島津亜矢「命かれても」

10月22日、東京の国際フォーラムで開かれた「島津亜矢30周年リサイタル」は大盛況で、5000人のお客さんを前にして渾身のステージを披露した島津亜矢に、結集したファンの方々をはじめ、その場に居合わせたひとたちの絶賛、感動のレポートがぞくぞくと寄せられています。
第一部では二葉百合子版の「一本刀土俵入り」をオープニングに、そのあと怒涛の30曲メロデーを駆け足で歌ったようです。1986年に「袴を抱いた渡り鳥」でデビューした少女が44才の今、短い時間だったでしょうが30年の歌の軌跡をたどる心境はどんなものだったのでしょうか。
島津亜矢が彼女の歌をセルフカバーすると、彼女の天賦と思える才能が決して運よく彼女に降りてきたものではなく、心身ともに不断の努力と歌いつづける覚悟から育てられたものであることを実感します。実際のところ、若いころの怖いものなしの歌唱力で歌い切る絶唱がたくさん残る島津亜矢の音源と映像だけを聴き見れば、それだけでもまちがいなく天才の領域にあったことを証明するに余りあると思います。
しかしながらそれから年を重ねるごとに「歌を読む才能」が歌の奥行きと広さをもたらし、さらに進化しつづけている途上でしかない今、彼女にもいつかは訪れるはずの歌の極み、頂点がいつ来るのか、そして天才といわれた先人の歌手が経験したようにそこからの声の衰えを「歌を読む力」によって乗り越えた時、島津亜矢がどんな歌をわたしたちに届けてくれるのか、歌の女神が彼女に用意している最後のご褒美を贈るその時は、まだまだはるか彼方にあることでしょう。それとも島津亜矢の場合は「歌の極み」は果てしなく遠く、わたしたちの想像できない領域にたどりつくまで進化し続けるのでしょうか。
それはさておき、短い時間であってもライブで、島津亜矢の肉声でオリジナルの30曲をセルフカバーしてくれるのですから、たとえ曲によっては1フレーズであってもファンのみならず観客冥利に尽きることでしょう。歌は誕生した時から歌いこまれ歌い継がれることで歌そのものの記憶をかくしており、島津亜矢とともにここまで歩いて来られた数多くの人々の人生とそれぞれの時代の記憶が一気によみがえり、5000人の会場にあふれかえったことでしょう。
ファンの方が報告してくださったリサイタルのプログラムを見ると、島津亜矢とそのチームはほんとうに見栄もてらいもなく、30年前に開かれた道をまっすぐと歩いてきたことがよくわかります。彼女の場合、どんなジャンルの歌でも歌えますし、歌に対する好奇心は人一倍あると思うのですが、いつもここというところでは自分の道を踏み外すことがないのです。ポップスでもジャズでもシャンソンでもわき道ではなく、それらの歌たちもまた島津亜矢の歌の道の野辺に咲く一輪の花で、その道は30年の間に小さな小道が大きな道となり、どんな歌でもやさしく迎え入れてくれるのでした。
わたしは11月4日に大阪のフェスティバルホールで開かれる30周年リサイタルの最後のステージに参加することにしていますので、またその時に報告したいと思います。

さて、「SINGER3」の収録曲について書く前に、「BS日本のうた8」に収録された「命かれても」について書いておこうと思います。
「惚れて振られた女のこころ あんたなんかにゃわかるまい」とはじまる森進一の「命かれても」は、三上寛の「夢は夜ひらく」とともにわたしの青春の蹉跌を語ってあまりある歌でした。
楽しいはずの10代後半の青春はわたしにとってはキラキラかがやきもせず、青春の淵をさまよい、漆黒の闇に堕ちていくのをかろうじて踏みとどまるのが精いっぱいでした。70年安保や大学紛争、ベトナム戦争など、日本だけではなく第二次世界大戦後のほころびが噴出し、世界中で若者が異議申し立てをしていたこの時代に心を硬く閉じ、社会からも自分自身からも逃げつづけ、暗い部屋で嵐が通り過ぎるのをひたすら待ちつづける毎日でした。
今は死語となった「私生児」で貧困で、幼いころから対人恐怖症でどもる癖が治らず、誰ともかかわらず生きていきたいと願い、わたしの前に現れるすべての人や物や出来事が怖くて、その反動で世の中や大人を批判することしかできないどうしようもない若者だったわたしは、社会に対して異議申し立てをする同世代の若者たちとは真反対の方向へと突き進んでいきました。といっても、反政治的なカウンターカルチャーに自分の存在証明を求めてもドロップアウトやヒッピーにまで徹底できず、中途半端な自分に嫌気がさして、今でいうひきこもりの状態でした。
そんなわたしの重い心の扉をたたいたのがビートルズと森進一でした。多くの若者がビートルズからフォーク、ロックへと音楽の旅を始めた頃、なぜかわたしの場合はビルの清掃の仕事を終えると当時流行ったドノバンハットにずた袋、よれよれのコートと綿のパンツで心斎橋をぶらぶらしながら、森進一の「命かれても」や「年上のひと」、「花と蝶」を口ずさんでいました。同世代の若者たちへの強いシンパシーを持ちながらも70年安保にも大学紛争にも参加しなかったわたしにとって、孤独感や情念を日本的なメロディーに乗せて歌う森進一のダダイスティックで破壊的な歌謡曲の方が、かっこいいロックやフォークよりも深く心に届いたのでした。「命かれても」がヒットした1967年、わたしは20才になっていました。

わたしが島津亜矢の熱烈なファンになったきっかけが、ユーチューブで見た「命かれても」の映像でした。その映像はNHKの「BS日本のうた」で、島津亜矢はどの歌の場合もそうなんですがストレートな発声で、見事にこの歌のせつない物語を聴かせてくれました。人生の理不尽さをいやというほど経験した夜の女の底なしのかなしみと、「あんたなんかにゃわかるまい」とせつなくうそぶく女の心情を島津亜矢が歌う時、かれこれ60年前にもなる青い時代、まわりのすべてに「NO」とつぶやくことでしか自分自身を保つことができず、生きるためのおまじないのかわりにこの歌を歌っていた20才のわたしがよみがえるのでした。
「SINGER3」に収録された「命かれても」は、若い時のユーチューブの映像よりもやや抑え気味な歌唱ですが、うっかり聴いていると大泣きしてしまいそうなほどの悲しさに囚われてしまいます。
男歌でも女歌でも、島津亜矢の真骨頂は理不尽な運命に翻弄され、望まなくとも破局へと突き進む「テロリスム」を歌う時で、今は社会的に自粛されることが多い任侠物の歌がずば抜けているのも、「瞼の母」に代表されるその歌の物語が島津亜矢にとり憑いてしまうからだと思います。
「命かれても」もまた森進一から島津亜矢へとつながる地下水脈をくぐりぬけ、60年前の青春地獄から今もまだ抜け出せないでいるわたしの心を震わせる人生の愛唱歌なのです。

島津亜矢「命かれても」

森進一「命かれても」

島津亜矢「命かれても」” に対して2件のコメントがあります。

  1. kinokazu より:

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    共感できる内容です。
    私もこの歌(この動画)が一番気に入って毎日のように聴いていますが、飽きないのはなぜでしょう。
    島津亜矢はどの歌の場合もそうなんですが小細工せずにストレートな発声で、見事にこの歌のせつない物語を聴かせてくれています。だから飽きないのかな。
    このことが一番難しいことなのでしょうか。
    これから若い人たちに歌謡曲を理解してもらうにはこの歌唱法が一番と思います。
    だからどの曲でも苦もなく歌いこなし、元歌を凌ぐ歌唱と言われていると思います。
    森さん、ちあきさんのドラマを作っていく歌い方確かにうまいです。でも、あれだけビブラートを使いすぎると、若い人はついてきてくれないと思いますが。素人の見解です。

  2. tunehiko より:

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    kinokazu様
    いつも読んでくださって、感謝です。
    「命かれても」は今でも心穏やかに聴いていられないで、むなさわぎを覚えます。森進一はネットで調べたところ、わざわざ声をつぶさせられたそうで、聴く方はよくも悪くもその声に引っ張られますが、実はかなり歌唱力のある人だとわたしは思います。そのうえでこのひとも歌をジャンルでとらえないひとで、それよりも歌の持つ力というより「こわさ」を知っている数少ない歌手だと思っています。そこの点が島津亜矢とつながっていると思います。

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