稲葉振一郎・立岩真也「所有と国家のゆくえ」4

ここまで、稲葉振一郎・立岩真也「所有と国家のゆくえ」という本を切り口に、いろいろ書いてきました。この本の中で二人の議論は、わたしたちが日々直面する問題についてその出口をさがすと同時に、その出口は彼らから教えてもらうことではなく、結局のところこの二人もふくめ、この時代を生きるわたしたちひとりひとりが探さなければならないということを語っておられると思います。
その上で、二人の議論はマイノリティーの権利を一般の社会の枠組みで保障することができるかと問い続けているのだと思うのですが、わたしたちマイノリティーの経済活動はまず自分たちの「市場」をつくりだし、わたしたちが交換できるものを一般市場ではなく、まず「わたしたちの市場」に出し、一般市場からその市場にお客さんを呼び寄せることから始められないかと思います。
わたしたちの経験として、必ずしも人は自分のつくったものすべてを自分のものにしたいとも思っていないのかもしれません。たとえば、幸せな恋もあるかもしれませんが、思い通りにならない恋もあります。どれだけ望んでも思い通りにならない他人の気持ちがあります。チャップリンがいったように「ほんの少しのお金」、といっても彼とわたしたちでは「少し」の規模がちがうかも知れませんが、幸せになるためにお金はほんの少しでいいのかも知れません。
わたしたちは障害者が給料のもらえる仕事につけないで福祉的就労に甘んじ、それをまわりが「お金よりも生きがい」というのはちがうと思いますが、その反対に給料をもらえる仕事がお金のためだけにあるのではなく、そこには働き甲斐や生きがいがあることを知っています。そして、働く上で「お金よりもやりがい」を求める人たちがいることもまた事実ではないでしょうか。
その一方で、特に震災以後ますます仕事に就けないひとたちが増え続ける今、みんなで仕事をつくりだし、みんなで仕事をわけあい、同じ金額というのではなく、それぞれの生活が何とか成り立つようにみんなでお金を分け合うようなことがあってもいいと思うひとがたしかにいるとわたしたちは思うのです。
わたしたちはそのひとたちはこの町の中にいると思っています。わたしたちは販売する商品やサービスの中に、そのひとたちとの出会いを願う見えない手紙を隠していて、お客さんはその手紙を今はこっそりかもしれないですが読んでくれて、またお店に来てくれているのだと思うのです。
そうしてつくられていく「もうひとつの経済」は、コミュニティーとしての実態をともない、すこしずつ一般経済に進出して行きます。わたしたちの30年の活動はその連続で、まだまだ実現できていないことの方が多いかも知れませんが、確実に30年前に見た夢は現実のものになっていることを実感します。
この本との関係で言えば、たしかにそれは小さな市場かも知れませんが、これからの時代はそんな小さな市場がたくさん集まって、ひとつの市場を形成していくのではないかと思います。
この本が出版されてから後、新自由主義経済は2007年のアメリカでのサブプライムローンの焦げ付きからリーマンショックによって行き詰まり、日本では「小泉改革」によって生じた格差が解決しないまま、震災と原発事故後、日本社会のあり方が政府の復興政策とからみ、議論されています。
わたしは2006年の時点よりも「アソシエーショニズム」の役割が大きくなり、豊能障害者労働センターの活動をよりひろげていかなければならないのではないかと思っています。
稲葉振一郎・立岩真也「所有と国家のゆくえ」の中での二人の議論も、今はもっと切実で重要なものになっていると思います。
できれば、震災後のこれからの社会のあり方をめぐって、もう一度この二人の議論を聞きたいと思います。

社会主義も 資本主義も
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば 簡単なことさ

夢かもしれない でも その夢を見ているのは
一人だけじゃない 世界中にいるのさ
イマジン・忌野清志郎

積木屋・豊能障害者労働センター

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