島津亜矢の「むらさき小唄」

8月4日の「BS日本のうた」に島津亜矢が出演し、「むらさき小唄」と「娘に」を歌いました。わたしは唐十郎作・蜷川幸男演出「盲導犬」を観に行きましたので、この放送を録画しておき、ここ何日か全体を観てみたり彼女の歌うところだけを観たりしながら、この記事を書いています。
 「娘に」は吉幾三の歌で、すでに島津亜矢はコンサートで歌ったり、「BS日本のうた」などの番組で吉幾三と共演したりしていて、彼女のカバーの中でも絶品と評判の歌です。「むらさき小唄」は「どんな歌だったっけ?」と首をかしげたのですが、この歌が映画「雪之丞変化」の主題歌だったと知り、思い出しました。
 「むらさき小唄」は1935年の東海林太郎の歌ですから、78年前の歌ということです。およそ1世紀前の歌を島津亜矢に歌わせるこの番組の制作スタッフの意図がなんとなくわかるのですが、わたしもかねがね島津亜矢が歌う戦前の歌を聴くと、天使の声といっていい透明で伸びのある声と正確な音程とリズム、変に歌をこねくり回さない歌唱が心地よく、彼女の才能がよりストレートに発揮されると思ってきました。
 今回の「むらさき小唄」は、本来は三味線を爪先でひきながら微妙な節回しで色っぽさやつやっぽさをほんの1、2分で表現する「小唄」をベースにつくられているので、ややもすれば抑揚がなく単調に聴こえてしまう難しい歌ですが、彼女以外にこの歌を歌える歌手は数少ないと思います。深読みすれば、この番組の制作スタッフの中には島津亜矢の才能の在り様とその可能性をとてもよくわかっていて、ほかの人には要求しない音楽的な冒険を島津亜矢に突きつける人がいるように感じます。その数少ないひとたちがより発言力を増し、彼女が紅白歌合戦に出場しないという日本の大衆音楽の損失を早く解消されることを願っているのですが…。
 それはともかく、海の向こうではジャズが生まれた1920代から30年代は日本では都市生活者の増大から大正デモクラシーが大衆文化にも大きな影響力を持ち、おりしもラジオの普及もあり歌謡曲が大きく花開いた時代と聞きます。やがて震災恐慌、金融恐慌など、社会を覆う暗い闇は大正デモクラシーの崩壊と昭和の戦争へと突き進み、歌謡曲は軍国主義の波に飲まれていきます。あきらかな軍歌となって国家や軍が大衆に歌うことを強制する歌以外でも、歌謡曲自体が軍国主義の風潮にすり寄らざるを得ない苦難の時代がやってきます。その一方で、ダンスホールや酒場で働く女性の歌や、あからさまな女性差別に乗ってつくられた艶歌(つや歌)が歌われるようになっていきます。以前にも書きましたが、古賀政男のこの時期の歌にある独特の暗さと純情さも、時代をあらわしていると思います。
 「むらさき小唄」はまさしくそんな時代の真っただ中でつくられた歌で、ひそやかに軍国主義へと傾いていく世の中にあらがう気骨を持った歌であったように思えてなりません。
 この歌を主題歌にした映画「雪之丞変化」は、かつて父親をはじめ家族一同が抜け荷の濡れ衣を着せられ処刑され、旅芸人の一座に拾われて女形の看板役者になった雪太郎が、義賊・闇太郎の助けをうけて、親の仇である長崎奉行たちに復讐する物語です。
 長谷川一夫が林長二郎時代に主演し大ヒットしたこの映画は、戦後も何度もリメイクされています。歌舞伎や大衆演劇、浪曲、歌謡曲などの題材になる権力への異議申し立ては股旅ものが中心ですが、この映画のように役者や歌手など河原者といわれた芸人の物語も数多くあります。国家である幕府や政府が民衆を守るどころか傷つけ、時には死にまで追いやることもあった歴史的な史実もふくめて、芝居や歌がいつの時代も民衆の怒りや悲しみを受け止め、なぐさめ、民衆に愛され、勇気を与えてきたことからいろいろな形でそういう物語が生まれ、民衆の圧倒的支持を得たのだと思います。
 東海林太郎がその後、時代に逆らえず戦意高揚の歌を歌ったとしても、かつてマルクス経済学を学び、「歌は民のため」という信念のもと、戦前戦中戦後と一貫した直立不動のスタイルで歌い続けた一曲入魂の思いは、「マイク一本四方が私の道場です。大劇場であろうとキャバレーの舞台であろうと変わりありません」と言い残した言葉と共に、一世紀を隔てた島津亜矢の類まれな「歌」への深い思いに受け継がれていることを強く感じずにはいられません。
 戦後の復興とともに生まれ育った戦後歌謡曲が戦前の流れをくみながらも、特に日本調の歌謡曲が1960年代から70年代に現代演歌になっていくプロセスを思うと、どこか窮屈で大衆音楽の王道からどんどん離れていくような印象が隠せず、とても悲しい思いがします。
 こんなことを書くとまた叱られるでしょうが、わたしはよくも悪くも美空ひばりという不世出の歌姫の存在が大きすぎたことにその理由があると思います。たとえばNHK他各テレビ局は毎年、この天才歌手をたたえ、美空ひばりの名曲を今活躍している歌手が歌い、未公開の映像なども交えた特集番組を作っています。
 ご子息の加藤哲也氏の並々ならぬ努力とプロデュースの力によるところが大きいのではないかと思いますが、わたしはそれだけではなく、大衆の演歌離れが進むほど美空ひばりに頼り、美空ひばりに頼ることで演歌離れがますます進むという悪循環になっているのではないかと思っています。さらに言えば、美空ひばり自体が70年代以降「現代演歌」の小さなジャンルに彼女の幅広い才能を閉じ込められたのではないかと思います。
 美空ひばりのほんとうはかなり癖のある個性的な歌唱がいつのまにか演歌のお手本になっているような現状を見ると、もうぼつぼつ美空ひばりのくびきから歌手も作詞家も作曲家もテレビ局をはじめとするメディアも解放されてもいいのでないかと思います。そうすることで美空ひばりの歌心は「現代演歌」の枠にとどまらず、彼女のジャズやブルースもふくめて若い世代にうけつがれていくのではないかと思います。
 そして、島津亜矢はそのような新しい音楽的冒険の旅を始めようとしている、いやすでに始めているごく少ない歌手のひとりだと確信します。
 1947年生まれのわたしにとって、いままで歌といえば戦後歌謡曲が原点でしたが、戦争への暗い予感を色濃く残し、その時代の人びとの心情が隠れている戦前の歌謡曲のすばらしさを教えてくれたのも島津亜矢でした。
 島津亜矢が大きな時代の激流にかき消された人々の切なさをくみ取るように丁寧に歌う「むらさき小唄」を聴いていて、いつの時代も「歌は歌を必要とし、愛を必要とする心に届く」という真実をあらためて教えてもらいました。
 今回の放送で歌ったもうひとつの名曲、現代演歌「娘に」については次回の記事とさせていただきます。

東海林太郎&島倉千代子「むらさき小唄」
戦後に吹き込まれたのでしょうか、島倉千代子とのデュエット版がすばらしいと思いました。島倉千代子は今は残念ながら声が出にくくなっていますが、若いころの歌には美空ひばりにはない歌そのものの演劇性があり、わたしはかねてより好きでした。島津亜矢にある演劇的なカタストローフは島倉千代子の演劇性をよりパワフルにしたもので、わたしは「瞼の母」など何度も泣いてしまいます。

島津亜矢「むらさき小唄」

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