ちきゅう 新谷のり子さん

このほしは 許してしてきた
このほしは 愛してきた
このほしは 夢みてきた
このほしは

そしてながい時
ひとはこのほしを森を海を
きずつけてきた

このほしを 傷つけながら
人は人を傷つけてきた

詞・細谷常彦 曲・末永正博 歌・新谷のり子

わたしがこの歌の詩をつくったのは、1995年の阪神淡路大震災の前年でした。
豊能障害者労働センターは毎年、カレンダーを製作販売していますが、この頃は大阪を中心とした障害者団体のネットワークだった障害者労働センター連絡会で共同制作していました。そのカレンダーを買ってくださった方へのお礼状としてつくったこの詩が、まさか新谷のり子さんの歌になるとは思いませんでした。
地震から約一カ月たった頃、新谷のり子さんから電話をもらいました。「去年買ったカレンダーの礼状に書いてある詩に曲をつけて歌ってもいいですか?」。
障害者労働センター連絡会制作のカレンダー「季節のモムたち」は、障害者の所得をつくりだすことと、このほしの小さないのちが大切にされることを願い、ゆめ風基金の代表理事の牧口一二さんの盟友で、おばけ箱というデザイン集団で行動を共にされた吉田たろうさんがいっしょうけんめい描きつづけてくれたものでした。
わたしたちはこのカレンダーに託した願いをなんとしても伝えたいと思い、ありったけの言葉を紡ぎ、豊能障害者労働センター機関紙「積木」、チラシ、礼状などに書きつづけてきました。
新谷のり子さんは何年も前からカレンダーを買ってくれていて、たまたまその礼状が彼女の目に止まったのでした。

電話をもらった時、正直少しためらいました。自然災害は突然起こり、ぼくたちの想像をはるかに越えた破壊力でひとの命を奪い、家をこわし、生活をこわしてしまいます。
それを思うと「なにがやさしいちきゅうだ」と思い、実を言うとこの詩を公表したことを後悔もしました。被災地の人々がこの歌を聴いてどう思うだろうか…。
その心配を言うと、「いまだからこそこのメッセージを歌にして、被災されたひとびとに勇気を届けたいのです。ひとは地球に生かされているのです。」と、新谷のり子さんは言いました。
地球環境を大切にすること、そして武器を持たなければ守れない安全より、武器を捨てる勇気にきたえられる平和をつくりだすこと・・・。自然の怖さを見せつけられ、こんな悲しみの中にあるからこそ、「共に生きるちきゅう」を願い、「共に生きる街」の再生・復興のために行動しなければならないのだと。自分の詩が歌になるなんてとてもはずかしかったのですが、新谷さんが言ってくれたことに勇気をもらい、歌にしてもらったのでした。
そしてわたしたちが被災障害者救援活動をしていることを伝えると、「被災地で救援活動やコンサートをしているが、そちらの活動にもぜひ参加したい」と言ってくれて、救援バザーでこの歌、「ちきゅう」を歌ってくれました。
明くる年、新谷のり子さんから送られてきたカセットアルバムのタイトルも「ちきゅう」でした。2001年のCDアルバム「うたたち」にも一番最初に収録され、今も新谷さんが格別の想いをもってこの歌を歌っておられることを感謝しています。
この詩をつくるきっかけになったカレンダー「季節のモムたち」は吉田たろうさんの死により、2005年が最後になりました。あれから後、世界はより痛ましく、より悲しい暴走をくりかえしてきました。

そして、いまわたしたちにふりかかった大震災は、被災された方はもちろんのこと、これからのわたしたちの心にどんな傷を残すのか、またわたしたちの社会がどこに向かうのか計り知れません。
ただ、16年前に願い、そうなるように努力したけれど充分にはかなわなかった村や町や社会の在り方が、今度こそは変わらなければならないと思うのです。それはアメリカのクリントン国務大臣がわたしたちを励まそうと言った「強い国」ではありません。強くて速いGDPに順応できなければふりおとされてしまう、いままでの強い社会ではなく、ちがった個性がいきいきとかがやき、シンプルに助け合うことがうれしい社会。競い合う経済ではなく助け合う経済。そんなやわらかくて豊かな社会をつくりださなければと思うのです。わたしたちにも世界にもちきゅうにも、もうあまり時間は残されていないように思うのです。

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