自由になるための、自由になろうとする自由・豊能障害者労働センターの慰安旅行

4月23日、24日と、豊能障害者労働センターの旅行に参加させてもらいました。
豊能障害者労働センターの旅行はまさしく「ザ・慰安旅行」の極め付けのような旅行で、なんといっても総勢41人の中に世間でいうところの「障害者」が何人いるかということなどどうでもよくて、障害者スタッフのテンションの高さは生半可ではなく、そのひとりひとりのテンションの高さが共鳴したりぶつかったりして総体のテンションの異様な高さを生み出しています。実際のところ、旅程そのものは一泊二日であまり冒険をするわけにはいかない旅行なんですが、この旅行を思いっきり楽しみにして日が近づくにつれてずいぶん入れこんできた障害者スタッフのテンションが旅行当日に爆発するという感じなんです。
今回は岡山県赤磐市の農業公園ドイツの森から和気町の和気鵜飼谷温泉、あくる日にイチゴ狩りを楽しみ、昼食後岐路に着くという旅程でした。
バスの中、ドイツの森での見物や体験、旅館に着いてからのお風呂、食事とカラオケタイム、その後の二次会、あくる日のイチゴ狩りと、そんなにアトラクションがあるわけではないのですが、とにかくみんな楽しそうでワイワイガヤガヤ、「自分にやさしく、他人にきびしく」障害者のひとたちが旅行を引っ張って行きます。
寝る時の部屋割りと別に昼間の行動を共にする6チームがあり、「笑うようなチーム」、「楽しいチーム」、「世界の夢チーム」、「おどるチーム」、「酔っているチーム」などユニークな名前のチームに分かれて行動するのですが、わたしは「にじチーム」に入れてもらいました。
ドイツの森につくとそれぞれのチームに分かれましたが、わたしたちのチームはTさんがワインを飲みたいと言い出し、早速ボトル1本を四人でわけて飲みました。チームは7人いて、他の3人は気の毒にもわたしたちが飲み終わるまで待たせる結果になりました。
Tさんとは以前にあったことがありましたが、今回の旅行で親しくなり、彼女はフェイスブックの達人みたいで、初心者のわたしは大変勉強になりました。
また体験コースとして万華鏡をつくりました。店員さんの説明では簡単で10分ほどでできるとなっていたのですが、実際にやり始めると不器用なわたしたちに急きょ3人の店員さんがつきっきりで指導してくれました。ひとりは外側の表面に張り付ける色紙に大量の接着剤をつけ、ひとりは何もせず、しかたなく店員さんが説明しながら作るのを「次はどうするの?」と急かしました。わたしが「最強の不器用チームでしょ」と言うと、「そんなことないですよ」とやさしい声と裏腹に顔の表情が硬いので思わず笑ってしまいました。
旅館に着くとそれぞれ助け合いながら風呂に入り、食事の後のカラオケタイムは障害者の独壇場です。KOさんの「愛人」と、KAさんの「与作」、Yさんの「モーニング」(岸田智史)は今も健在の中、びっくりするのが若い障害者のパフォーマンスです。
今回の旅行ではMさんがすごかった。Mさんはお父さんが箕面市役所に勤めていて、毎年のバザーやイベント、カレンダーの販売などで協力してくれる豊能障害者労働センターの良き理解者のひとりです。彼女がまだ赤ちゃんだった時から知っていましたので、彼女が労働センターのスタッフになったと聞いた時、世代の移り変わりとともに世代をこえて伝わって行く労働センターの活動を誇らしく思ったものです。
彼女は「ダウン症」で、やはりダウン症のひとは芸術の才能に優れているひとが多く、彼女も歌といいダンスといい目をみはるものでした。
彼女たち彼たちの歌を聴いているとカラオケ文化もまんざら悪くはないなと思ったのと同時に、やはり歌は歌いたい人が歌い、その歌を受け止める心に流れてこそ歌になることを教えてもらいました。まさしく島津亜矢が歌う阿久悠作詞の「思い出よありがとう」のように、「歌よりも歌らしく 心を揺さぶる」とは、このことなのだと思います。
楽しい宴も終わり風呂に入り、二次会部屋で少し時間をつぶしてから寝る部屋に戻りました。3人で寝たのですが、これがまたわたしもふくめて変な3人組で、Wさんはなぜかひとりで現地に来て合流し、食事の時に豪勢なオードブルを振る舞い、あくる日またホテルからタクシーで去って行くという人物。
もうひとりのHさんは小柄な青年で、熊本地震が一面に掲載されている新聞を片手に、いつも一生懸命に言葉を繰り返すのですが、余程の付き合いがないと何のことを言ってるのかよくわからないのです。ただ、今回少し長く一緒にいて、彼にとってのいろいろな事件を伝えたいと必死に言葉を繰り返しているのだと知りました。
Hさんに限らず彼女たち彼たちはコミュニケーションの達人たちで、究極のコミュニケーションは言葉だけにあるのではなく、必死に伝えたいと思う心にあるのでしょう。そして、伝えたい心が依って立つところは相手や仲間に対する底抜けの信頼にあり、自分が何者かをさらけ出し、他者の存在を全面的に受け入れることにあるのです。
実際、今回の旅行でも何回か口喧嘩がありましたが誰も止めに入らず、結局のところは当事者同士の和解への努力にゆだねたり、自己主張が行き過ぎると結構激しく障害者同士でバッシングし、本人がそれを受け入れるといった自浄作用がここにはあります。豊能障害者労働センターのひとたちの猥雑さ、テンションの高さはそこからくるのであり、それは何者によっても整然と抑え込まれたりしない、いやできない自由そのものなのだと思います。
いま安保法制への異議申し立てや「責任を伴わない自由」をだめだとする自民党の憲法草案への異議申し立てをする時、民主主義にとって最も大切なものは多数決などではもちろんなく、たったひとりの人間の自由であり、だからこそ他者の自由もまた大切なものなのだと、豊能障害者労働センターの障害者の言葉と行動から学ばせてもらった旅行でした。

「どんなに自由をうばわれても人間には最後にひとつだけ自由がのこる。それは自由になろうとする自由です。」(竹中労)

「自由になる自由がある 立ち尽くす 見送りびとの影」
(宇多田ヒカル「真夏の通り雨」)

宇多田ヒカル「真夏の通り雨」
宇多田ヒカルの復帰作はこの曲とNHK朝のドラマの主題曲「花束を君に」は、どちらもとてもはっとする言葉メロデイが刺激的な楽曲です。このひとはJポップといえるのかどうかわからないですが、この2曲を聞いていると、このひとに島津亜矢の曲をつくってほしいなとつくづく思います。島津亜矢を日本のボーカリストとして正しく評価されるきっかけになるのではないかと思うからです。

竹中労語る 天安門事件
この映像は1988年10月11日から1992年10月16日まで放送されたテレビ朝日の深夜帯番組にレギュラー出演していた竹中労の発言記録です。この番組は一週間にあったさまざまな事件や政治的な問題を出席者が自分の意見を言う番組で、東京地域のみの放送だったらしいです。わたしはこんな番組があったことも全く知らず、今回竹中労についてネット検索して発見しました。かなりの数の記録があり、今聴けば竹中労の遺言のように聴こえます。このひとはほんとうに信頼に値するジャーナリストであったとつくつぐ思いました。

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