「もうひとつの現実」を生み出すミュージカル 劇団「天然木」

ずいぶん前になりますが、12月1日、豊能町希望ヶ丘集会場で、くまもとの家族劇団「天然木」がやってきました。
「天然木」は熊本県の山都町を拠点に熊本県内はもとより全国各地を回り、「出前ミュージカル」を上演するユニークな家族劇団です。脚本づくりから舞台美術、音響、照明までのすべてを家族プラスαで自作自演するだけでなく、日々の暮らしとミュージカルがつながっていて、毎年の新作も暮らしの中で家族一人一人が感じていることを話し合って芝居がつくられるようなのです。
芝居のテーマのレンジは広く、平和のこと、憲法のこと、地球で共に生きるいのちのこと、環境のことから、山の暮らし、海の暮らし、里のくらしなど、すべてが日々の暮らしとつながってあることをミュージカルで表現します。そのため「天然木」のミュージカルは特別なシチュエーションや派手な舞台の上で演じられるのではなく、観客であるわたしたちの暮らしの場から立ち上がるので、わたしたちは「ただ見ているだけ」では許してもらえないのです。
期待されるフィクションでも現実をえぐり出すドキュメンタリーでもなく、ミュージカルそのものが「もうひとつの現実」を生み出し、私たち観客はその現実を前に役者と一緒に笑い、泣き、怒り、悲しみ、歌いながらその現実を生きることになります。
わたしたちは、たとえば憲法のことや政治的な問題をテレビで見たり新聞を読んだり講演を聞いたりして情報を得ますが、時としてわたしたちの暮らしに深くかかわる大切な情報であっても専門的であったり他人事としてとらえたりしてしまいがちです。情報の洪水の真ん中で自分の気に入った情報だけを取り入れてわかったような気持ちになり、不都合な情報はなかったことにしてしまうことがよくありますが、「天然木」のミュージカルのように生活の中から立ち上がる「もうひとつの現実」としてのフィクションの力は、かたくなな心をやわらげてくれます。
昨年はしずくさんと凛さんのふたり芝居でしたが、今年は本来の形である家族と大ちゃん、客演の役者全員によるミュージカルで、場所柄もあって舞台装置もなく平場で演じられたものの、見事な劇的空間が生まれました。
出し物は「わけありなゴミ」で、登場人物は分別されたそれぞれのゴミが分別の過程でそれぞれの物語を生きていきます。それらひとつひとつの悲喜こもごもの物語はわたしたちが生きる現代社会の矛盾をえぐり出すように同時進行で進んでいくのでした。
そして、分別されたそれぞれのゴミがさよならを告げる時、原発の廃棄物など処理できないゴミたちは悲痛な叫びをあげながら自分の宿命を呪い、地球環境の危機をわたしたちに訴えるのでした。

さて、短いミュージカルが終わると、「悪い予感」が的中し、見るだけだと思っていたワークショップを観客全員で試みることになりました。
あれよあれよという間にグループ分けされてしまい、逃げ場がなくなったわたしはほんとうに何十年ぶりでつたない身体表現をする羽目になりました。
4つのグループごとに用意された紙の空き箱を使って物語をつくり、表現するという課題でしたが、わたし自身は赤面物でしたが、それでもどのグループもユニークな物語を演じました。
空の箱というと、村上春樹の短編集「神の子はみな踊る」の最初の物語「UFOが釧路に降りる」を思い出します。この短編集は1995年の阪神淡路大震災に直接遭遇していない人々の人生が、未曽有の震災をきっかけに大きく変わってしまう物語を寓意的につづった傑作集です。
実際、この年の震災とオウム真理教事件はわたしたちの社会そのものを大きく変えてしまいましたが、「UFOが釧路に降りる」では、妻が朝から晩までテレビの震災ニュースを見続けた後突然実家に帰り、そのまま一方的に離婚されてしまった男が休暇を取り、同僚から「妹にとどけてほしい」と小さな箱を渡され、同僚の妹が住む北海道へ小旅行する物語です。
村上春樹の短編はエッジのきいた偶然が重なりつながりあい、すでに宿命として用意されていたかのように謎めいた物語(寓話)の中に吸い込まれていくところが特徴で、わたしは好きなんですが、この物語では主人公の男は頼まれた箱の中身は空っぽだと同僚の妹の友人から知らされます。そのことは、理不尽な出来事によって社会も個人もとりかえしのつかない大きな喪失感に見舞われ、社会の再建・再生が修復不可能であることを空っぽの箱が教えてくれるのでした。
今回、「天然木」が課題とした空の箱から4つのチームがつくった物語はそれぞれアプローチがちがいながら、くしくも「喪失」がテーマになりました。
1995年以降、個々の人間にとっても日本社会にとっても大きな喪失感に覆われた時代が過ぎていったことをあらためて感じさせてくれたワークショップでした。
他の社会から見れば飽食で、世界の限られた資源や利益を暴力的に消費する社会で暮らし、一部の者たちが作り上げたがんじがらめの政治・経済システムの牢獄の中で息を凝らし、2万人を越えるひとびとが耐えきれなくなって死んでいく社会を変えることは簡単なことではないでしょう。
しかしながら、だからこそ「天然木」がミュージカルによってわたしたちの心を解放してくれるように、わたしたち自身もまた社会を解放する「大きな物語」を必要としているのではないでしょうか。
ほんとうに、いろいろなことを想う貴重な時間をすごしました。
そして、隣町の豊能町の人たちと知り合い、仲間になるきっかけをつくってくれたことに感謝します。

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