「北の螢」は阿久悠が暗黒の時代に放った最後の置き土産 島津亜矢

12月8日、NHKBSの「新BS日本のうた」の特集番組に出演しました。今年一年、この番組をふりかえりながら、演歌・歌謡曲の若い人たちを中心にした番組構成で、島津亜矢が若手とは言えなくなった今、いわばサッカーでいうオーバーエイジという位置づけだったのでしょう。
最近は島津亜矢が出演する時以外は「新BS日本のうた」を見ることもなくなりました。
というのも、演歌・歌謡曲ジャンルの閉そく感が極まり音楽的冒険も望めない中、個人的には昨年妻の母親が亡くなり、付き合いで見る機会がなくなってしまったからでした。
一方で同じNHKの地上波の「うたコン」は毎週必ず見るというわけではありませんが、ジャンルにとらわれない出演歌手の多様化と意外なコラボに刺激され、島津亜矢が出演しない時でも見る機会が多くなりました。
それはさておき、久しぶりにこの番組を見て演歌・歌謡曲ジャンルの若手と言われる歌手たちの勢いの良さを感じました。失礼な言い方かも知れませんが長い間よくも悪くもベテラン歌手の出演が優先されて若手の歌手の出演が限られていたこのジャンルにも、ようやく新しい風が入り、若い人たちの息苦しさが少し解消されたように感じます。
もちろん、かつてのような勢いを取り戻すことはないでしょうが、今回の番組を見て若手の演歌歌手が自由に歌う雰囲気がありました。
島津亜矢のファンとしてのひいき目をお許しいただければ、ここ2、3年に島津亜矢が大きな役割を果たしたとわたしは思います。もちろん、市川由紀乃や山内恵介もまたオーバーエイジで、特に個人的には市川由紀乃の歌唱力はすでに高く評価されているところですが、若い歌手が切磋琢磨し、総じて歌唱力を評価できるところに来ているとわたしは思います。番組の雰囲気のよさは島津亜矢にとってもうれしい限りで、演歌界の新しい時代の夜明けを感じさせる番組でした。
この番組で圧巻だったのは島津亜矢の「北の螢」(オリジナル・森進一)でした。しばらく島津亜矢のポップスばかりを聴いてきましたが、「ポップスを歌える演歌歌手」の鎧を脱ぎ捨て、彼女の潜在的な才能が大きく花開こうとする今、演歌・歌謡曲の可能性もまた島津亜矢によって切り開かれる予感を感じさせる歌唱でした。

若かったころ、わたしは森進一が好きでした。高校卒業後に勤めた建築設計事務所を半年で辞め、ビルの清掃をしていた3年の間、街のパチンコ屋さんや商店街はもとより、都会のどこかしこから歌が流れていました。JR吹田駅前の古いアパートに住み、テレビのない暮らしをしていたわたしの隣の部屋のテレビから、石田あゆみの「ブルーライトヨコハマ」やピンキーとキラーズの「恋の季節」など、はやり歌がかすかに聞こえてきました。
わたしはといえばビルの清掃をしながら、森進一の「命かれても」や「花と蝶」をいつも口ずさんでいました。わたしの友人たちはみんな高校の頃からビートルズに夢中でしたが、わたしだけ森進一のファンで通していて、へそ曲がりとよく言われたものでした。
わたしが森進一の歌にひかれたのはそれまでの歌謡曲のような語りではなく、どろどろした女の恨みやかなしみや痛みがナイフとなって突き刺さり、真っ赤な血がほとばしるようなエロチシズムに心を奪われたのでした。
世間は大学紛争と70年安保闘争で騒然としていて、同世代の若者は必死に「世の中を変えよう」としていたのかも知れないのに、わたしといえば三上寛の歌のように「希望の前にあきらめ覚え、手を組むたびに裏切り覚え」とうそぶき、心を閉ざすことでしか自分を保つことができませんでした。そんな暗くよどんだ心に、「惚れてふられた女のこころ あんたなんかにゃわかるまい」(「命かれても」)と歌う森進一の歌は、時代に取り残されたように孤独なわたしの心情をなぐさめてくれたのでした。
正直に言うと、わたしは島津亜矢のカバーで「北の螢」をはじめて聴きました。その音源は2003年のもので、30代前半の島津亜矢は怖いもの知らずの絶唱型から脱皮し、それまでの歌いきってしまう歌唱から奥行と陰影のある歌唱へと変わろうとしていた頃だと思います。
わたしは島津亜矢と森進一はどこか深いところでつながっていると思っていて、たとえば島津亜矢が歌う「瞼の母」の若いアウトサイダーの純粋な「テロリスム」は、酒場で男に弄ばれる女の「プロテスト」と合わせ鏡のように共通していると思います。
その中でも「北の螢」は阿久悠と三木たかしという二人の音楽的野心が重なり合い、歌の外側へと蛍をとばしてしまう凄まじい情念と血塗られた愛情表現が求められる歌だと思います。
1984年に発表された森進一の「北の螢」は同名の映画の主題歌だったことを、不明にも今回はじめて知りました。(そのころのわたしは演歌にはまったく興味がありませんでした。)
映画「北の螢」は西欧化政策を取る明治政府が本土の資源不足を補うために北海道開拓を急ぎ、囚人たちに奴隷のような強制労働を強いて雪の中での道路建設を行わせ、多数の犠牲者を生んだという実話を元にしています。主題歌となる「北の螢」と同時進行で製作され阿久悠がスーパーバイザーとして製作に参加しました。
「北の螢」は五社英雄監督が1982年の「鬼龍院花子の生涯」、1983年の「陽暉楼」、1985年の「櫂」と、高知を舞台にした宮尾登美子原作、五社監督コンビによる三部作の間に撮った映画で、史実に基づいた高田宏治のオリジナル脚本で舞台も北海道です。
明治幕開けの北海道の異常な世界・樺戸集治監(刑務所)を舞台に典獄(刑務所長)と北海道開拓の先兵として強制労働を強いられた囚人、その周辺にあった女郎屋の女たちとの愛と憎悪の葛藤を描いた壮絶な映画です。
わたしは明治政府の非道な政策からほとんどの囚人が死んだという国家犯罪をまったく知りませんでしたが、この事実からはじめて「北の螢」という歌が隠しているとてつもなく大きなかなしみと激情のルーツを知りました。
1984年と言えば、阿久悠の関心はすでに作詞から離れていたと思うのですが、その分、歌を取り囲む歌のルーツと呼べるものから喚起されたイメージとして、胸の乳房を突き破り、無数の赤い蛍が翔んでいく鮮やかな映像が三木たかしの切なすぎるメロディーとともにくっきりとせりあがってくるのでした。
白い雪と赤い蛍、男の野心と女の情念が舞い上がる壮大なドラマのまんなかにせりあがる「北の螢」、この歌を歌う森進一の破壊的なエロチシズムとカタルシスは鬼気迫るものがありました。
2003年、32歳の島津亜矢の歌唱は若い頃の大時代的な絶唱癖が多少残っているものの、それがかえってこの歌の壮絶な物語を表現していて、激情の観客はもとより視聴者に驚きと感動を呼び起こしたことでしょう。
16年前にこの難曲をこれだけ完成させてしまった彼女が今歌う「北の螢」は、むしろ淡々と歌うことから隠された情念をいとおしくすくい出し、暗黒の時代を語り継ぐ叙事詩のように聞こえました。

今年もあと2週間となり、さて今年の紅白で島津亜矢が歌う歌は何かで話題になっていますが、わたしはそれよりもマキタスポーツの名コピー「歌怪獣」の称号もせいぜい後2年で賞味期限が切れると思われ、それまでに島津亜矢がポップスの歌唱の完成度を高め、演歌をふくむ新しい「島津亜矢の音楽」にたどり着くことを信じてやみません。
そのためにも、演歌だけでなくポップスのジャンルもふくめて、大胆な音楽的冒険を島津亜矢と疾走する歌の作り手の奮起を望みます。

島津亜矢「北の螢」(2003年)
本文にも書きましたが、この時代にすでに演歌の歌心をすべて飲み干してしまったのだと思います。それから16年、くるしい時代をくぐりぬけて今、彼女は今まで以上に歌うことの楽しみをかみしめているのではないでしょうか。

森進一「北の螢」
森進一はデビューの時に声をつぶしてしまったのでキワモノ扱いされたり、今でも変な物まねがはびこっていますが、わたしはポップスも含めて玉置浩二と比類ないボーカリストだと思います。島津亜矢とこの人は、歌がただ聴くものだけではないことを教えてくれます。それだけ歌の可能性を押し広げてくれるのですが、一方で歌がとても危険なものであることも教えてくれます。


藤圭子「北の螢」

このひとの歌唱はすでにブルースの領域です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です