島津亜矢・新歌舞伎座千穐楽の「おしず」

24日に千穐楽を迎えた大阪新歌舞伎座の「島津亜矢 特別公演」を観に行きました。
わたしは初日に観に行ったのですが、初日からの長丁場をくぐりぬけ、島津亜矢はどんな芝居を見せてくれるのか、また数々の芝居を演じてきたベテランの共演者たちとどう対置するのか、とても楽しみでした。
初日を観た感想では不遜にも芝居としては昨年ほどには完成されていないと思いました。それは初日のせいもありましたがそれだけではなく、山本周五郎原作のこの芝居が庶民の切ない思いや気配りをお互いに持ちながら明日を信じて生きていくという、ドラマチックでもない日常の心理劇のような要素が強く、かなりの演技力を必要とされる芝居だったからです。今回の演出家・六車俊治さんは完成度は次回にゆずってでも、島津亜矢の役者としての可能性をさぐってくれたのではないかと思いました。
ところがどうでしょう。千穐楽の芝居はまったくちがう芝居を観ているように感じるほど、すばらしいものに進化していました。
初日はわたし自身がドキドキしていて、どうしても歌手・島津亜矢が慣れない舞台を無事に勤められるのかと、おせっかいな心配をしながら見ていることもあったとは思います。
けれどもそれ以上に、島津亜矢が大きく変貌していたことがいちばんの理由でした。初日に感じたちょっとした違和感や全体のちぐはぐさがきれいになくなり、セリフの間も立ち振る舞いも見事で、次回作どころかすでにこの芝居の中で彼女はどの場面においても存在感が増していました。そこには歌手・島津亜矢ではなく、まぎれもなく役者・島津亜矢が生き生きと「おしず」を演じていました。
やはり、芝居の力はすごいなと思いました。いろいろなひとたちと共にひとつの芝居をつくりあげるプロセスの中から、役者・島津亜矢はすでに座長公演の域を越えた芝居を見せてくれたのでした。そして、彼女の変貌と重なるように、すべての役者がすばらしくなっていました。田中健はもとより、初日でも異彩を放っていた左とん平、三林京子の掛け合いはとくにみごとでしたし、個人的には「世の中を変えること」に準じる兄貴を演じた前田耕陽が、島津亜矢演じるおしずに「自分の家族も救えないのに世の中を救えるのか」ともっとも痛いところを突かれ、後ろ姿で背丈をこえるさびしさを見事に演じて見せ、ぐっとくるものがありました。
山本周五郎はつつましく生きる江戸時代の庶民の心情をつづる一方、時の権力の理不尽さに対する怒りもまたよく描いていて、だからこそ1950年代に多くの人々に受け入れられていたのだと思うのですが、おしずの必死の訴えに退けられる兄貴の言い分に対しても、実はやさしいまなざしを向けていたように思います。
また、初日に感じた舞台転換の遅さはまだ若干あったものの、その少しの時間にそれまでの芝居をふりかえることができるほど舞台が充実していたので、あまり気にならなくなっていました。
初日から千穐楽の間に芝居がこれだけ大きく変わってしまうのは、何も初日がまったくだめだったわけではなく、やはり島津亜矢が何事においても努力をくりかえすことで自らの思わぬ才能を引き出し、そのたゆまぬ努力が共演者の心を動かし、芝居をより高い場所へと導いてくれた結果だと思います。
わたしは初日の芝居を観てから山本周五郎の原作を読みました。島津亜矢に感謝したいのは、これまで読むことはなかった山本周五郎の小説を読むきっかけを与えてくれたことです。それはさておき、この芝居の元になっている「おたふく物語」(「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」の三部作)を読み進むと、「おしず」が島津亜矢そのひとと瓜二つに思えてきました。
初日の舞台を観たわたしはこう書きました。
「いまの島津亜矢が役者として彼女たちに太刀打ちできるはずもありませんが、ただひとつ、彼女たちにぜったいに負けないものがあるとしたら、この小説に描かれたおしずの『いじらしさ』を表現できることだと思います。なぜなら、それは「島津亜矢」そのひとであるからです。」
千穐楽の芝居を観て、わたしはこの言葉を撤回したいと思います。
島津亜矢は藤村志保、森光子、池内順子、十朱幸代など実力派の女優と肩をならべるところまで、「おしず」を演じきったと言えます。役者としての経験はまだ少なくても、役を演じる登場人物と彼女自身がこれほど重なって見えるのは島津亜矢だけではないかと思うのは、彼女のファンであるわたしだけではないと思います。
そして、役者・島津亜矢を短期間の公演の間にそこまで育ててくれたのは共演者であることはいうまでもありません。左とん平が舞台あいさつで「歌が上手いのは知っていたけど、芝居も結構うまい」と言ったのは、お愛想もあったかも知れないけれど、案外本当の感想だったのではないでしょうか。
2回目の観劇でしかも千穐楽ともなると、初回には見過ごしてしまったことが場面場面でたくさん見えてきました。
その中でもとっておきだったのが、芝居の最後に田中健と島津亜矢が昔偶然出会った桜の花見の思い出を語り合うのですが、おしずを演じる島津亜矢が田中健にお辞儀をするところがあります。初日にはまったく見えていなかったのですが、少し片足を後ろにして着物に手を添え、軽いお辞儀をしながら「ありがとう」という島津亜矢の立ち振る舞いに、思わず涙が出てしまいました。
わたしはかけ声が苦手ですが、心の中で「島津!」と叫んだ一瞬でした。
これは余談で、また間違いかも知れませんが、演出の六車俊治さんがわたしの前の特別席で2部もふくめて座って居られたように思います。まだ明治座の公演が待っていますが、彼は役者・島津亜矢をどう感じたのでしょうか。
もちろん、傾向もジャンルもちがう2人ですから、これからまた仕事を一緒にすることはほとんどないかも知れませんが、六車俊治さんにとっても役者・島津亜矢との出会いは貴重な体験だったのではないでしょうか。何と言っても唐十郎がきっかけで芝居の魅力にとりつかれた人ですから…。
それほど、島津亜矢を見事に変貌させた彼の芝居づくりに感謝です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です