決して明るいとは言わせない青春の始まりと終わりと
街は勝手に生きている
生きている人を置き去りにして
それなら僕は森に還ろう
森からもう一度出直そう
能勢の「Cafe気遊」で友部正人さんのライブ
9月16日、能勢の「Cafe気遊」で友部正人さんのライブがありました。
わたしは1970年代より彼のファンではあるのですが、前回の気遊さん以来4年ぶりのライブでした。実際のところ、年を重ね能勢の山里に住んでいると、かつてのように少しの時間をつくってはライブや映画や芝居などに行くこともおっくうになってしまいます。
そんなわけで一時期エレファントカシマシ、SEKAI NO OWARIなど、JPOPの大きなステージにまでレンジを広げたこともありましたが、コロナ禍を機に一番命が危ういとされる「高齢者」であることを自覚し、能勢町内かせいぜい近隣の箕面、豊中あたりの狭いエリアで行われるイベントに参加するぐらいになってしまいました。
かつて近田春夫が「本来の音楽市場はほぼなくなり、たとえば商店街のお祭りや通信販売の景品程度になってしまうだろう」と言いましたが、たしかにターゲットはミレニアム世代やZ世代にしぼられ、世界配信や音楽フェスやライブハウスでのイベントでそれぞれのコアなファンが支えるバンドやアイドルグループが音楽シーンを席捲するようになりました。
今でもテレビなどで紹介される米津玄師、King Gnu、SEKAI NO OWARI、最近は卒業したYOASOBIなど、若い人たちの音楽はとても刺激的で素晴らしいと思うことが度々です。しかしながら、これらわたし好みといっていい音楽ですらどこか遠くから聴こえるようで、例えば外出した時にまわりの気配や話し声や不快な雑音を遮ってまで聴こうと思えません。少なくとも演奏の技術も音楽の質もずいぶん洗練され、野心的でもあるのですが、汗臭さ、匂い、空気、そしてなによりも時間を追い越したりなくしたり閉じ込めたり、と言うような肉感的でざわざわした臨場感が感じられないのです。それでもきっと、今まさにその音楽が心を通りすぎていく若い人たちにとってはリアルな音楽体験になるのでしょう。
ビートルズ解散とよど号事件と青春の終わりにたどり着いた人生の旅
1966年、わたしは高校を卒業後、就職したものの半年で会社をやめ、フーテンまがいの暮らしをしていました。街も時代も学園紛争と70年安保闘争へと突き進む若者の異議申し立てで騒然としていました。そんな同世代の若者たちにシンパシーを持ちながらも、そもそも対人恐怖症に悩むわたしは世の中への異議申し立てどころか、ただただ大人からも大人になることからも社会からも逃げ続ける毎日でした。
そんなある日、大阪梅田の歓楽街の細い路地を入ったところにあった「オー・ゴー・ゴー」というお店を見つけました。隠れ家のようなその店にも多くの同世代の若者たちがたむろしていて、生き惑うわたしを排除するわけでもなく、また深く心に立ち入るわけでもなく迎え入れてくれたのでした。
雑音の多いスピーカーから、ビートルズやモンキーズ、ボブ・ディランがよく流れていました。わたしはその時はじめてボブ・ディランの名曲「時代は変わる」を聞きました。政治的にも社会的にも若者の異議申し立ての活動が鮮烈になる一方で、あの「オー・ゴー・ゴー」にたむろしていた若者たちもまたあの時代をたしかに生きていて、わたしもまたそのひとりでした。
1970年、ビートルズが解散し、よど号事件があった年、わたしは「それでも人生はつづく」とおそるおそる歩き始めました。切なくも殺伐とした青い時をへて大人として、そして父親として生きなおす出発点にわたしは立っていました。
わたしはその頃全盛期だったフォークソングにはまったく触れることもなく、どちらかと言えば歌謡曲が好きで、友人たちがビートルズ一色に染まっていた時も森進一の歌を聴いたり口ずさんだりしていたのですが、ある朝テレビで三上寛が全日本フォークジャボリーに飛び入り出演した映像を見てすっかりファンになり、三上寛の追っかけをする中で、ジョイントライブに共演していた友部正人さんの音楽と出会ったのでした。
実際のところ、どんな夢も希望も持ちそこねたまま大人になったわたしが、その日その日を生きていくためにすがりついたもののひとつが友部正人さんの歌でした。日常の心象風景の背後に広がる時代の風景を淡々と歌う友部さんの歌は、70年以後の人生を生き続けなければならなかったわたしの伴走歌でした。
それはまた、60年代後半の同世代の若者たちの闘争に参加できなかった後ろめたさと、彼女彼らの切ない願いと行動があっという間に時代の彼方に忘れられていく理不尽さと、自分への憤りも含む不完全燃焼の燃えカスの中から突如現れた、人生の道しるべでもありました。
道という道が黒い土からアスファルトに変わろうとしていたあの時からつづく果てしない旅が出会うさまざまな所のさまざまなひとのさまざまな心のザラメからこぼれ落ちるように、彼の叙事詩は時代の記憶へと綴られてきたのでしょう。
自由にかわる神はなしと、人生を歩き始めた1970年に置き忘れた愛おしい歌たち
あれから半世紀が過ぎました。友部正人という一人の歌うたいが少年のような柔らかい心と孤独な夜を持ち続け、今も歌いつづけている…。そのいとおしさが胸に迫ってきました。ああ、友部さんの旅はまだ終わっていない。そして、わたしの旅もまた…。
俺の光をみつけたよ 西から東へと広がっていく
あんなふうにいつか俺も自由になれるのさ
ゲストで登場した大塚まさじさんと歌った「男らしさってわかるかい・I Shall Be Released」、「銀座線を探して」、「僕は君を探しに来たんだ」、「ブルース」、「大道芸人」、「あの声を聞いて振り返る」…。数々の名曲とともに、うつろう時代を旅する足元の地図に新しい歌がこぼれつづける…、ほんとうにすてきな時間をすごしました。
わたしの60年代から70年代をはげましてくれた寺山修司は早くに亡くなり、山田太一も唐十郎もこの世を去り、個人的にはシングルマザーの母とともにわたしを支えてくれた兄も亡くなりました。わたしにとって伝説となった子ども時代も、それに抗うように走り抜けた青春もはるか遠くに去りました。
今になって自分の人生を振り返り、ここのところさびしい想いをしていたわたしでしたが、もう一度しっかり、そしてゆっくり生きてみようと思ったライブでした。
こんな奇跡のようなライブを用意してくれた気遊さんと、いつも音響があることを感じさせないナチュラルなPAで音を包んでくれる村尾さんに感謝します。
人には体を土に埋める習慣があるのね
だけど声を穴に埋めてはならない
何も持たずに帰りなさい
夕日は車では運べない
橋を渡るときにまたあの声を聞く
(友部正人「あの声を聞いて振り返る」)