島津亜矢「流れて津軽」とBS朝日

BS朝日「日本の名曲 ~人生・歌がある~」を観ました。16日の放送でしたが、仕事の関係で当日は深夜に帰宅し、その後も妻のお母さんがまだ入院していることもあり、昨夜ようやく録画を観ました。もちろん、島津亜矢がお目当てだったのですが、この番組は以前にも書きましたように演歌・歌謡曲、Jポップスを問わず大衆音楽の放送番組の中で最もグレードの高い番組のひとつといっていいでしょう。それをささえているのは言うまでもなく、司会の五木ひろしの「歌」への熱い思いにあります。
五木ひろしは不遇の時代をへて全日本歌謡選手権をきっかけに次々とヒット曲を出し、稀有の声と圧倒的な歌唱力に、美空ひばりが「女でなくてよかった」と絶賛したことも周知のごとくです。
五木ひろしが人気を集める中、世間では森進一のライバルとされてレコード大賞などでしのぎを削った時代がありましたが、現在では北島三郎に次ぐ歌謡界の頂点にのぼりつめた感があります。
実をいうと、わたしは最初は五木ひろしが苦手でしたが、一方で歌うだけでなくギターやピアノなどを演奏し、作曲も手がけるなどさまざまな挑戦を惜しまず、音楽への情熱と努力をそそぐ彼の姿勢に好意を持つようになりました。彼の数々のヒット曲の中で、古賀政男が以前に作曲した曲に、あらためて寺山修司が作詞した「浜昼顔」が好きで、昔はカラオケでよく歌ったものでした。
そして、かなり前から自分の歌のことだけではなく歌謡界全体を視野に入れるようになり、その姿勢が最初単発番組だったBS朝日「日本の名曲 ~人生・歌がある~」の司会だけでなく、彼の歌への想いが活かされる番組づくりへと発展したように思います。
この番組では五木ひろしをはじめ、出演歌手同士がこの番組を通してより親密になる感があります。五木ひろし本人が出演の依頼をしたと思えるほど、もともとつながりの深いひとはもとより、出演者全員が五木ひろしの歌を大切にする姿勢に共鳴するように、ほんとうに丁寧に歌っています。
また、それに応えるように、たとえばフルコーラスであったり、きめ細かい心配りで出演歌手の魅力を最大限に引き出す演出がされています。出演歌手にしてみればそれはとてもうれしいことに違いなく、結果として他の出演者の歌も真摯に聴くようになり、信頼関係が深まっていくのではないでしょうか。そのあたりが、他の番組の司会者とちがい、歌手・五木ひろしの面目躍如といったところだと思います。
問題があるとすれば、番組の特徴から五木ひろしをサポートする何人かの歌手の出演が多くなる傾向がありますが、他の番組を観てもそういう歌手はよく出演しているのですから、視聴者さえついてきてくれれば問題はないでしょう。
それよりも、島津亜矢の出演回数はまだ少ないですが、彼女の魅力がいかんなく発揮される演出をしてくれていて、とてもうれしく思います。
この番組への出演が増えていくことはそれだけ五木ひろしをはじめとする出演歌手とより親密になっていくことでもあります。この番組がきっかけになり、次世代の演歌・歌謡曲をけん引する歌手・島津亜矢が脚光を浴び、大きくはばたくことを願っています。

前置きが長くなってしまいました。ごめんなさい。今回の放送で島津亜矢は「流れて津軽」、「望郷酒場」、そしてキム・ヨンジャとのコラボレーションで「かもめはかもめ」を歌いました。どの歌も素晴らしい歌唱でしたが、まずは「流れて津軽」について書いてみようと思います。
「流れて津軽」は島津亜矢のオリジナルではありませんが、2006年にシングルCDとして発売されて以来、現在でもコンサートや音楽番組でもよく歌う歌です。
極寒の本州最北端・津軽の風土と、極貧に抗う生活文化から生まれた津軽三味線は、新潟の盲目の女芸人・瞽女(ごぜ)の三味線が北前船によって伝えられたといわれています。津軽においても働き手にならないとみなされた視覚障害者が生家を追い出され、物乞いの見返りとして三味線を弾き、歌を歌う門づけを生業とし、命を削りながらその芸を独自に発展させたのでした。
アメリカでもレイ・チャールズなど、視覚障害者は子どものころから歌などの芸で身をたてられるように訓練されたといいます。また、そもそも音楽や歌の起源をたどると、生活の中から生まれた歌は、町や村の大きな家の前で歌を歌い、楽器をならしていくばくかのお金を手に入れる人々によって大衆芸能へと進化していったことが世界各地で証言されています。
そんなことに思いをはせると、「流れて津軽」という歌が「歌」そのものの起源をたどる歌であることと、音楽の女神・ミューズから歌のルーツをたどり、歌い続けることを宿命づけられた稀有の歌手のひとりである島津亜矢が歌わなければならない歌であったことがよくわかりました。そして、熊本出身の島津亜矢が津軽のにおいそのもののようなこの歌を見事に歌うことができるのは、彼女が生れ育った熊本から「もうひとつの北前船」で想像力の海を渡り、津軽の大地に足を踏み入れた時、「流れて津軽」という歌そのものが津軽の歴史や、アイヌの人々が追いやられていった日本の中世の暗闇を「口説き節」となって語り続けてくれるからであり、彼女もまた記述された歴史の奥の「口説き節」を聴くことができるからなのだと思います。
よく、日本人にはジャズは歌えないとか、体験したひとでなければその歌は歌えないといわれ、わたしもそう思うことがありましたが、島津亜矢を知って以来、その考えを改めました。ひとがもし経験したことでのみしか生きられないとしたらとてもさびしいことです。それはあの阪神淡路大震災や東日本大震災の直接の被災者の体験がそのまま共有できるということではなく、体験できなかったこともまたもうひとつの体験として、想像することで、他者の理不尽な体験に寄り添うことができるのではないでしょうか。
今回の放送では島津亜矢のコンサートなどではおなじみの尺八の素川欣也と三味線の金沢大成が共演しました。島津亜矢の歌と共に、吹雪く津軽の厳しい風景を表現して余りある演奏で、「流れて津軽」という歌の持つ凄味が伝わってきました。
島津亜矢が最大限のパフォーマンスを発揮できるように用意してくれるこの番組の計らいの一つだったと思います。すばらしい演奏でした。

島津亜矢「流れて津軽」

 

島津亜矢「流れて津軽」とBS朝日” に対して4件のコメントがあります。

  1. フィレオ― より:

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    今晩は。
    読ませて頂きました。

    私も思い込みが強い人間ですが・・・。
    私は高校生の頃、シューベルトの歌曲集
    冬の旅 を聞いて調べました。
    彼はどうやらギターで所謂、旅回り角付けをしていた人の歌を結果的に作っていた様に思われます。
    私は音大を受験しようとして声楽を学んでいましたがギターも学びました。今でもそうです。
    流れて津軽 良い歌ですね。
    放浪芸としてのフラメンコ、ジプシー(ロマ人)
    大変な逆境の中で角付けで生きてゆくこの歌はそういうう歌ですね。
    亜矢ちゃん姫の歌 正にその雰囲気感情出ています。
    次を楽しみにしております。

  2. tunehiko より:

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    フィレオー様
    いつもコメントありがとうございます。音楽を聴くだけでなく、演奏できたらいいですね。わたしもフォークブームの頃、ギターを覚えようとしたのですがだめでした。
    それともうひとつ、クラシックがぜんぜんだめで、わたしのなくなってしまった友人がクラシックにも憧憬が深く、彼女に連れられて何度かクラシックコンサートに行きました。
    彼女が亡くなった時、将来子供さんたちが母親の想い出をたどる時が来た時のためにと、彼女が持っていた大量のCDを預かりました。
    時々聞かせてもらおうと思うのですが、まだきちんと聴くことができません。ショパンあたりから聴こうかなといま思っています。
    シューベルトは妻の父親が大好きだったようで、戦争で果てない行軍の間、心の中でずっとシューベルトを歌っていたと聴きました。

  3. 株の初心者 より:

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    とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

  4. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    以前にもコメントをいただきました。
    ありがとうございます。
    座長公演を大成功のうちに終えられた亜矢さんは、舞台の成功もさることながら、本道の歌の方にもまた一段と表現力が深まっていることと思っています。
    これからもよろしくお願いします。

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