よみがえる美空ひばりと「波止場だよお父つぁん」・島津亜矢

6月23日に放送されたNHK-BS放送「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演しました。この日のスペシャルステージは没30年になる美空ひばりの特集ということで、島津亜矢にも声がかかったというわけです。
いままでは演歌の大御所やベテラン歌手が「演歌歌手・美空ひばり」の名曲を総どりし、島津亜矢は「柔」に代表される「男歌」を歌ってきましたが、ここ直近のNHKの「うたコン」でもBS放送でも、いよいよ島津亜矢が前面に出てくるようになりました。
最近の音楽シーンでは一段と「演歌」の退潮が著しく、「演歌のプリンス」として人気が高い氷川きよしまでもがアニメソングをはじめとするJポップに進出し、演歌歌手がJポップを歌う民放の特集番組「演歌の乱」が話題になるなど、ベテランも若手も演歌歌手がポップスを歌うことが多くなってきました。昨今の島津亜矢の「成功体験」が他の演歌歌手に焦りにも似た緊張と刺激を与えていると言えるでしょう。
しかしながら、島津亜矢の場合は若い頃から国内外のポップスを地道に孤独に歌いこんで今に至っていて、その意味ではNHKの「うたコン」での島津亜矢の挑戦はめざましいものがあり、島津亜矢とNHKの音楽番組担当チームとの長年の音楽的冒険が「BS日本のうた」から「うたコン」に舞台を移したのだと実感します。
さて、今回の放送では、織井茂子の「黒百合の花」、それから美空ひばり特集として「波止場だよ、お父つぁん」、「竜馬残影」の三曲を歌いました。
直近の放送で島津亜矢がある覚悟をもって「美空ひばりを歌い継ぐ」と宣言し、NHKの音楽番組もまたそれを認知・証明するようなプロデュースをしました。それを受けて今回の放送がどのようになるのかとても楽しみでしたが、実際のところ半分はがっかりでした。というのも、五木ひろしの出演で忖度番組になることは予想できたものの、少しやりすぎの感がありました。
しかしながら一方で、長年「演歌」の枠組みに閉じ込められてきた美空ひばりの偉大な全体像がよみがえる、没30年の節目にふさわしい番組でもあったと思います。
この番組で歌われた美空ひばりの歌は例外もあるものの1950年代の歌が多く、この時代の歌こそ「歌謡曲ルネッサンス」と呼ぶにふさわしく、鉄条網とがれきの山から戦後の闇市まで、日本社会が希望と絶望の雲間を不安定なグライダーのように旋回していた時代、高度経済成長へと突入する前夜のうす明るい暗闇でうごめく暮らしの中で生まれた歌がひとびとをなぐさめ、はげました時代でした。
そして、この時代の歌謡曲の中に記憶として封印された戦後日本とその時代を生きたひとびとの切ない夢こそが美空ひばりの遺産であり、美空ひばりを歌い継ぐとは世の中の空気がキナ臭く行き詰まり、長い戦後がいつのまにか戦前になるかもしれない不安が渦巻く今、美空ひばりの歌にかくれているひとびとの願いや祈りをよみがえらせることだとわたしは思います。
その意味では、島津亜矢が「波止場だよお父つぁん」を歌ったことはとても意義深いことで、かつてNHKの「思い出のメロデイー」で彼女が歌った「東京だよおっかさん」とともに、船村徹が「右の立場(?)」から戦後社会を憂い、政治の回路ではなく個人の情念の回路から戦争で傷ついたたましいへの挽歌として世に送り出した歌なのだと思います。

1956年発売の「波止場だよお父つぁん」は、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「私は街の子」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」などとともに1950年代に発表された膨大な楽曲のうちの一つです。戦後の政治・文化を席巻した「左の立場」の学者やジャーナリズムから「ゲテモノ」とののしられ、ものまねと蔑まれながら、美空ひばりはひとびとの圧倒的な支持によって「もうひとつの戦後民主主義」を体現していきました。
船村徹もまた、盟友・高野公男とともに音楽のアカデミズムを批判し、「俺が茨城弁で詩を書くからお前は栃木弁で曲をつくれ」といった高野公男の名言の通り、大衆の声なき声を歌にしてきたのでした。
この歌は一番の歌詞に「めくら」という差別語があるため、現在では歌われることが少なくなりました。ここで、差別語に関するわたしの思いを先に書いておこうと思います。わたしは障害を持つ人と出会う前は、たとえば「アホ・バカ」という言葉も相手との親密度によっては使ってもいいと考えていました。しかしながらその言葉によって傷つくひとたちの存在を想像できず、排除していることに気づき、使うことができなくなりました。そして、社会的な正義を標榜する人たちが無自覚に「狂っている」という言葉を使う時、とても悲しい気持ちになるのです。これらの差別語を使わなければ伝えられないものは何一つなく、かえってその言葉を使ってしまうことで物事の核心を逃がしてしまうとわたしは思います。
その上で「波止場だよお父つぁん」の歌詞は、「めくら」や「おし」、「かたわ」という差別的な言葉を平気で使っていた時代の障害者差別もさることながら、戦前戦中を船員として生き延び、おそらく心も体もぼろぼろになったしまった父親の深い悲しみと隠された憤りまでもがこの歌の背景にあるように思うのです。あの戦争で民間船員は根こそぎ戦時動員され、記録されているだけでも6万2000人の先輩船員たちが過酷極まる戦場の海で戦没したそうです。その上で父親を「めくら」としたのは、傷痍軍人があふれていた世間の同情を得るために設定されたとしか思えません。そのために現在はほとんど歌われなくなってしまったこの歌のもっとも大切なメッセージが届けられなくなったのはとても残念です。
それでも、「川の流れのように」や「乱れ髪」、「悲しい酒」など、だれもが歌われることを期待したであろう「演歌の名曲」ではなく、番組全体をほぼ1960年までの歌を選び、その中でも時代の空気を隠した「波止場だよお父つぁん」を島津亜矢に歌わせた演出は、死してなお美空ひばりの無限の可能性を求め、ほかならぬ島津亜矢に「歌謡曲ルネッサンス」を託したNHKの音楽番組チームの覚悟を感じるものでした。
そして島津亜矢もまた、新しい演歌の息吹がこの時代から吹いていることを若い頃から感じているからこそ、この歌を美空ひばり本人にささげたのだと思います。
「東京だョおっかさん」については、以前の記事を載せておきます。それぞれ理由はちがいますが、船村徹のこの2曲およびその一部が放送禁止になったのもまた偶然ではないのかも知れません。

美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」

島倉千代子「 東京だヨおっ母さん」

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