島津亜矢1 K君のこと

島津亜矢のコンサートを観に大阪の新歌舞伎座に行ってきました。
わたしが島津亜矢のファンになったきっかけをつくってくれたのは、一昨年の秋に逝ってしまったわたしの親友のK君でした。
K君との出会いは半世紀もの長い年月をさかのぼり、わたしが大阪市の工業高校に入学した時のことでした。はじめて会ったのに、なぜか幼馴染のように思えるほどの親しげな微笑で、彼はわたしの前に立っていました。わたしはいわゆる「私生児」で、女手ひとつでわたしと兄を育て上げ、普通なら高校へ行ける経済事情でないところを「高校だけは」と送り込んでくれたのですが、彼も和歌山の山奥で生まれ、父親が行方不明のまま母親が旅館の仲居さんや社員寮の寮母さんをしながら彼を育て、高校入学を機に大阪に出てきたのでした。同じような境遇の二人がこうして出会えたことは、偶然とはまさしく不思議な宿命なのだと思いました。
彼と過ごした時間はわたしの青春の時そのものでしたし、高校卒業後も一緒に暮らしたり同じ会社に一緒に就職したり、その後わたしが会社をやめて豊能障害者労働センターのスタッフになってからは何かと応援してくれたりと、いま振り返ればわたしの人生のほとんどを共に生きたことになります。
彼はクリスチャンで、わたしが会社に居た時からベトナム難民の日本定住のサポートをしていて、数多くのベトナムのひとたちが会社にやってきた関係でベトナムに合弁会社をつくることになり、亡くなるまでの間長年ベトナムに単身赴任していました。
一昨年の一月のことでした。ここ数年、しばらく会っていなかった彼が肺がんで新大阪の病院に入院すると聞きました。すぐに病院にかけつけると、彼はちょうど検査のための入院で病院に来たところでした。
それから大きな手術を経て、一度退院した時に一緒に能勢に行ったり服部緑地に行ったりしたのですが、それからはほぼ入院したままで苦しい治療の連続でした。妻も同じように青春を共に過ごした友人だったこともあり、妻の方が熱心なぐらい夫婦で一週間に一度は顔を見に行っていました。

そんなある日、CDをなんか持ってこようかと思い、「いきものがかり」なんかどうかなと聞くと、連れ合いさんから「このひと、そんないまはやりのポップスは全然知らないですよ」と言われました。
「演歌がいいな。島津亜矢が聴きたい」と、彼は言いました。島津亜矢?
わたしもここ数年、妻の母親と同居するようになってから、音楽番組は「ミュージックステーション」ではなくNHKの「歌謡コンサート」と「BS日本の歌」ばかりを見るようになっていました。もともとビートルズの前は森進一や畠山みどりのファンだったこともあり、年のせいもあるのでしょう、いままであまり好きではなかった演歌をよく聴きようになっていました。島津亜矢はこれらの番組によく出ていて、振袖姿で相撲のしこを踏むようにして歌う彼女をはじめて見た時、声がよく出て元気があって歌は上手いけれど、へんな歌手だと思っていました。
わたしの周囲ではほとんど知る人がいない島津亜矢をK君が好きだと聴いて、少しびっくりしました。遠くベトナムでの暮らしが長く、わたしほど音楽にこだわる人ではなかったので、きっと衛星放送で見るNHKの歌番組から流れる演歌がひとつの楽しみだったのだと思います。紅白歌合戦の世界だなと思う一方で、北島三郎や坂本冬美ではなく、K君がなぜ島津亜矢のファンになったのか知りたくなりました。
さっそく、島津亜矢のCDを探してみると、彼女がそのときにすでに歌手生活20年を過ぎていて、今年25周年になるベテランの歌手であることにさらに驚きました。
CDもあまりにたくさんあって、どれを買えばよいか迷いましたが、たしか「大器晩成の入っているCDがほしい」と言っていたので、4枚組のCDを持って行きました。
「元気になったら一緒に島津亜矢のコンサートに行こうよ」とわたしが言うと、彼はさびしく笑ったのを今でも思い出します。
それから、NHKの歌番組に島津亜矢が出る時は必ず観るようになり、最近は録画までするようになりました。さらにユーチューブで島津亜矢を観続けています。
そして、彼がなぜ島津亜矢だったのか、すこしだけわかったように思いました。
彼女はいつも、どんな状態の時でも歌をいっしょうけんめいに歌います。いま自分が託された時を精一杯歌うことに全力をつくす姿、立ち振る舞いはとても美しく、いとおしく、いじらしく、コアなファンは歌の霊が降りてくると言うひともいます。
豊かな声量、透き通った声、力のあるこぶし、それらをすべてコントロールする歌の上手さなどなど、彼女へのほめ言葉は限りがないのですが、彼女のファンが「亜矢姫」とたとえて彼女のファンでありつづけるのは、結局はその「いっしょうけんめい」につきるのだと思います。彼女のコンサートに2回続けていったのですが、「いっしょうけんめい」の姿に最後はいつも涙なしでは観ることができませんでした。
K君が島津亜矢を好きだったのもそこにあったのだと確信します。
わたしは誰かを好きになると、はた迷惑にも誰彼となく言い続けてひんしゅくを買ってきましたが、今回の島津亜矢は三上寛以来で、多くの人に彼女の歌を聴いてもらいたいと思うあまり、今まで以上の迷惑をかけています。

K君は一年弱の闘病生活を経て、逝ってしまいました。彼の死によって、自分の死がとても身近になっただけでなく、毎日といっていいほど、彼との思い出がよみがえってきて、わたしの心は痛んだままです。
彼が最後にわたしにくれたプレゼント、それが島津亜矢なのです。

今日はK君との思い出で終わってしまいました。次回また、コンサートの模様などを書きたいと思います。

島津亜矢1 K君のこと” に対して2件のコメントがあります。

  1. MORI より:

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    tunehiko様、はじめまして。
    Kさんとのお話を読ませて頂いてとても心に響きました。大切な親友を亡くされたということでさぞ無念だったことと思います。

    私は広島在住の人間ですが、今回のお話の中で紹介されております、島津亜矢さんは私も大好きな歌手です。tunehiko様もご覧になられた新歌舞伎座にも28日に行ってきました。8年前に「BS日本のうた」でその存在を知りそれからというものはテレビ出演は欠かさず見ており全て録画を撮っています。コンサートも年に4~5回くらいは行き、テレビ番組の収録にも行ったりしています。

    歌の上手さは勿論ですが、やはりtunehiko様がおっしゃるように、どんな時でも一切手抜きをせず一生懸命の姿が私たちを惹きつけるのだと思います。

    私は「AYAHIME Land」という亜矢姫応援のホームページを作っています。その中の「亜矢姫あれこれ」というコーナーで色々な方々の亜矢姫に関するブログなどを紹介させて頂いておりますが、tunehiko様のブログも亜矢姫ファンの方々に是非読んで頂きたいと思って紹介させて頂きました。どうぞよろしくお願い致します。

  2. tunehiko より:

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    MORI様、うれしいコメントありがとうございます。
    島津亜矢さんのことは、いつブログに書こうかとても迷っていたのですが、コンサートを機に勇気を奮って書いたところ、多くの方々が読んでくださったようで、とてもうれしいです。やはり亜矢さのファンの方はとても多いことを実感しました。
    でも、みなさんはとても亜矢さんファン歴が長く、わたしのようにまだ3年程度ではおこがましいと思いますが、亜矢さんに出会ってしまった瞬間の頃を思い出していただいて、入れ込みの激しいのはお許しくださいね。
    それと、わたしはもともと演歌ファンのようなそうでないようなで、障害者の運動をする中で、素人の手作りでいろいろなアーティストに来ていただきましたが、演歌の方はまず楽団の問題でコストが合わず、どうしてもポップスというか、ロックというか、ジャズというか、そういうものになってしまいました。また、ビートルズで音楽を知ったような人種であることも関係するかもしれません。
    ですから、多くの亜矢さんファンからは叱られてしまうことも書いてしまいそうです。それも、いろいろな亜矢さんファンがいるということでお許しください。
     MORI様のサイトは、そういえば島津亜矢さんの情報を知るためによく見ていたサイトでした。わたしのブログの一文を紹介していただき、ありがとうございました。こちらからも、ブログの方でサイトをリンクさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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