取り上げたいと思います。この歌は1998年、15才のデビュー曲「Automatic」が社会現象にまでなった宇多田ヒカルが翌年の1999年に発表したファーストアルバム「First Love」からシングルカットされた楽曲です。ちなみにこのアルバムは累計765万枚以上のセールスを記録し、日本での歴代ランキング一位となってて、それ以後、音楽を聴くメディアがCDから音楽配信に変わり、この記録を抜く楽曲は現れないのではないかと言われています。
宇多田ヒカルの出現は、当時圧倒的な存在だった小室哲哉に「自分の時代が終わった」と思わせるほど、日本の音楽シーンに衝撃を与えました。それほど熱心なリスナーではなかったわたしでさえ、それまでなんとなく聴いていたJポップとは歌が生まれる場所が違うと感じたものです。実際、ダンスミュージック全盛のJポップが苦手だったわたしには四畳半演歌・歌謡曲と同様に「スタジオやクラブシーンからしか生まれない音楽」とは違い、宇多田ヒカルの音楽が地平線の彼方からやってくる新しい時代の地響きのように聴こえたのでした。
「I Will Always Love You」で島津亜矢をポップスのボーカリストとしてはじめて評価したといえる音楽プロデューサーの松尾潔は、宇多田のデビューの数ヵ月前、のちに「Automatic」のカップリングとなる「time will tell」を聴かされ、日本人でありながら、R&B、黒人音楽、洋楽っぽい雰囲気が生まれつき肉体に備わっていることに驚いたと証言しています。しかも、すべての楽曲を作詞作曲し、後には編曲までひとりでしてしまう、とんでもない才能から生まれる楽曲を自ら歌い、「最後のキスはたばこのflavorがした ニガくてせつない香り」で始まる歌詞は16歳の少女のものとは思えず、ゴーストライター説が流れるほどでした。どこか歌謡曲に近い曲調なのに、「さ、いごのキスはたば、このflavorがした ニ、ガくて切ない香り」と歌う彼女の歌はR&Bのグルーブ感にあふれています。
わたしは、時代をさかのぼること1970年代に演歌を時代の挽歌にしてしまった天才歌手・藤圭子を母に持つDNAなくしてはこんな天才少女があらわれるはずがなく、そのことが宇多田ヒカルにとって結構つらい事だったのではないかと思います。
けれども、藤圭子が思わぬことで世を去り、本人の結婚と離婚、そして子育てを通して、今はじめて母親から人生の大切な花束を受け取り、彼女の音楽は大人になることでより深い暗闇ときらきらした宝石の朝を獲得したのではないでしょうか。
そして、島津亜矢にとって中島みゆきとはまた違った方向から音楽の旅案内をしてくれる宇多田ヒカルの音楽との親和性を感じさせてくれる「First Love」は、R&Bからソウルミュージックへとつながっていく島津亜矢の音楽性を生み出す道標となる楽曲なのではないかと思います。
島津亜矢の「First Love」には、16歳の頃の宇多田ヒカルのグルーブ感には至らないものの、むしろ「花束を君に」や「真夏の通り雨」をはじめとする最近の宇多田ヒカルの音楽に近いものを感じます。それは、先日のフレディ・マーキュリーへのリスペクトと同じく、宇多田ヒカルが今、誰に届くように歌っているのかという問いが、島津亜矢にも投げかけられているからだと思うのです。
わたしはさきほど「声圧」といいましたが、この歌もふくめてナイフのような高音がやや強く、最近の演歌の歌唱にみられるセクシーでぞくっとする低音が鳴りを潜めているように思います。そのために絶唱してしまう歌唱が目立ち、聴き手の心に「歌い残す」ところにまで歌が届きにくいと感じました。歌番組でコラボする時にはそれが実現しているのですから、一人で歌うポップス歌唱においてもセクシーな低音が歌に奥行をもたらし、歌をより豊かにしてくれるのではないでしょうか。
もっとも、「First Love」はこのアルバムの16曲の中でもっとも難しい楽曲であることもまた事実で、「誕生」や「リバーサイドホテル」、「木蓮の涙」、そして不思議なことに「Forever Love」などは切ない心情にあふれた絶唱が聴く者の心を打つ素晴らしいものになっていると思います。その意味でも「SINGER5」は、さまざまな可能性を限りなく探し求めたボーカリスト・島津亜矢の誕生という、記念すべきアルバムであることはまちがいないと思うのです。

島津亜矢の「First Love」は削除されていて、中国の映像サービスをUPしようとしましたが、サイトに問題があると警告されましたので、残念ですが映像を紹介できません。興味を持たれた方はアルバム「SINGER5」を購入していただくか、ダウンロードでお求めください。

宇多田ヒカル - First Love

宇多田ヒカル - 花束を君に

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨

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