「Let It Be」は青い時との別れ歌・島津亜矢の歌に隠れる時代の記憶

3月3日のNHK「うたコン」は新型コロナウイルス感染症への対応のため、無観客で開かれました。ビートルズ解散から50年ということで、「ビートルズ&春うたスペシャル」と題したこの日はややとってつけたような演出で冒頭にビートルズの楽曲3曲の後は、aiko、JUJU 、清塚信也、ダイアモンド☆ユカイ、スキマスイッチ、ゆずから、城田優、柏木由紀、足立佳奈、つばきファクトリーから橋幸夫、 千昌夫、平浩二、堀内孝雄、市川由紀乃、竹島宏、金沢明子、真田ナオキ、朝花美穂など、ポップスから演歌・歌謡曲まで、いつにもまして幅広い出演者で総花的かつバラエティに富んだ番組になりました。
その中で島津亜矢は番組冒頭に「レット・イット・ビー(Let It Be)」を熱唱しました。
正直に言うとわたしはポップスのジャンルに足を踏み込んだ最近の島津亜矢に少し危惧というか、取り越し苦労なのでしょうが危機感をもっています。それは何も彼女のポップスのボーカリストとしての力量を問うものではなく、かつて「BSにほんの歌」で演歌・歌謡曲を完璧に歌い、誰もよりつけないほどのオーラをはなっていた頃の彼女がわたしにはどこかひとりぼっちのように思えて痛々しく感じていたからです。もちろんショービジネスの世界はそれが当たり前で、究極の孤独と後悔と寂寥と、そして嫉妬が付きまとう職業であることは事実だと思います。
大きな事務所に属さず、彼女自身の才能だけが頼りの決して順風満帆とはいえなかった不遇の時代、彼女を支えるファンはもとより、おそらく天童よしみや坂本冬美、そして星野哲郎、北島三郎など数少ない友や師の支えで長い歌手人生をなんとかぶれずに進んできたのでしょう。
いま、振り袖姿のボーカリストとしてポップスを歌う彼女はたしかにその歌唱力が高く評価され、ポップスのジャンルの歌い手さんたちにも注目される存在となっています。ポップスの世界は演歌の何十倍もの裾野の広さと、新人もベテランもそれぞれの事務所の営業のもとでわたしなどその名前も知らない人たちがそれなりのファンを獲得しています。
彼女彼らは演歌歌手が切実に望む「紅白」出演などはとくに関心がなく、チームのプルデュースのもとでドーム公演も満杯にできる環境にいる人たちも数多くいます。ですから、演歌のジャンルから飛び込んできた島津亜矢にたいしても、「UTAGE!」や「うたコン」の雰囲気を見る限り、好意的に受け入れられているのだと思います。
しかしながら、それでもなお、わたしは島津亜矢の立ち位置がとても不安定でひやひやしながら音楽番組を見ています。周りからは絶好調と思われているかも知れないこととは裏腹に、あらゆる意味で大海に身を投げ出した彼女は自分の進むべき道に惑い、相談できる先輩や星野哲郎にかわる師を求めているようにも思えるのです。今年の新曲を北島三郎に依頼したことは、その現れなのかもしれません。
今回の「レット・イット・ビー(Let It Be)」の歌唱には、思いまどいながらもひたむきに突き進もうとする彼女の心の叫びが聴こえてきたと思うのは、わたしの穿った見方かもしれません。
というのも、島津亜矢のアルバム「SINGER」シリーズではJポップの名曲がたくさん収録されていて、音楽番組やライブで歌う場合もそれらの曲を歌うことになってしまいます。実際のところ、演歌・歌謡曲が著しく衰退している以上に、和製ポップスの世界もまた疲弊していて、はやりのダンス音楽やアイドルの歌が消費される一方で、それほど音楽的な冒険を伴わず、おのずと声量と歌唱力で、阿久悠がいみじくも言ってのけた主に男女の恋愛をテーマにしたいわゆるこじんまりした名曲が歌われている現実があります。
その現実に島津亜矢がすっぽりとはまっていて、かつての演歌・歌謡曲のカバーと同じようにJポップの「名曲」ばかりを歌い、オリジナルと比較されたり他の歌手のカバーと比較されてしまうだけで終わってしまわないかと心配になるのです。
わたしは島津亜矢はそんな目先の名曲主義で終わらず、古今東西あらゆるジャンルの音楽を体感し、共に聴き共に歌い、歌が生まれた時代と個々人の人生が合わせ鏡になった「歌の記憶」をたどる至高の旅を続けてほしいと折に思うのです。
「レット・イット・ビー(Let It Be)」はビートルズが解散する1970年3月に発売された最後のシングル曲です。ビートルズの楽曲はジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作になっていますが、この曲はポールの作詞作曲となっています。
ご存じのように、最後までグループとしてのビートルズを愛し、活動を続けていきたいと思うポールの悲しく寂しい心情があふれたこの曲は、同時にそれがかなわない現実からポールがビートルズに精いっぱいの別れを告げる曲でもあります。
ポール自身はすでにビートルズとしての明日がないことに絶望的な夜を何度も何度も潜り抜けるさ中、早くに亡くなった母親が降りてきて、「あるがままにすべてを受け入れる」と告げた啓示から、この曲をゴスペル風に作ったと証言しています。
わたしは友だちのビートルズ包囲網にあらがって森進一の熱烈なファンでしたが、1966年6月、台風とともに彼らが空港に降り立ち、ブルーバードに乗ってホテルへと向かうときに流れた「ミスター・ムーンライト」のジョンの第一声でたちまちビートルズのとりこになってしまいました。それから1970年の解散までの4年間、大島渚のテレビドラマ「青春の深い淵より」さながらに高校卒業後半年で建築事務所を辞め、3年間ビルの清掃をしながら見失いそうな自分の生きる道を探しあぐねていました。同年代の大学生が学園紛争と70年安保闘争で「国家」と対置していた間、わたしはといえば違う形でドロップアウトしていた若者たちに心を寄せて、曽根崎商店街のいかがわしい「ゴーゴー喫茶」に入り浸っていました。
風采の上がらないどもりの少年にとって、世の中はそれに従う若者もあらがう若者も、どちらもわたしには遠い存在でした。それでも、わたしの人生にとってその4年間は青春そのもので、ビートルズはロックバンドをこえたわたしの生き方の道しるべそのもので、ここからわたしは寺山修司も唐十郎も竹中労も平岡正明も小田実も知ることとなり、死んでしまったKさんやわたしの妻とその友人たちとの小さなユートピアを夢見て共同生活をつづけていました。
ビートルズが解散に向かってひた走るのと同じくして、わたしたちもまた世界から身を隠すためのユートピアがどこにもないことを知ることになりました。そして、「レット・イット・ビー(Let It Be)」が巷に流れる頃、わたしたちもまたそれぞれ別々の道を歩き出そうとしていました。
ビートルズの解散は予見できたこととはいえ、わたしはさみしかった、そしてふたたび忘れていた孤独と絶望感に襲われました。思えば彼らの解散とともにわたしの青春が終わっただけでなく、戦後民主主義の光と影があらわになり、日本全体がとても大切なものを時代の記憶のかなたに捨てることで高度経済成長へとアクセルを踏んだ一瞬だったのだと今では思うのです。
ビートルズ解散の翌年に生まれた島津亜矢は、この歌が一つの時代の鎮魂歌として世界の若者の心を通り過ぎて行ったことを知る由もないでしょう。しかしながら、歌が隠している時代の記憶をひもとき、彼女自身の心情と重ね合わせて熱唱する彼女の「レット・イット・ビー」は、わたしに若さが政治を切り開いた青春の時代とその決別を思い起こさせたのでした。

The Beatles - Let it be

島津亜矢 北国の春
この日はあと一曲「北国の春」を千昌夫と歌いました。この映像のころと違い、今の島津亜矢は演歌版ミュージカルのようなしなやかさと演劇的な歌唱で、千昌夫と見事なコラボを聞かせてくれました。

「Let It Be」は青い時との別れ歌・島津亜矢の歌に隠れる時代の記憶” に対して3件のコメントがあります。

  1. Phoebe Snowが好きだった より:

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    はじめまして。「Phoebe Snowが好きだった」と申します。どうぞよろしくお願いします。
     長年「島津亜矢」を見守り続けてこられているtunehiko様に、「島津亜矢」ファン歴の浅い(5年)私のようなものがコメントする資格もないと思っていますし、私がこれから述べることは全てご承知のことで何ら目新しいこともない内容だと理解しているつもりです。生意気な新参者のコメントを寛大なお気持ちで読んで頂ければと思います。
    今回のブログを読ませて頂いた日から、コメントしようかずっと迷っていましたが、ここは「♪ドーンとね!」の気持ちで⁉
     ファン歴の長いtunehoko様 に、  私の ようなファン歴の浅い者の「 亜矢さんのこれからに対する思い」への違いや意見?があるということを 知って頂いてもいいのではないかと、「島津亜矢」を思う気持ちは同じファンの一人としてコメントさせて頂きます。
     私の読解力不足から、tunehiko 様  が伝えようとされてることに対して、的外 れなコメントになっているかもしれませんが、そこはご指摘いただければ幸いです。  
     畏れ多いのですが、私の中で tunehiko 様  の意見を私自身がきちんと把握するため要点を纏めさせて 頂きました。
     『正直に言うとわたしはポップスのジャンルに足を踏み込んだ最近の島津亜矢に少し危惧というか、取り越し苦労なのでしょうが危機感をもっています。・・・かつて「BSにほんの歌」で演歌・歌謡曲を完璧に歌い、誰もよりつけないほどのオーラをはなっていた頃の彼女がわたしにはどこかひとりぼっちのように思えて痛々しく感じていたからです。』
    tunehiko 様は、今ポップスのジャンルのなかでオーラを放ち、振り袖姿のボーカリストとして歌唱力が高く評価され、注目される存在となっている「島津亜矢」が『かって「BSにほんの歌」で ・・ 』の頃と同じように『どこかひとりぼっちのように思えて痛々しく 』感じられるということでしょうか。   私は「島津亜矢」がポップスのジャンルに「踏み込んだ」とは思えないでいます。強引にポップスを歌うようになったのではなく、「BS日本のうた」のスタッフが「島津亜矢」の稀有な才能を見出した ことから始まった「島津亜矢」の歌手人生の中の自然の流れだと思いました。 今の「島津亜矢」はそんな状況に挑んでいるのを楽しんでいるように見えます。 
     私が知らなかったBSの女王と言われていた時代の「BS日本のうた」の中の「島津亜矢」を何度も視聴していますが、ひとりぽっちで痛々しいようには私は感じません。いろんな楽曲を歌うのが楽しそうに見えます。その感じ方の違いは視聴した者の時期、年齢が関係してるのかもしれません。
     『演歌の何十倍の裾野の広さを持つポップスの世界では、新人でも事務所の営業のもとで、それなりのファンを獲得している。「紅白」出演などは特に関心がなく、チームのプロデュースの元でドーム公演も満杯にできる環境にいる人たちも数多くいる。』
     ポップス界と演歌・歌謡界とは分母が違い過ぎます。 裾野の広さ故、ポップス界でドーム公演を満杯にできる環境にいる人はほんの一握りだと思っています。音楽業界が、20年前、30年前、40年前、と全く変わってしまっていることも考えも合わせれば、ある意味ポップス界での活躍(しかも長い期間)の方が難しい時代だと思います。
     『ドーム公演も満杯にできるポップス系だから、演歌歌手の島津亜矢に対して、好意的に受け入れられているのだろう。』の行に関しては「島津亜矢」に対してもポップス歌手に対しても失礼ではと感じました。(島津亜矢ファンの大大大先輩にこんなことを書く私の非礼、申し訳ありません。)
      ポップスシンガーから、好意的に受け入れてるというより、ポップスシンガーは「島津亜矢」の歌唱力に恐れているのではとさえ思います。UTAGE!やうたコンでの立ち位置からもそう感じます。この現象自体は一過性のもの(ブーム)だとしても、「島津亜矢」が日本を代表する歌手だということは認められ、ブームで終わるとは思えません。   「島津亜矢」は、そのことに驕ることもなく、いつも、今自分がなすべきこと、今自分に与えられたことに一生懸命心を尽くしているのだと思っています。歌手仲間の支えや、特に長年のファンの皆さんの応援に対して感謝の気持ちを持ち続けているであろうことも想像に難くありません。  
     恩師星野哲郎氏からの「お前の喉とその根性が腐らなければ何とかなる」の教えをブレずに守り続け歌に向きあい、惑うことなく一つ一つ与えられた困難を努力で乗り越えたのは「島津亜矢」自身であり、その結果稀代のジャンルレスシンガーになっていた。というのが私個人の感想です。
     『島津亜矢がかっての演歌歌謡曲のカバーと同じように、Jポップの名曲ばかりを歌い、オリジナルと比較されたり他の歌手のカバーと比較されてしまうだけで終わってしまわないかと心配になるのです。』 
    『名曲主義で終わらず古今東西あらゆるジャンルの音楽を体感し、共に聴き共に歌い、歌が生まれた時代と個々人の人生が合わせ鏡になった「歌の記憶」をたどる至高の旅を続けて欲しい。』。 
     難解で私には読解不能状態ですが、「島津亜矢」は決して「名曲主義」で歌っているのではないと信じています。 様々な条件が揃った時、名曲がヒットするとは思いますが、名曲≠ ヒット曲だと私は思っています。後世に歌い継がれるべきはずの「隠れた名曲」もあります。それはカバーに限らず島津亜矢オリジナルにも言えることではないでしょうか。
     生まれるずっと前にヒットした曲を「島津亜矢」のカバーで初めて聞いた若者にとってはその曲は「新曲」だと思います。好きになるか、名曲と思うかどうかは聴く者の感覚によるでしょう。
     「島津亜矢」の心に届いた隠れた名曲、若者が知らない時代の名曲を掬い上げて歌い継いで欲しいし 演歌、歌謡曲、歌謡浪曲、ポップスとジャンルに捉われずそう意味で「知られざる名曲」をカバーし続けて欲しいと願っています。 
     望みどおりにならないこの世界で、それでも一つ一つに心を込めてる「島津亜矢」が私の心の中に住み着いて離れません。否、私が離せないでいるというのが正しいです。
     私はこれからも「島津亜矢」の歌唱に感動し心を癒され、心地よい時間を過ごせることを幸せに思います。私と同じように「島津亜矢」の歌唱に衝撃を受けた新しいファンが簡単に「島津亜矢」から離れて行かないと信じたいです。 
     「歌怪獣」には賞味期限、消費期限があるかもしれません。しかし聴く者の心に響く「ジャンルレスシンガー島津亜矢」には賞味期限も消費期限もなく、「至高の歌姫・島津亜矢」と認められる日がそこまで来てると私は思っています。 
    私が感じたままを書かせていただきました。若輩者の不遜な駄文長文をどうかお許しくださいませ。

  2. tunehiko より:

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    「Phoebe Snowが好きだった」様、こんばんは。このたびはわたしの稚拙なブログ記事を読んでいただき、丁寧なコメントをいただきありがとうございました。
    わたしの島津亜矢さんに関する記事は、とくに彼女のファンの方々からは直接届けてくださらなくても、数々のご批判があることを昔から承知しています。
    その意味で、直接はっきりと伝えてくださった「Phoebe Snowが好きだった」様に、深く感謝します。そのうえで、あなた様のご指摘に多少ともお答えしたく思います。

    まず、「長年島津亜矢さんを見守り続けている」とも、「ファン歴が長い」と言ってくださっていますが、わたしはたかだか10年程度で、彼女の歌手歴から言ってもっともっと長いファン歴の方々がたくさんおられます。それゆえに、ファン歴の長さなどは何の意味もなさないと思います。
    「『ドーム公演も満杯にできるポップス系だから、演歌歌手の島津亜矢に対して、好意的に受け入れられているのだろう。』の行に関しては「島津亜矢」に対してもポップス歌手に対しても失礼ではと感じました。」
    ここは言葉足らずだったのかもしれませんが、裾野の広さからポップス系では強力なプロデュースやマネージメントでドームライブを実現できるひとが少なからずいることと、そんなこととは無縁に自分の音楽を貫く歌手も多いと思っています。
    ですから、「ポップスシンガーから、好意的に受け入れてるというより、ポップスシンガーは「島津亜矢」の歌唱力に恐れている」というのは、ややファンの方の肩入れで、わたしはたとえば「UTAGE!」の出演者が恐れているとは思えません。むしろ、島津亜矢の演歌歌手の手慰み以上の歌唱力と歌を詠む力をふつうに評価し、拍手を送っていると思います。
     また、「名曲主義」というのは、具体的な歌手や歌を書くのは差し控えますが、朗々と歌いあげることでその声量と歌唱力を印象付けるようなことをいい、わたしの独断と偏見にもとづくものであることを認めます。このあたりは、ほんとうに好みの問題でどうしようもできないのです。
    ともあれ、わたしは島津亜矢の歌からもらったインスピレーションから、今の世の中のことや過去の出来事を記述するというスタイルを続けていました、無条件に島津亜矢さんのファンとは言い難いと思っています。
    それと、ファンの方々には申し訳ないのですが、わたしは当初から島津亜矢さんのファンではないひと、ポップス音楽のファンで演歌の嫌いなひとに島津亜矢さんの存在を知ってもらいたくてブログを書いてきました。最初、まったくの白紙で書いていたところ、島津亜矢さんのファンの方々が読んでくださるようになり、あなた様が感じられるような批判や不満を持ちながらも応援してくださるようになり、ずっと心苦しく思っています。
     ですからこれからもファンの方々のお叱りを受けるような記事も多々あると思います。どうかご容赦ください。そして、わたしの記事など気になさらずに、島津亜矢さんのファンでいてくださるようにお願いします。

  3. Phoebe Snowが好きだった より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    私の失礼なコメントに、早速(未明)、お答え頂いていたのですね。お礼が遅くなり申し訳ありません。  
     『ポップスシンガーは「島津亜矢」の歌唱力に恐れている」というのは、ややファンの方の肩入れで、わたしはたとえば「UTAGE!」の出演者が恐れているとは思えません  』  「島津亜矢」にだけ肩入れしているつもりはないのですが、「恐れている」というのはポップスシンガーに失礼な表現でした。しかし、ポップスシンガーは「島津亜矢」の歌唱力表現力には素直に称賛の拍手を贈ってくれてると思います。  
      私のHNから直ぐにお分かりになられていたと思いますが、私は演歌が苦手な人間でした。わざわざ演歌を聴きたいと思ったことはありません。演歌好きな人間が「演歌歌手・島津亜矢」を好きになったのではありません。しかし  今は「島津亜矢」が歌う演歌(オリジナル・カバー)が好きなりました。これもファンの肩入れと思われるとしたら悲しいですが嘘はつけません。
     勿論島津亜矢オリジナルであっても好きになれない「ド演歌」もあります。それは「島津亜矢」が嫌いというのとは違います。
     

    私の好きなPhoebe SnowのGood Timesを「オペラシティのsinger コンサート」で歌ってもらうことが私の叶わぬ望みです。「島津亜矢」の「Good Times」。想像するだけでもゾクゾクしませんか?
      ずっと島津亜矢のファンでいることは変わりません。島津亜矢さんの存在を知って貰えるよう、これからもtunehiko様 がご活躍がされることを願っています。 
    この度は、私のようなもののために貴重なお時間を割いて頂きありがとうございました。

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