映画「新聞記者」はわたしたちの国の病を食い止める一歩となるか

映画「新聞記者」を観ました。
東京新聞記者・望月衣塑子による「第23回平和・協同ジャーナリスト基金賞」の奨励賞を受賞した同名ベストセラーが原案の映画「新聞記者」は、政権が隠す権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者と理想を求め正義を信じるエリート官僚、本来なら対峙するはずの2人が共に国家権力の巨大な闇に踏み入り、隠された真実にたどりつく姿をサスペンスタッチで描いた作品です。
日本人の父と韓国人の母のもと、アメリカで育った東都新聞社会部の若手女性記者・吉岡エリカは、総理大臣官邸における記者会見でただひとり鋭い質問を繰り返し、官邸への遠慮が蔓延する記者クラブの中で厄介者扱いされ、社内でも異端視されていました。
そんなある日、東都新聞に医療系大学新設計画に関する極秘情報が匿名でFAXが届きます。吉岡は上司の陣野から大学新設計画に関する調査を任され、真相を突き止めるべく調査に乗り出します。そして、内閣府の神崎という人物にたどり着きます。
一方、内閣情報調査室の若手官僚の杉原拓海は、政権に不都合なニュースをコントロールする任務に就いていました。ある日、 杉原は尊敬するかつての上司・神崎と再会しますが、神崎はその数日後に自殺します。
神崎の通夜の場で、神崎の娘に無遠慮にマイクを向ける同業のマスコミに注意した吉岡は、遺族に寄り添う杉原と初めて出会います。
神崎はなぜ死ななければならなかったのか、「医療系の大学の新設」という名目のもとに隠された真実を求める吉岡と政治の暗部に気付いた杉原、立場の違いを超えて2人は真実を求めて協働し、調査を進めます。
政府による報道機関への同調圧力や忖度が横行し、マスメディアがバラエテイー化し、報道の存在価値が揺らいでいる今、ジャーナリズムに何ができるのかを自らに問い、社会に問い、わたしたちに問うこの映画は、モリカケ問題や元TBS記者による準強姦疑惑事件など、信じられない国家の暴力が日常化してしまった現実社会の時間軸と並走する2人の人間の葛藤の物語を紡いでいきます。それは近未来のフィクションようでもあり、また現実社会のドキュメンタリーのようでもあります。
映画は「正義と理想」のもとで巨悪な国家犯罪を暴くという、スカッとするストーリーを用意してくれません。ゴールラインならぬふたりの間の渡れない横断歩道で向き合う2人の間にはハッピーエンドの結末も悲劇的な結末もなく、ただ青ざめた朝の不吉な空気と、もう取り返しのつかないところに来てしまったのかもしれないわたしたちの国の「もうひとつの病」が横たわっているのでした。
劇中劇として原案者の東京新聞記者・望月衣塑子と、元文部科学省事務次官・前川喜平、新聞労組委員長の南彰、NYタイムズ日本支局長のマーティン・ファクラーが「同調圧力」をテーマに座談会をする映像がテレビ画面に映されています。同名の本とのコラボの意味もあるのでしょうが、その映像をチェックする新聞記者の吉岡たちと内閣府のエリート官僚の杉原たち、ひとつの事実や事件をそれぞれの立場から別々の物語がつくられ、その中に参加できないわたしたちは、力関係や忖度や同調圧力によってできあがる物語を情報として受け取るのですが、その時、吉岡の父が残したという「誰よりも自分を信じ疑え」という言葉が強く迫ってきます。
吉岡の父はアメリカと日本で活躍したジャーナリストでしたが、政府がらみの不正融資について報じた記事を誤報とされ、責任を追及されて自殺に追い込まれた事実があり、新聞記者になった彼女は今もその真相を調べ続けているのでした。
そういえば昔、大島渚の映画「新宿泥棒日記」で劇中座談会をするシーンがあったことを記憶しますが、その座談会では映画が現実の時間軸と幸せな関係でつながっていたのに対して、この映画では日本社会の現実をリアルに語り、警鐘を鳴らす座談会が映画の中ではフィクションで、吉岡も杉原もそしてわたしたちもまた映画の中の現実を生きるしかないのでした。そして、映画の中の現実はわたしたちが実生活でリアルな感覚で思っている現実よりはもう少し悪い方向へとわたしたちをいざなっているように感じます。
スクリーン全体を覆う青く薄暗いこの映画の現実がどこに行くのかは映画は教えてくれず、映画を観終わった後にわたしたちにたくされた、まだひきかえすことができるかもしれない、間に合うかも知れないわたしたち自身が選ぶ現実なのだと思います。
この映画は、内閣府の杉原の上司が言い放った「この国の民主主義は形だけでいい」という言葉と、吉岡の父が残したという「誰よりも自分を信じ疑え」という2つの言葉をわたしに残してくれました。

吉岡を演じた韓国の女優、シム・ウンギョンのなんとも言えない強い存在感が映画を支えています。東京新聞記者・望月衣塑子をモデルにしながら、あえて日本人の父と韓国人の母のもと、アメリカで育ったという複雑な生い立ちが、日本社会の同調圧力や忖度への強烈な違和感を持つ吉岡の人物像を見事に生み出していて、プロデューサーと監督と出演女優の一貫した意志が映画を成立させ、勇気を与えたと思います。
いま、特に中高年の人びとが「韓国を嫌い」と言い、それとちがう感じ方や意見を言えばよってたかって糾弾し、歴史的事実も捻じ曲げたストーリーを簡単に信じてしまう同調圧力に、戦前の「かつて来た道」が見え隠れする不安を持つのはわたしだけではないと思います。そんな中でシム・ウンギョンの「わたしたち、このままでいいんですか?」という問いかけは、映画を越えてわたしに迫ってきました。
また、最近その演技力と人気が相まって実力派の俳優として数々の映画でひっぱりだこの松坂桃李は、若きエリート官僚としての矜持と理想をもちながら、映画の中で親になる生活者としての普通の感覚を併せ持った演技が光っていました。
わたしはこの俳優の翳りにいつも驚かされるのですが、ある意味病的で自信のなさ、いつか壊れてしまうのではないかと心配させる不安定な部分が、安っぽい正義のヒーローになりがちな杉原を現実の暗さに押し戻す見事な演技だったと思います。
あと、橋本亮輔監督の「ハッシュ!」、岸義幸監督の「ああ荒野」などバイプレーヤーとして映画や芝居で存在感を増す高橋和也が杉原の尊敬する元上司・神崎を好演する他、何といっても杉原の直属の上司・内閣参事官を演じた高橋哲司は、国家官僚の実像を思わせる迫真の演技で、国家権力やファシズムが極悪人によるものではなく、ごく普通のひとびとが少しずつ自分の役割を果たすことで権力システムがつくられることを教えてくれました。

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